平成社会の事象探求

ようこそ知恵の会
(ひとつの素材を多角的に、細分化し、認識を深める)

平成社会の写し取りに励んでいます!


★ 一口メモ帳 ★

ことわざの由来


<三人寄れば文殊の知恵>


鎌倉時代、ある老婆が文殊堂の前で餅を売っていた。文殊菩薩を熱心に信仰する老婆は、売れ残ると、近所の子たちに喜捨(きしゃ)した。子供たちの中にとても賢い子がいた。
京都大徳寺の大燈国師(だいとうこくし・1282〜1337)が文殊堂にやって来た。大燈国師とは宗峰妙超(しゅうほう・みょうちょう)という臨済宗の僧で、大徳寺を開いた。花園・後醍醐天皇はじめ多くの人々の帰依を受け、国師の号を受けた。
大燈国師が天橋立の文殊堂を参詣した折、子供と話してその賢さに驚いた。老婆が「この餅は文殊菩薩の霊夢によって作った餅です。この子はこの餅が大好きです」と答えた。大燈国師は笑って「それならば智慧の餅だな」と言ったとか。それで『智慧の餅』と称するようになったという。
餅は古くからあったが、砂糖の普及は江戸時代からで、とても高価なものだったから、小豆の餡(あん)など、とても庶民には口に出来なかった。「智慧の餅」ははたして鎌倉時代まで遡れるか疑問である。(文責:山嵜泰正)

かるたの歴史(その1)


<京のいろはかるたとウンスンかるた>


「カルタ」の歴史を辿ると、大きな二つの流れがある。一つの流れは平安時代の貴族が遊んだ「貝覆い」 そして「貝あわせ」の文化を引き継いできた。もう一つの流れは、十六世紀末にポルトガルから伝えられた「カルタ」である。「カルタ」はホルトガル語で、英語のカードと同じ。
 最古の「天正カルタ」はたった一枚残っているだけである。復元された「天正カルタ」は四種四十八枚だったが、元禄時代に日本人はそれを模倣して、「うんすんカルタ」を五種七十五枚に工夫して作り直した。
「ピンからキリまで」の「ピン」はポルトガル語pintaで「第一」、「キリ」はcruz十字架の意味から転じて「十」の意味。
 それと同様に「うんすんカルタ」の「うん」はum「一」、「すん」はsum最高・最大を意味する。
 つまり「ウンスンカルタ」はわが国で考案された独創的なカルタである。図柄は五種の紋標からなり、各紋標が十五枚ずつ。しかも、そこには「布袋・福禄寿などの七福神」が描かれている。そこがいかにも日本的で、絵札には龍・武人・唐人などを配した。絵柄のカードの裏は真っ黒。遊び方はトランプ遊戯のツーテン・ジャックに似ていた。八人が四人と四人に分れて競技した。遊戯方法が現在の「花札」に似て賭博に使われたので、江戸時代に幕府は度々禁止令を出した。
賭博性の高いカルタと区別して、「京のいろはカルタ」は京都の高い文化と教養を踏まえて、十八世紀半ばに成立した。文化・教養を身につけるために京の町衆は私塾や寺子屋に学んだが、「ことわざ集」として「京のいろはカルタ」は作られた。
 京の「いろはカルタ」の「い」は「一寸先は闇」ではじまる。それが江戸に伝えられ、「江戸のいろはカルタ」は「犬も歩けば棒にあたる」にかわる。
明治・大正・昭和になって、東京の出版社が子供雑誌の付録に「いろはカルタ」を付けて発売したので、「いろはカルタ」は日本全国に普及した。しかし、「京いろはカルタ」が十八世紀半ばに文化教養の高い京都で生まれ、京都がその原点であったことはぜひ記憶しておきたい。
(文責:山嵜泰正)

かるたの歴史(その2)


<京のいろはかるたと大石天狗堂>


カルタは南蛮バテレンのもたらしたトランプの一種、ポルトガル語のCARTAが語源である。江戸かるた「犬も歩けば棒にあたる」に対して、京の「いろはかるた」は「一寸先きは闇」「石の上にも三年」である。ついでに名古屋の「中京かるた」では「一を聞いて十を知る」。
 京カルタはすでに十八世紀半ばには紙に書かれて最古の「ことわざ集」として成立していた。
京都市伏見区両替町の「大石天狗堂」は小倉百人一首や花札、麻雀など日本古来からの遊戯を扱っている老舗である。創業寛政十二(一八〇〇)年というから二百年余の昔である。日本のカルタの原形といわれる「うんすんかるた」も製造しているという。なぜ「大石天狗堂」という屋号になったのか。江戸時代は花札興行が禁止されていた。当時、表向きは「湊屋」という米屋を営み、裏でこっそり花札を製造していた。花札を求める客は、暖簾を潜る時に「鼻(花)はあるかい?」と言って鼻を触りながらいうのが目印だったとか。それで、店の名を「大石天狗堂」と名付けたという。

