平成社会の探索

<「知恵の会」への「知恵袋」>

ー第131回知恵の会資料ー平成27年7月5日ー


(その76)課題「ゐ(井)」ー<清女の九井>ー
                                 目     次

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                       時代順に汲み上げた「井」の世界

                   <その1>飛鳥井(明日香村飛鳥座神社)
                <その2>走井(大津市大谷・逢坂の関の清水)
                <その3>山井(岩代國安積郡内) 
          
                      <参考メモ1>「お水取り」<一ノ井>松明講 
                  <参考メモ2>「筒井筒」
                  <参考メモ3>「走井餅」   
               
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時代の流れに沿って眺めた「井」

 「井」という事物を時代順に追ってみると、次のような事例を思いつく。

(1)仏の井:
     (上代)四天王寺の亀井:霊水として栄華物語(巻31・上東門院彰子)平家物語(巻二)
                   「濁りなき亀井の水を結びあげて心の塵を濯ぎつるかな」
       三井寺の御井:天智天皇・天武天皇・持統天皇の霊泉
   (奈良朝)お水取りの閼迦井:若狭彦神社ー旧暦二月、鵜の瀬で、東大寺二月堂に送る「お水送り神事」が行われていた。
                 若狭神宮寺ー現在、若狭彦神社の神願寺として「お水送り神事」を行っている。
        松明:伊賀名張・一の井ー三重県名張市赤目町一ノ井 真言宗豊山派・極楽寺   (参考メモ1参照)

(2)和歌・物語世界の井
     (万葉期)  :山井・巻16ー3807番歌 「安積香山 影副所見 山井之 浅心乎 吾念莫國」
   (古今和歌集):山ノ井・仮名序「安積山影さへ見ゆる山の井の浅くは人を思ふものかは」(安積山は福島県郡山市)
          (参考資料:知恵の会第86回「父」より、「歌の父ー難波津歌」)
   (伊勢物語):井筒・第13段 「筒井筒井筒にかけしまろがたけすぎにけらしないもみざるまに」(参考メモ2)
     (今昔物語):冥界へ往来する小野篁伝説 東山・五条通り沿い六道珍皇寺の井戸から高野槇の枝を伝って冥界へ下り、
          閻魔大王の裁判の補佐をしたという。(添付別紙・産経新聞・6月20日付夕刊)

(3)清女の井(中世)
     (京周辺):千貫井(東三条殿)ー「千貫之泉」(古事談にあり)
             少将井(烏丸)ー少将井尼の居宅庭園にあった、大炊御門の南か(拾芥抄にあり)
             后町井(内裏)ー内裏の常寧殿と承香殿の廊の脇にある井
   (畿内) :玉井(山城)ー京都府綴喜郡井手町、井出の玉川の歌枕。
               「玉ノ井に咲けるをみれば山吹きの花こそ春のかざしなりけれ」
         飛鳥井(大和)<「みもひも寒し」とほめたるこそをかしけれ>
               ー奈良県高市郡明日香村鳥形山の飛鳥座神社境内にあり、
                催馬楽「みもひ(御甕・水)も寒し」と言及。
         櫻井(大和)ー奈良県高市郡明日香村にあったという「榎の葉井」か。
                あるいは「山城水無瀬の近辺也。待宵の小侍従の旧跡ある所なり」(春曙抄)
   (東国) :走井(近江)<逢坂なるがをかしきなり>ー逢坂の関の清水、(参考メモ3参照)
               歌枕として、「走り井のほどをしらばや逢坂の関引きこゆる夕かげの駒」拾遺集・清原元輔
               万葉集の<井を詠む>より
                「落ち激つ走井の水の清ければおきては吾は行きかてぬかも」巻七ー1127
                「馬酔木なす栄えし君が堀し井の石井の水は飲めど飽かぬかも」巻七ー1128
         堀兼井(武蔵)ー埼玉県狭山市掘兼、掘りかねる意の歌枕として、
                「いかでかと思ふ心は掘りかねの井よりもなほぞ深さまされる」伊勢
                「武蔵野の堀兼の井もあるものをうれしく水の近づきにける」(仏縁の求めがたさより)千載集・俊成
         山井(陸奥)<などさしもあさきためしになりはじめけむ>
                   ー(上述・万葉集および古今和歌集)岩代國安積郡内、山ノ井は人里離れた山のわき水。

