平成社会の探索

漿

<「知恵の会」への「知恵袋」>

ー第137回知恵の会資料ー平成28年7月31日ー


(その 83)「くつ・沓」 ー<和歌の文字遊び:くつ-かむり>ー
******** 目     次***********

    <かむり(こうぶり) がき>「沓冠」とは
    <その1>村上帝の履き初め
     <その2>曽祢好忠と源順の沓冠比べ
    <その3>藤原隆信と定家の「沓冠」世界
   
       折句の各種変形 
    <参考メモ・その1>源氏文字鎖         
    <参考メモ・その2>回文八重襷
    <げそく・下足>折句愚作品 *ち-え-の-か-い*

***************************

         <かむり・こうぶり(冠)書き>  ー「沓冠」とはー
 「初め」と「終わり」の意としての「くつ・かむり」(「くつ・こうぶり」とも)という
折句の一種で、折句沓冠または沓冠折句ということば遊びをいう。
1.和歌の第一句の初めと第五句の終わりに、あらかじめ定めた字を置いて詠む歌。
2.和歌で10文字の事物名や語句を、各句の初めと終わりに、それぞれ一字ずつ詠み込んだ歌。
3.雑俳の一種。七文字を題にして,上五文字と下五文字をつけるもの。
4.謡曲で,初めと止めとを同一の調子で謡うこと。

 文学用語解説例<古典文学レトリック事典>より 「沓冠}(執筆担当 糸井通浩先生)
        (國文學 12月臨時増刊号 平成4年12月10日 学灯社)
 「折句」をさらに複雑にしたもので、「沓冠折句」(奥義抄)、「折句沓冠」と言った。
 *歌の各句の上(頭・冠)の字と下(尾・沓)の字とで、目的の十文字に充当するもの。 
 *一首の頭(冠)と尾(沓)に、目的の語句の文字を充てるもの。 

 なお、事例として次の(例1)(例2)(例4)(例5)および 後述の源順集の歌群
 (「あめつちのうたなど)を引用されている。

(例1)「女郎花(をみなへし)」「花薄(はなすすき)」を詠み込んだ歌
     (「亭子院女郎花合」(後宴) 昌泰元年(898)秋)

      <を>ののは《ぎ》  <み>しあきにに《ず》  <な>りぞま《す》
       <へ>(て)しだにあや《な》  <し>るしけしき《は》
    
    歌意:(この小野の萩は、去年の秋見た時とすっかり変り、群生して花も
        たくさんつけている。考えてみると、長い間訪れなかったことは失敗であった。
        萩でさえ、一年間にこんな変化を示しているのだから)

    各句下の「ぎずすなは」は、第五句から逆に「はなすすき」と読む。
        (注)源俊頼「俊頼髄脳」にも、言及されている。
       (佐佐木信綱編「日本歌学大系」第一巻 風間書房 昭和47年8月31日)


    <その1>村上帝の「沓」の履き初め


(例2)村上天皇御歌(「合せ薫き物少し」(合わせ薫物を少しくださいの意)
    (「栄花物語」(月の宴)より)
   (注)「新撰和歌髄脳」(和歌六義体)では、仁和の聖主(光孝天皇)とする説もあり。
    
    <あ>ふさか《も》  <は>てはゆきき《の》  <せ>きもゐ《ず》
    <た>づねてこば《こ》  <き>なばかへさ《じ》
   
    歌意:(あの逢坂の関も、夜更けになれば往来を取り締る関守もいない。
       同じようにここも人目は多いが、夜更けならば来たい女性は来なさいよ。
       もしも来たならば帰すことなく愛してあげますよ)

    後宮の方々に差し上げあそばしたところ、皆意味が分からず、とりあえず返歌をお贈りしたが、
    広幡御息所(源計子)だけは、お返事歌の代わりに、練香(ねりこう=合わせ薫物)を
    差し上げたので、和歌の心得のある返答だと感心なさったと語り伝えられている。
    (注)源俊頼「俊頼髄脳」にも、言及されている。


(例3)「花をたづねて見ばや」を詠み込んだ歌
     (八雲御抄)
       <は>かなし《な》  <を>ののをやま《だ》  <つ>くりか《ね》
       <て>をだにもき《み》  <は>てはふれず《や》
    
