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平成14年7月度・月報

3.梅雨の台風


<台風列島>

  平成14年7月は、梅雨の真ん中であるに関わらず、めづらしくも台風が2回も日本列島に接近し、
各地に被害を与えました。
 フィリピン沖に発生した台風は、その時期の太平洋高気圧の勢力の強弱とその範囲によって、日本
列島に接近したり、逸れたりするようです。

(引用資料:日本経済新聞 7月16日付け記事)
 もともと台風は、古くは「野分」とも称され、秋の時節の自然現象で、大災害をもたらす大型台風も
8月末から9月中に到来したものが大半でした。

大型台風の経路記録(出典:理科年表)

大型台風一覧(出典:理科年表)
 
 日本列島は太平洋とアジア大陸の境界に位置する関係上、台風という自然現象を永久に受け続けねば
ならないのです。
 加えて、地殻上の特徴としては、火山地帯であることを考えますと、日本列島とは、「台風列島」で
あり、且つ「火山列島」でもあるわけで、総称して「自然災害列島」とも言えましょう。

 しかし悲しんでいても何の対策にもなりませんから、民族に与えられた運命として、この自然災害を
如何にやり過ごすかに知恵を絞らざるを得ません。

<自然災害への対応>
 日本列島に定着した日本民族がこの数千年の中で、これらの自然災害に如何に付き合ってきたので
しょうか。
 ごく近年まで積み上げてきたこれらの天災にたいする民族の知恵としては、これらの自然災害に
対して如何に慣れるか、諦めるか、あるいはその事後処理を如何により少ない労力でカバーするか、
と言うことぐらいでは、ないでしょうか。

 「天災を予知する」「天災を未然に防ぐ」「天災を回避する」などは、とても手の届かない対処策で、
せいぜい自然災害の中でも「台風の動きをより性格に把握する」ことが出来るようになった事ぐらいが
これまでの科学技術の成果でしょうか。
 「台風発生の予知」「地震発生の事前確認」など全く手が付いていません。
 これからの科学技術の進歩や発展によるこれらの予知技術を民族は手に入れることが出来るの
でしょうか。

 人類は何千年もかかって手をかけさせてくれない「神の世界」なのでしょうか。
 この辺りの事情は、今から60数年前の昭和初期と変わらないことを、寺田寅彦博士の随筆集より
窺ってみたいと思います。

<寺田寅彦「天災と国防」>

  昭和9年(1934年)9月21日、近畿地方は、台風史上でも記録に残る「室戸台風」の直撃を
受けました。これらの天災の惨状をふまえて、寺田博士は、次のような「天災と国防」論を展開し
ました。

 「・・・九月二十一日の近畿地方大風水害が突発して、その被害は容易に評価の出来ないほど
  甚大なものであるように見える。・・・」

 この事態に対して、博士はまず自然現象だから、詮索しても仕方がない、ある意味で諦めよと
述べています。

 「・・・悪い年回りはむしろ何時か回ってくるのが自然の鉄則であることを覚悟を定めて、
  良い年回りの間に充分の用意をしておかなければならない・・・・」 一方で、
 「・・・またこれほど万人がきれいにわすれがちなこともまれである。最もこれを忘れている
  お陰で今日を楽しむ事ができるのだという人がある。・・・」

 こうなりますと、あっけらかんとした諦観ともみえます。
 しかし上述のように「日本列島」は「自然災害列島」であることを一時も忘れてはいけないと
博士は警告しています。

 「日本はその地理的位置がきわめて特殊であるために・・・気象学的地球物理学的にもきわめて
  特殊な天変地異に絶えず脅かされなければならない運命の下に置かれていることを一日も
  忘れてはならない。」

 このような特殊な環境に於かれた日本民族は「数千年来」これらの運命を受け入れてきたが、
近来の文明はその民族的感覚を鈍らせることになったと反省しています。

 「・・・我が国のようにこういう災禍の頻繁であると言うことは一面から見れば我が国の国民性の
  上にも良い影響を及ぼしていることも否定しがたい事であって、数千年来の災禍の試練によって
  日本国民特有のいろいろな国民性の優れた諸相が作り上げられたことも事実である。・・・」