(4)財閥の井(近世)
       (住友):天正18年(1590)蘇我理右衛門が京都で銅精錬・銅細工店(屋号・泉屋)を興したので
                「いずみ」の「井桁」を商標とした。
    (三井):天和元年(1681)三井高利が、越後屋の暖簾に使用した。
         丸・天、井桁・地、三・人を意味して、「天地人」の三才を表すという。
    その他 井桁マークの商標あり。

左から、井桁の「すみとも」井筒の「みつい」その他の例:井桁系と井筒系
(5)エネルギーの井(現代)
      *原油をくみ出す「油井」:石油資源の汲み揚げ井ー油井は地球上にまんべんなく存在しているわけではないので、
    エネルギー源が国家の命運を左右する現代の国際社会を複雑にしている。
      *1日あたり原油生産量(2009年)(2010年 米エネルギー情報庁(単位 万バレル))全世界8439  
    1 ロシア993 2 サウジ976 3 アメリカ914 4 イラン418 5 中国400 6 カナダ329 7 メキシコ300 8 UAE280
    9 ブラジル258 10 クウェート250 11 ベネズエラ247 12 イラク240 13 ノルウェー235 14 ナイジェリア221
    15 アルジェリア213 16 アンゴラ195 17 リビア179 18 カザフスタン154 19 イギリス(海洋、主に北海)142
    20 カタール121 21 インドネシア102
   *確認埋蔵量 (2010年米エネルギー情報庁(単位 億バレル))全世界13,542
    1サウジ 2624 2カナダ 1752 3イラン 1376 4イラク 1150 5クウェート1040 6ベネズエラ994 7UAE 978
    8ロシア 600 9リビア 443 10ナイジェリア 372 11カザフスタン 300 12カタール 254 13中国 204 14米国 191
    15ブラジル 128 16アルジェリア 122 17メキシコ 104

<その1>飛鳥井ー飛鳥坐神社境内

 奈良県高市郡明日香村神奈備 式内社(名神大社)、旧社格村社。毎年2月第1日曜日の奇祭おんだ祭で有名。
 祭神:延喜式神名帳「飛鳥坐神社四座」。
    現在の祭神:事代主神、高皇産靈神、飛鳥神奈備三日女神(賀夜奈流美乃御魂)、大物主神の四座。
    当社地が天照大神を初めて宮中の外で祀った地「倭笠縫邑」とする伝承あり(有力説:大神神社摂社檜原神社)
       近世には元伊勢とも称していた。
 歴史:創建由緒不詳、「賀夜奈流美命ノ御魂ヲ飛鳥ノ神奈備ニ坐テ皇孫命ノ近守神ト貢置」、
    大国主神が皇室の近き守護神として、賀夜奈流美命の神霊を飛鳥の神奈備に奉斎とある。
    『日本書紀』朱鳥元年(686年)7月条:天武天皇病気平癒祈願のため幣帛が奉られた。
    『日本紀略』天長6年(829年)、神託により、現在の鳥形山へ遷座。
 神事:二月第1日曜日(元は旧暦1月11日)お田植神事(おんだまつり)に夫婦和合の所作(種まき前の胤付けの意で、
    天狗とオカメが性行為の正常位を踊る)の奇祭あり。境内に男性器を模した石が多く安置される.