    各句の最初の語と最後の語を、順番に読む。
      
(例4)「はをはじめ、るをはてにて、ながめを掛けて、時の歌をよめ」と詠んだ歌
     (古今集・巻第十・物名・468 僧正聖宝)
       <は>なの《なか》  《め》にあくやとて  わけゆけば
        こころぞともに  ちりぬべらな<る>
    
    歌意:花の中を見飽きるかと思いながら分けていくと、美しさにひかれて、
       心までが一緒に散ってしまいそうだ。


(例5)兼好から頓阿へ「よね(米)たまへ ぜに(銭)もほし」と詠み込んだ歌
    (続「草庵集・雑体より)

      〈よ〉もすず《し》 〈ね〉ざめのかり《ほ》 〈た〉まくら《も》 
      〈ま〉そでの秋《に》 〈へ〉だて無きか《ぜ》

     各句下の「しほもにぜ」は、第五句から逆に「ぜにもほし」と読む。

    頓阿から兼好へ「こめ(米)はなし、ぜに(銭)すこし」と詠み込んだ歌

      〈よ〉るもう《し》 〈ね〉たくわがせ《こ》 〈は〉てはこ《ず》 
      〈な〉ほざりにだ《に》 〈し〉ばしとひま《せ》
     
     各句下の「しこずにせ」は、第五句から逆に「せにすこし」と読む。

(例6)南北朝時代の新拾遺集(20巻1920首 貞治二年・1363)の巻20−1891番に、
    よみ人知らず の歌として、

               春の暮れに友達の元へなどや久しく問わぬといふことを
        折句の くつかぶり に置きて
       <な>をちれ<と>   <や>まかぜかよ<ひ> <さ>そふら<し>
       <く>もはのこれ<ど> <は>なぞとまら<ぬ>

      各句の最初と最後の歌語を順次読み継いでいくと「なとやひさしくとはぬ」となる。


(例7)「をもふとも よもしらじ」を詠み込んだ歌
     (「正徹(1381-1459)物語」下より)
   
      〈を〉りふし《よ》 〈も〉ずなくあき《も》 〈ふ〉ゆかれ《し》 
      〈と〉ほきはじは《ら》 〈も〉みじだにな《し》
         

     各句の最初の語をよみ、再び各句の最後の語を順番に詠んでいく。


  これらの詠歌は、「源順集」での<あめつちの歌><双六盤の歌><碁盤の歌>、あるいは、
「曽祢好忠集」の<安積山・難波津の歌>(いずれも後述<その2>参照方)に展開されていき、
さらには、俳諧における<八重襷>なる作品まで出てくる先駆けとなった。

    <その2>曽祢好忠ー源順の作歌の奮闘努力
(1)曽祢好忠の歌群
   曽禰 好忠(そね の よしただ、10世紀後半・生没年不詳)平安時代中期歌人。
   出自未詳。中古三十六歌仙の一人。官位六位・丹後掾。曾丹後・曾丹とも。
   和歌新形式「百首歌」創始、1年360首歌「毎月集」。源順・大中臣能宣・源重之らと交流、
   偏狭な性格で自尊心高く、孤立した存在であったが、新奇な題材や『万葉集』の古語を
   用いて斬新な和歌を読み、平安時代後期の革新歌人から再評価された。
   『拾遺和歌集』(9首)以下勅撰和歌集89首入集。家集『曾丹集』。小倉百人一首 46番歌。

   「好忠集」の構成:
    *毎月集:四季毎 序2首、孟10首、仲10首、季10首 計92首、一年合計368首
    *百首歌:四季歌41首、恋歌10首、沓冠歌31首、物名歌(十干10首、方角8首)
         (家集では、はじめての企画として注目されるもの)
    *その他:めぐり2首、連ね歌(尻取り歌)14首、など。
    この構成を源順は受けて、かへしの歌を同数詠んでいる。