 「人類がまだ草昧の時代を脱しなかったころ、・・・人間は極端に自然に従順であって、自然に
  逆らうような大それた企ては何もしなかったからよかったのである。・・・」
 「文明が進むにしたがって・・・事情は全然変わってくる。・・・」
 「・・・今度の暴風で畿内地方の電信が不通になったために、どれだけの不都合が全国に波及
  したかを考えてみればこのことは了解される。・・・」
  
 すなわち、
 「・・・文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実である。」

 では、どのような対応策をすればよいかという対策・国防について、寺田博士は、次のような
具体的な提言をされました。あくまでも「天災の予知や防止」という「大それた企て」ではなくて、
より実態を正確に認識し、より被害を少なくするにはどうすればよいかという観点からの言です。

 先ずは天災に対する認識を改めること。 
 「・・・文明が進むほど天災による被害の程度も累進する傾向にあるという事実を充分に自覚して、
  そして平生からそれに対する防御策を講じなければならない」
 はずであるのに、そのように対応できていないのは認識不足によると。

 「・・・そういう天災がきわめて稀にしか起こらないで、丁度人間が前車の転覆を忘れた頃に
  後車を引き出すようになるからであろう。・・・」と。

 過去の経験を先祖代々蓄積してきていることを忘れていることも指摘されています。

 「・・・昔の人間は、過去の経験を大切に保存し、蓄積して、その教えに頼ることははなはだ忠実で
  あった。過去の地震や風害に耐えたような場所にのみ集落を保存し、時の試練に耐えたような
  建築様式のみを墨守してきた。・・・」
 「・・・が、今度の関西の風害でも、古い神社仏閣などは、存外あまりいたまないのに、時の試練を
  経ていない新様式の学校や工場が無惨に倒壊してしまったという話を聞いて一層その感を深く
  している。やはり文明の力を買いかぶって自然を侮り過ぎた結果からそういうことになったのでは
  ないか」

と、推察されています。
 以下に博士のに三の具体案を提示しますと、

 「・・・一国の運命に影響する可能性の豊富な大天災に対する国防策は政府のどこかで誰が研究し、
  如何なる施設を準備しているかは、はなはだ心許ないありさまである。思うに日本のような
  特殊な天然の敵を四面に控えた国では、陸軍、海軍の他にもう一つ科学的国防の常備軍を設け、
  日常の研究と訓練によって、非常時に備えるのが当然ではないか。・・・」
 「台風の襲来を未然に予知し、その進路とその勢力の消長とを今よりも、より確実に予測するためには、
  どうしても太平洋上並びに日本海上に若干の観測地点を必要とし、・・・」
 「・・・洋上に浮き観測所の設置ということもあながち学究の描き出した空中楼閣だとばかりは
  言われないであろう。五十年百年の後には、おそらく常識的になるべき種類のことではないかと
  想像される。」

 寺田博士の予想はほとんど具体化できるものであり、現に半分以上具現化されております。まさに
当を得た天災に対する国防の憂慮であったのです。
 ただ上記の提言の中でも国家的に長期に「天災国防省」の如きものを構成する点だけ、未だ68年前と
変わらない平成現在です。

 なお寺田博士は、この随筆の冒頭で、次のように「その数年後の第二次世界大戦の到来」を自然現象の
到来と違った人事のこととして、確実に予知ではなく、予告しています。

 「・・・近来何かしら日本全国土の安寧を脅かす黒雲のようなものが遠い水平線の向こう側から
  こっそりのぞいているらしいという、いわば取り留めのない悪夢のような不安の陰影が国民全体の
  意識の底層に揺曳していることは事実である。その不安の渦巻きの回転する中心点はと言えば
  やはり近き将来に期待される国際的折衝の難関であることはもちろんである。・・・」
                             (昭和九年十一月 経済往来)

*** 平成14年7月25日 ***産業部技術顧問・中西久幸


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