(左)飛鳥座神社参道と背後の鳥形山(右)参道入り口右脇の飛鳥井

<その2>走井ー逢坂の関の清水

 「近江与知志略」(1734)によると、「走井は下大谷町にあり、石を畳みて一小の円池とす。その水甚だ清涼にして、
 冷気凛々たり。今は茶店の庭とし、旅人の憩いの便とす。茶店の主、築山泉水を設け、且つ薬を売る。誠にこの
水の如きは、清うして滑らかなり。右より名を得しもことわりかな、沸き出づる水の勢い走井の名もうべなり。
 枕草子に”走り井は逢坂なるがをかし”と」
 走井茶屋は明治初期までにぎわったが、姿を消した後、茶屋旧跡は大正四年(1915)日本画家橋本関雪が別荘として
所有。関雪没後は、臨済宗「月心寺」となる。
 なお、滝のある庭園は室町期の相阿彌作とも伝わる。月心寺は村瀬庵主手作りの胡麻豆腐ほかの精進料理で名を成し、
NHKの連続ドラマのモデルとも成った。

(左)月心寺入り口の走り井(右)葛飾北斎「東海道五十三次・大津」

<その3>山ノ井ー岩代国安積郡内

1.万葉集の山の井
 (1)「山の井」は「安積山」「陸奥國安積郡」、福島県郡山市西北、額取山とする。郡山市日和田町にある小丘陵を
     安積山と比定し、「安積山公園」となり、芭蕉が奥の細道で訪ねた所である。(吉原栄徳「和歌の歌枕・地名大辞典」)
 (2)(イ)日和田町(山之井村)ー安積山と山の井清水の跡、  いずれとも断定しがたい。
    (ロ)片平村ー額取山と山之井の古跡および采女の墓、  (澤潟久孝「万葉集注釈」中央公論社・昭和32〜43年)

(左)日和田の山の井(右)片平村の山の井


2.大和物語の采女と山ノ井(インターネット参考事項)
    猿沢の池/山の井伝説:大和物語"ならの帝"(葛城王)と"采女"(春姫)伝説。
 *猿沢の池 :"ならの帝"(奈良時代のさる天皇)の寵愛を失ったある"采女"が猿沢池に投身自殺した。
        「采女」という謡曲のモチーフ。
        采女の霊を慰める祭ー奈良市猿沢池畔采女神社で毎年中秋の名月の時期に例祭采女祭が行なわれる。
 *山の井伝説: 郡山市に伝わる伝説では前日譚・後日譚が存在する。
        陸奥国に巡察しにきた葛城王が安積の里長の娘・春姫を見初め都に連れ帰ったが、
        春姫は許婚の男を恋しく思い猿沢の池への入水を偽装して里に帰る。
        しかし男は山の井の清水に身を投げた後で、春姫も後を追い投身自殺するというもの。
 *(参考)古事記伝説
        雄略天皇の御代に、「伊勢の国の三重の采女」が、宴会で天皇に捧げる盃に木の葉が入っていることに
        気付かず酒を注いでしまい、天皇の怒りに触れて殺されそうになった。そこで采女は即興で天皇を讃え
        繁栄を祈った歌を詠んだところ歌の出来が大層素晴らしかったで天皇が感心し命拾いをしたという。        古事記にある。

3.安積郡(あさかぐん)の成り立ち
 *陸奥国・石背国・岩代国にあった郡。現在の福島県中央部に位置した。
  石背國は、養老年間(717年 - 724年)の短期間、白河郡、石背郡、信夫郡、会津郡とともに陸奥国から分立した。
  安積団は、弘仁6年(815年)から10世紀まで、陸奥国の軍団の一つ。
 *明治元年  会津戦争で会津藩が新政府軍に降伏し、領地を没収。陸奥国が分割され、本郡は岩代国となる。
 *明治9年  山ノ井村 ← 高倉村、日和田村、梅沢村、八丁目村
 *明治22年 山野井村 ← 日和田村、高倉村、梅沢村、八丁目村
 *大正14年 山野井村が町制施行・改称して日和田町となる。(1町17村)
 *昭和40年 郡山市が発足。安積郡消滅。