   「沓冠歌31首」(420番〜450番)(一般的定義からみれば、沓冠歌の亜流)
    冠歌ーあさかやまかけさへみゆるやまのゐのあさくはひとをおもふものかは
    沓歌ーなにはつにさくやこのはなふゆこもりや(い)まははるへのさくやに(こ)のはな
    最初の初句にあてる5首と五句めにあてる7首をあげると、
   *あさかやま                           *なにはつに
   「ありへじと なげくものからかぎりあればなみだにうきて よをもふるかな」
   「さかだがは ふちはせにこそなりにけれみづのながれは  はやくながらに」
   「かずならぬ こころをちぢにくだきつつひとをしのばぬ  ときしなければ」
   「やつはしの くもでにものをおもふかなそではなみだの  ふちとなしつつ」
   「まつのはの みどりのそではとしふともいろかはるべき  われならなくに」
            (中        略)
   *おもふものかは                         *さくやに(こ)のはな
   「おもひやる こころいつかひはいとなきをゆめにみえずと きくがあやしさ」
   「もくづやく うらにはあまやかれにけんけぶりたつとも  みえずなりゆく」
      「ふるさとは ありしさまにもあらずかといふひとあらば  とひてきかばや」
   「もとつめに いまはかぎりとみえしよりだれならすらん  わがふしとこに」
   「のがひせし こまのはるよりあさりしにつきずもあるかな よどのまこもの」
   「かひなくて つきひをのみぞすぐしけるそらをながめて  よをしつくせば」
   「はりまなる しかまにそむるあながちにひとをつらしと  おもふころかな」

   「沓冠歌」とはいささかずれるものの、「つらね歌」(471番歌〜474番歌)があり、
   二字以上を尻取り歌にしていく試みもある。
   「こひしさをなぐさめがてらこころみにかへしてみばやせながそで をも」
   「おも ひつつふるやのつまのくさもきもかぜふくごとにものをこそ おもへ」
   「おもへ どもかひなくてよをすぐすなるひたきのしまとこひや わたらん」
   「わたらむ とおもひきざしてふじがはのいまにすまぬはなにのこころぞ」
   三字以上の尻取り歌としては
   *「よさのうみ のうちとのはらにうらさびてうきよをわたる あまのはしだて」
   *「よさのうみ となはたかさごのまつなれどみはうしまどによする しならみ」
    「しらなみ のたつきありせばすべらぎのおほみやびととなりも しなまし」
    「しなまし をこころにかなふみなりせばなにをかねたるいのちとかふる」
   *「よさのうみ とすまのしまにもあらねどもくもまをすぐるほどぞ かなしき」
    「かなしき はからにもあらぬみやまべにむもれてゆかぬたにがはの みづ」
    「みづ はやみふねもかよはぬたにのおもにとまらぬあはのみを いかにせん」
    「いかにせん なみだのしほにくちぬべしよにはからくて すみのえのまつ」
    「すみのえのまつ はみどりのそでながらなをだにかへばものはおもはじ」

   (好忠らのぼやきごと)ままならぬ「官位と昇進」 (参考メモ・その3参照方)

(2)源順の歌群
      源順(911−983):嵯峨源氏、大納言源定の曾孫、源挙(こぞる)次男。
   従五位上・能登守。20代に「和名類聚抄」(本邦初の分類体辞典)編纂。
   和歌所寄人で、梨壺五人として萬葉集訓点作業参画、「後撰和歌集」編纂参加。
   天徳四年(960)内裏歌合わせに出詠。
   漢詩文や和歌に優れた才能を発揮して、次に示す折句の歌を双六盤の形にしたり、
   碁盤目の並びにしたり、得意な歌の遊戯を展開した。

   源順集から「あめつちの歌四十八首」あるいは「双六(雙陸)の歌」などの例歌をみる。
 (その1)「あめつちの歌」
        冠および沓ともに8首ごと、春「あめつちほしそら」 夏「やまかはみねたに」
         秋「くもきりむろこけ」 冬「ひといぬうへすゑ」 思「ゆわさるおふせよ」
         恋「えのえをなれゐて」 6題各8首=合計48首

   (参考)法華宗高僧日導上人(参考メモ・その2)の「沓冠31首連作」作品
    冠:「よものうみとをきくにまてひのもとのかみのめくみをあふきもやせむ」
    沓:「よのなかをそむきしのちはくちもせぬなみたのそてをすみにもそそむ」

 (その2)「すごろくの歌」
        沓から冠へ、また沓から冠へ、と順次しりとりでつないでいく、読み方。
     52番歌「するがなるふじのけぶりもはるたてばかすみとのみぞみえてたなびく」
     53番歌「くさしげみひともかよはぬやまざとにたがうちはらひつくるなはしろ」
     54番歌「ろくろにやいともひくらむひきまゆのしらたまのをにぬけとたえぬい」
     55番歌「いづこなるくさのゆかりぞをみなへしこころをおけるつゆやしるどち」
     56番歌「ちりもなきかがみのやまにいとどしくよそにてみれどあかきもみぢば」
     と言った調子で、歌をつないでいく。
 (その3)「ゆふだすきの歌」
         右から左へ「ゆふだすき」なる5文字を五列合計25字格子状に配置し、
         それらの字を交点として、24首の歌を織り込んでいくもの。