文字・ 京のいろはカルタ江戸の「いろは」かるた
・一寸先は闇/石の上にも三年・犬も歩けば棒にあたる>/td>
・ 論語読みの論語知らず・論より証拠
・ 針の穴から天を覗く・花よりだんご
・二階から目薬・憎まれっ子世に憚(はばか)る
・ 仏の顔も三度・骨折り損のくたびれ儲け
・ 下手の長談義 ・屁をひって尻つぼめ
・ 豆腐にカスガイ(鎹)・年寄りのの冷や水
・ 地獄の沙汰も金次第・塵もつもれば山となる
・綸言(りんげん・天皇の言葉)汗の如し・律義ものの子沢山
・ 糠(ぬか)に釘・盗人の昼寝
・ 類をもって集まる・瑠璃も照らせば光る
・ 鬼も十八番茶も出花・老いては子に従う
・ 笑う門には福来る・割れ鍋に閉じ蓋(ふた)
・蛙の面に水・かったいの瘡うらみ
・夜目 遠目 傘の内・葭(蘆よし・)の髄から天を見る
・ 立て板に水・旅は道連れ世はなさけ
・連木(れんぎ・すりこ木)で腹を切る・良薬 口に苦し
・袖触れ合うも他生の縁・惣領の甚六
・ 月夜に釜を抜く・爪に火を灯す
・ 猫に小判・念には念を入れ
・ 済(な)すときの閻魔(えんま)顔・泣き面に蜂
・ 来年の事を言うと鬼が笑う・楽あれば苦あり
・ 馬(むま)の耳に風・無理が通れば道理ひっこむ
・ 氏(うじ)より育ち・嘘から出たまこと
・ 鰯(いわし)の頭も信心から・芋の煮たのをご存知ない
(芋が煮えたか、箸をさして見ることも知らぬ)
・ 鑿(ノミ)といえば槌(つち)・喉元すぎれば熱さを忘れる
・ 負うた子に教えられ・鬼に金棒
・臭いものに蝿がたかる・臭いものに蓋(ふた)
・ 闇に鉄砲・安物買いの銭失い
・ 蒔(ま)かぬ種は生えぬ・負けるが勝ち
・ 下駄と焼き味噌・芸は身を助ける
・ 武士は食わねど高楊枝(ようじ)・文は遣りたし書く手は持たぬ
・ これに懲りよ、道才棒・子は三界の首枷(くびかせ)
・ 縁と月日は末を待て(良縁はあせらず日を待て)・得手に帆を揚げ
・ 寺から里へ・亭主の好きな赤烏帽子
・ 足の下から鳥が立つ(慌しい様子) ・頭隠して尻隠さず
・竿(さお)の先に鈴・三遍廻ってタバコにしよう
・ 義理と褌(ふんどし)かかねばならぬ ・聞いて極楽、見て地獄
・ 幽霊の浜風・油断大敵(ゆだんたいてき)
・ めくらの垣のぞき・目の上の瘤(こぶ)
・ 身は身で通る(身分相応の暮らし) ・身から出た錆び
・ 吝(しわ)ん坊の柿の種・知らぬが仏
・ 縁の下の舞い・縁は異なもの(味なもの)
・ 瓢箪(ひょうたん)から駒(こま)・貧乏ひまなし
・ 餅は餅屋・門前の小僧 習わぬ経を読む
・ 雪隠(せっちん・トイレ)で饅頭(まんじゅう)・背は腹はかえられぬ
・ 雀百まで踊り忘れず・粋(すい)は身を食う
(おわり) ・京に田舎あり・京の夢、大坂の夢(千秋楽)

「京かるた」らしいのは、例えば「り」・「綸言(りんげん)汗のごとし」、綸言の「綸」とは「太い糸」の意味である.。天子の言葉が糸のように細いが、これを下に達する時は「綸」のように太くなる。君主の詔(みことのり)や君主が下(家臣)に対して言う言葉を指す。漢書・劉向伝に「号令如汗、汗出而不反者也」一度口から出した君主の言は、汗が再び体内に戻らないように、取り消すことができない。『平家物語』三に「天子には戯れの詞なし。綸言汗の如しとこそ承れ」とある。(文責:山嵜泰正)

◯◯◯   三人寄れば文殊の知恵   ◯◯◯

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更新日
平成20年3月10日

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