参考事項<その1>「お水取り」松明運び法要 名張・伊賀一ノ井松明講

  三重県名張市赤目町一ノ井・真言宗豊山派・極楽寺
 奈良東大寺二月堂で、毎年3月12日に行われる「お水取り」の行事に使用される松明(たいまつ)を、
 約760年前から伊賀国一ノ井の地より、毎年調進している。
  開創 後鳥羽天皇御代に道観長者の開創と伝えられ、西境山極楽寺大徳院と称す。江戸時代初期の著書「伊水温故」にも、
     伊賀一ノ井の地に住し、後に若狭の南無観長者と協力し、東大寺・二月堂を再興した道観長者の開基になると記される。
  本尊 不動明王、二月堂、十一面観世音、聖観世音菩薩

  <東大寺二月堂の修二会(お水取り)>
         古都奈良の文化財として世界遺産に登録され、二月堂の「火」と「水」の祭典に際し「火」を送る伊賀と
        「水」を送る若狭の珍しい行事  
       松明調進 二月堂再興と併せて修二会(お水取り)に松明調進を始めたのも長者であり、
      長者亡き後はその遺言により、一ノ井の住民達によって引き継がれ、現在に至っている。
     2月11日 松明調製(おたいまつ作り)
     3月10日 松明調進法要(道観まつり)調進祈願
      3月12日 松明送り(二月堂へ松明を奉納)

参考事項<その2>「筒井筒」

 「伊勢物語」第23段には、おさな時、井筒のもとで振り分け髪を比べて遊んだ仲の男女が歌を
交わして、めでたく夫婦になれた話しを記しています。
 業平は実生活では、遠縁の紀有常の娘を妻に迎えたことになります。

 「むかし、田舎わたらひしける人の子ども、井のもとに出てあそびけるを、大人になりにければ、
  男も女も、はぢかはしてありけれど、男は、この女をこそ得めと思ふ。女は、この男をと思ひ
  つつ、親のあはすれどきかでなむありける。
  さてこの隣の男のもとよりかくなむ。
  筒井つの井筒にかけしまろがたけすぎにけらしな妹見ざるまに
  女、返し、
  くらべこしふりわけ髪も肩すぎぬ君ならずしてたれかあぐべき
  などいひいひて、つひに本意のごとくあひにけり。」

 これは、謡曲「井筒」にも謡われているところです。
 この話を根拠にした「在原神社」が天理市内の西名阪自動車道と国道169号線の交差点付近に
あります。(参考)敷島随想(第95回・その7ー<筒井筒>)

(左)業平の姿見の井戸(右)在原神社境内の筒井筒

参考事項<その3>「走井餅」

1.「走り井餅本家」
 大谷町・逢坂の関の清水の茶店での走井餅の製法は走井市郎右衛門の末裔片岡家に伝承され、
「走り井餅本家」の商標と共に大津市横木1−3−3に「東海道大名物 走り井餅ー大津追分」の看板で残っている。

(左)走り井餅のパンフレット(右)「走井」(伊勢参宮名所図会より)
2.昔ながらの手造りの味を守る 京都・石清水八幡宮 門前名物   <やわた走井餅>老舗
  京都府八幡市八幡高坊19 表参道一の鳥居前(京阪電車 八幡市駅前)
創業 明和元年(1764)大津追分の走井名水を用いて、井口市郎右衛門正勝が飴餅を作った事に始まる。
餅形 三條小鍛治宗近が走り井の名水で鍛えたという古事に因み、刀の荒身を表している。
店舗 明治43年(1910)六代井口市郎右衛門四男嘉四郎が八幡の地に引き継いだ。昭和初期本家は廃業し、後は
   月心寺となった。


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平成27年6月25日  *** 編集責任・奈華仁志 ***

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