ゆふだすきの歌

源順集の事例(世尊寺定信筆)
 (その4)その他の源順歌の言葉遊び例(元歌の半分を流用するもの
      万葉集 巻3ー351 沙弥満誓
      「よのなかを何に譬へむ 朝びらき 漕ぎ去にし舟の跡なきがごと」より
      初句と二句を流用して、詠むもの。二三例、以下。
    「世の中を何にたとへん あすか川さだめなきよにたぎつ水のあわ」
    「世の中を何にたとへん うたたねの夢路ばかりにかよふたまぼこ」
    「世の中を何にたとへん 草も木も枯れゆく頃の野辺の虫のね」  など。


   <その3>藤原隆信と定家の「沓冠」世界

(1)藤原隆信(1142-1204)と後法性寺関白(九条兼実・1149-1207)との沓冠による
   歌のやり取りを「隆信集」(443-448番歌)にみる。
   
   *443番歌
    後法性寺殿、右大臣ときこへたまひし時、御会のついでに、
    <さよふけぬ、とくたたむ> といふ事を くつかぶり にて、こひのこころに
    よめとおほせられしかば
    <さ>めざめ<と>   <よ>るひるしげ<く> <ふ>るなみ<だ>
    <け>ふのくれは<た> <ぬ>れやまさら<め>


   *444番歌
    兼実が隆信に、邸へ来るようにと命じておいたが、わすれてはいぬかと懸念して

    同じ時、まゐれとおほせられしひをわすれてやあるらんとてたまはせはべりし、
    <いひしひを、 たがふなよ>
    <い>かにま<た>   <ひ>とりあかす<か> <し>のぶて<ふ>
    <ひ>とはつらし<な> <お>もひこりね<よ>

      歌意:退屈でさぞ待っていらっしゃることだとお察ししていますよ、などと
         言ってくるばかりで、自分では来ないのは怪しからぬぞ、という託言。
         
      冠:いひしひお  沓:たかふなよ − (言ひし日を違ふなよ)

   *445番歌
    隆信から兼実への返し
    冠:あすのひお  沓:たかへめや − (明日の日を違へめや)
    <あ>かでた<だ>   <す>ぐるわかな<か> <の>べておも<へ>
    <ひ>るこそあら<め> <お>もひこりや<め>

      歌意:違約はいたしません。

   *446番歌
    たんごのごが、やどりにしは、かはをへだててすむよしききて、ちかきわたりよりとて、
    ひとをやりてたづねしを、いづくよりにかとおぼめくよしききて、やりけるうた二首、
    <ちかしとは、これよりぞ>
    <ち>かきと<こ>   <か>くこそありけ<れ> <し>りもせ<よ>
    <と>なりとなり<に> <は>しわたるま<ぞ>
     
    (注)第四句目の<沓>は<に>で<り>ではないが、如何?

   *447番歌
    <まめやかに たのまんよ>
    <ま>きのい<た>   <め>ならぶひと<の> <や>どはい<ま>
    <か>くれざらな<ん> <に>しのわたり<よ>

   *448番歌
    かへしは、ふたつをひとつにとりあはせたるなるべし、
    <たのめかし まぢかきに>
    <た>のめい<ま>   <の>べのなかみ<ち> <め>ぐりし<が>
    <か>ばかりちか<き> <し>るしばかり<に>

(2)藤原隆信(1142-1204)と藤原定家(1162-1241)との沓冠による
   歌のやり取りを「隆信集」(449-450番歌)にみる。
   (注)隆信と定家の関係
      似せ絵の名手・隆信の父は長門守藤原為経(寂超)。母藤原親忠娘の美福門院加賀。
      母の再婚相手藤原俊成に育てられたので、20年のはなれた藤原定家は異父弟になる。

      *449番歌 
    さてまた、中将さだいへ、侍従ときこへしころ、ひごろもよそのしる人にて、
    いひかはされけりとききて、なほまたつかはしし、
    <じじうには、 おとらじを>
    <し>るひと<を>   <し>るとはきけ<ど> <う>すざく<ら>
    <に>ほひもあら<じ> <は>なのにほひ<を>

   *450番歌
    かへし、<じじうには、にじものを>
    <し>かすが<に>   <し>らぬひとな<し> <う>きくも<も>
    <に>たるさくら<の> <は>なとききし<を>

  なお、隆信集には、以上の沓冠8首(443番〜450番)、折句3首(「まつがさき」
「こむあをに」「こしがたな」)、物名18首、廻文歌五首(451番〜453番)および
旋頭歌10首が収録されている。


(3)藤原定家の「ことば遊び世界」(家集「拾遺愚草員外雑歌」より
   自分からは「家集には入れません(員外です)、はみ出ていますとはいえ、実は謙遜。
   実は家集として「ぜひ遺しておきたい本心」が見え見え。
   「定家のことば遊びの世界」の紹介には、面目躍如たるものが伺える。

   *「一字百首歌」(1番〜100番まで)
    春歌の冠:あさかすみ むめのはな たまやなぎ かきつはた(20首)
    夏歌の冠:ほとときす とこなつ はなたちはな(15首)
    秋歌の冠:おみなへし かのすすき ふちはかま はしもみち(20首)
    冬歌の冠:はつゆき をののすみかま うつみひ (15首)
    恋歌の冠:おもかげに こひわひてうちもねす (15首)
    雑歌の冠:あかつきは つゆふかし おもふこと (15首)

   *「詠四十七首和歌」建久二年(1191年)「六月月あかかりし夜」の詠(201番〜247番)
    春歌の冠:いろはにほへとちりぬ(10首)
    夏歌の冠:るをわかよたれそつね(10首)
    秋歌の冠:ならむうゐのをくやま(10首)
    冬歌の冠:けふこえてあさきゆめ(10首)
    恋歌の冠:みしゑひもせす(7首)
    これらの47首に「越中侍従のかへし歌」47首が続く。(248番〜294番)(省略)

   *詞書に「建久七年(1196年)秋ころ、いたはること侍りて、こもりゐたる夕つかた、
        大将どのよりこの歌をかみにおきてただいまとはべりしかば、使いにつけて、
        まゐらせし、いまみれば歌にてもなかりけり」(315番〜345番)
   (筆者付言)(まあ、よく言うわ、ーすぐによこせといわれたので、即席のうたを使いに
          わたしてしまったが、よみかえしてみると、うたになっていないーと。)
    冠の歌詞:あきはなを ゆふまくれこそ たたならね おきのうはかぜ はきのしたつゆ
    歌の出典:『撰集抄』等によれば、摂政藤原伊尹邸で連歌の催しがあり、連衆が
         「秋はなほ夕まぐれこそただならね」への付句に苦心していたところ、
         当時十三歳だった息子の義孝が進み出て「荻の上風はぎの下露」と続け、
         喝采を浴びたと言う。『和漢朗詠集』『深窓秘抄』採られたが、勅撰集には漏れた。

   *詞書に「建久三年(1192年)九月十三夜、左大将殿にまゐりたりしかば、にはかに人人
        めしにつかはして、いまこんといひしばかりに、といふ歌をかみにおきて
        よませられしに、これらはかきとどむべきものにもあらねど、筆をだにそめ
        あへぬみだれがはしさもやうかはりてやとて、」
   (筆者付言)(どこまで、みえみえのパーフォーマンスか、あきれてしまう。)
    冠の歌詞:いまこむといひしはかりになかつきのありあけんぼつきおまちいてるるかな
    歌の出典:百人一首第21番歌 素性法師歌

   *詞書に「大将殿にて秋ころ、よゐの僧の経よむをききて、れいのこのもじをかみにおきて、
        秋の歌」
    冠の詞:なもめうほうれむくゑきやう(南無妙法蓮華経)
    (筆者付言)定家にしてみれば、これくらいの冠歌は、朝飯前でしょう。

   以上以外に、定家は、当該家集に、95首〜100首からなる一連の歌群をあちこちに
   収録している。例:詠百首和歌・前大僧正御房四季題、詩申請佐相府御点など。

(4)大僧正慈円(1155-1225)の沓冠(慈鎮・拾玉集・巻4より)
      九条慈円(慈鎮和尚):関白藤原忠通五男・九条兼実の弟、11歳で比叡山に入り、14歳で出家した。
   四度に渡って天台座主に就任。史論書「愚管抄」を著し、和歌も多数勅撰集に入集。
   家集「拾玉集」に、六千首以上の和歌を残している。
   「拾玉集」第4巻の「いろは冠歌」をみる。
   冠:いろはにほへと以下の47語をあて、47首(4574番〜4620番)を遺している。   
   その詞書きには、「建久二年(1191年)伊ろはの和歌を左将軍よみて、よめとありしかば、
   その構成は、春10首、夏10首、秋10首、冬10首、恋7首 合計47首
   各歌群より初歌をあげる。
   春4574番 「いそのかみ ふるきみやこにたつはるはかすみのいろもさびしかりけり」
   夏4584番 「るいとこそ きのふのはるはおもふらめきのもとごとにのこるはなみて」
   秋4594番 「なべてならず こころにかなふころぞかしかつがつそらやあきのはつかぜ」
   冬4604番 「けごろもに ゆきのうはびをかさねつつつるすむはまにふゆはきにけり」
   恋4614番 「みくまのの うらのはまゆふよそながらかさなりにけるひとのおもひも」


<参考メモ>折句の各種変形例

<参考メモ・その1>源氏文字鎖ー武者小路実隆

 源氏のすぐれてやさしきは     ーはかなくきえし桐壺よ
ーよそにも見えし帚木は ーわれからねになく空蝉や
ーやすらふみちの夕顔は ー若紫の色ごとに
ーにほふ末摘花の香に  ーにしきと見えし紅葉の賀
ーかぜをいとひし花の宴 ーむすびかけたるくさ
ー賢木のえだにをく霜は ー花散る里のほととぎす
ー須磨のうらみに沈みにしーしのびてかよふ明石がた
ーたのめしあとの澪標  ーしげき蓬生露深み
ーみすに関屋のかげうつしーしらぬ絵合おもしろや
ーやどに絶えせぬ松風も ーものうき空の薄雲よ
ーよは槿(朝顔)の花の露ー縁り求めし乙女子が
ーかけつつ頼む玉鬘   ーらうたきはるの初音の日
ーひらくる花にまふこてふ(胡蝶)ーふかきのおもひこそ
ーその懐かしき常夏や  ー遣り水すずし篝火の
ー野分の風に吹きまよひ ーひかけくもらぬ御幸には
ーはなもやつるる藤袴  ー真木の柱はわすれしを
ーをる梅が枝のにほふやとーとけにし藤の裏葉かな
ーなにとてつみし若菜かもーもりの柏木ならの葉よ
ー横笛の音のおもしろや ーやどの鈴虫声脆く
ー暗き夕霧秋深み    ー御法をとりし磯のあま
ーの世のほどもなく  ー雲隠れにし夜半の月
ーきく名も匂(宮)ふ兵部卿ーうつらふ紅梅色ふかし
ー忍はしなる竹川(河)やーやそ宇治川の橋姫の
ーのがれはてにし椎が本 ーともにむすびの総角は
ー春を忘れぬ早蕨も   ーもとの色なる寄木(宿木)や
ー宿りとめこし東屋の  ーのりの名も浮き舟のうち
ー契りのはては蜻蛉を  ーおのがすまひの手習は
ーはなかりける夢の浮橋

<参考メモ・その2>回文での八重襷

 沓冠を図式化して見せたのが八重襷という形態になる。
 (鶏冠井良徳編『崑山集』十三巻 付録一巻 慶安四年(1656)より
  鈴木棠三「ことば遊び」講談社 2009年12月10日)

野菊廻文壱句ヲ十句(堺住人小西茂左衛門宗利)

野菊廻文壱句ヲ十句(堺住鈴木吉兵衛一円)

(野々口立圃(1595-1669)作 三句を一図に纏め込む)

法華宗高僧日導上人・天文十七年(1548)於能登七尾
(注)上表の日導上人の作品は、襷掛けの交点に、右から左に、上から下に
   「あめつちのうちはみなわかおほきみのおさめさせたまふ」の25字を
   配したもので、つなぎの和歌群は、全部で24首となる。
    一例、右端最初の歌は、
   「あさからぬ めぐみとぞおもふ つゆになを ちぐさもけさは のどかなるひろ」
    24首目の右下から左上の対角線沿いの歌は、
   「のちのよを みなひとごとに おもへども のりのまことは さらにもとめず」
   見事というほかない!

<参考メモ・その3>曽祢好忠らの嘆き節

 今昔物語巻第二十八「円融院御子日参曽祢吉忠語第三」には、円融院の御子の日の野遊びに
招かれもしないのに同席しようとしてつまみ出された話を誠に聴く側が興味津々になるように
展開されています。その話は、好忠集では、次の詞書と共に収録されている事に対応します。

 ー円融院の御まへのひ、めしなくてまゐりたりとて、さいなまれて又のひ、たてまつりける
 「与謝の海の内外の浜のうらさびて世をうきわたる天の橋立」
  と名を高砂の松なれど、身は牛窓によする白波の、たづきありせば、すべらぎの大宮人と
  なりもしなましの、心にかなふ身なりせば、なにをかねたる命とか知る

 左注の詞書きまで追っていきますと、次の歌になります。
 「橋立と名は高砂の松なれど身は牛窓によする白波」

 枕詞として「与謝の海」「天の橋立」「高砂の松」「牛窓」が取り込まれています。
 「天の橋立と名は高」いところの「高砂の松なれど」「身は憂し」「牛窓」の砂浜に「寄せる白波」
であることよ、という詠みです。「・・・身は うしーまど によする波・・・」と掛けた
「うしまど」なる地名の詠い込みですが、どうして「牛窓」なる引用となったのでしょうか。
「うし」の掛詞は、いろいろに引用されていたはずです。
 次のような歌詞の詠み込みも考えられます。好忠の詠みたい背景は実はマイナスイメージの世界で
あったのではないでしょうか。

   枕 詞      天の橋立        高 砂          牛 窓
   関連事物      橋           松            波
   連想の色      朱           緑            白
  プラスイメージ  天への架け橋(梯立て)  常緑(不変)       白砂海岸
  マイナスイメージ はした         昇進ないままの官位色   憂しー身上
            (どっちつかず)    (六位に沈滞)      白波(盗賊)

 加えて、マイナスイメージに追い打ちをかけるならば、「折り句」としてみた場合に「は」「た」
「ま」「み」「よ」となります。「はたまみよ」とは、「将」「真」「見よ」なのか、「端」「間」
「身」「よ」なのでしょうか、いずれにしても、折り句でも何か言いたかったのでは、と思わせぶり
ではないでしょうか。

<げそく・下足>折句愚作品 *ち-え-の-か-い*

    よろづ・の(*よ・世) いごふえい・ぐわ(が) ぞむかな
    ぎりあるよの のちなりせば	

        (沓冠ならず、失敗作、折句止まり)
        (*)初句を 「ちよろづよ」に替えると <沓>は五句から初句へ 
       ば(場)のなか(仲)よ となり、なんとか、意味は通じることになる)

                             (以上、閑老人の暇つぶし)

           <沓ことば>   (鈴木党三編「新版ことば遊び辞典」昭和56年11月より)
    明治以後、西欧の文芸観に洗脳された現代人の眼で、こうした作品をみると、
    何やら無駄な努力、文学の本筋から逸脱した徒労にすぎぬように見えるが、
    一見有閑的遊戯のように思われがちなこの種の作品
   (だが、自由な思考の世界への逍遥にこそ、文学の素地が養われよう。)(筆者の付言)
    現に、先人たちは、故人の追善などにも、しばしば当該世界に力を注いでいる。

<余滴>(百人一首の沓揃え)

あ行:(なし)
か行:しか、しき(3)、せき、へき、ゆき、ろき、ふく、
さ行:けさ、さし、なし(3)、まし、らす
た行:つつ(4)そて、たて、まて、ねと
な行:かな(16)、はな、なくに(3)、まに(2)、ふね
は行:とは(2)、へは、ふみは、おもふ(2)、おもへ(2)
ま行:やま、なみ、こむ、なむ(2)、ねむ(2)、めむ、らむ(4)、しも、かも
や行:とや
ら行:けり(8)、なり(2)、めり、もり、ける(4)、しる、
   する(2)、なる、ぬる、れる、くれ(2)、けれ(3)、すれ
わ行:ものを、おもひを

ホームページ管理人申酉人辛

平成28年6月20日  *** 編集責任・奈華仁志 ***

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