平成社会の探索

<「知恵の会」への「知恵袋」>

ー第128回知恵の会資料ー平成27年2月8日ー


(その73)課題「ひつじ(羊・未)」ー<ひつじのあゆみ>ー
                                 目     次

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   <その1>「ひつしのあゆみ」とは   <その2>「有間皇子」と「大津皇子」 <その3>大津皇子絶唱 
          
 (参考事項)(その1)勅撰和歌集の「ひつしのあゆみ」(その2)大津皇子の縁りの地 (その3)大津皇子歌碑   
               
 (一口メモ) 「ひつじ」か「やぎ」か          

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<1>「ひつしのあゆみ」とは

 「ひつじのあゆみ(羊の歩み)」とは、
        1 屠所(としょ)にひかれてゆく、力のないのろのろした、羊の歩み。
  すなわち
        2.刻々と死期が迫るたとえ。不幸や破局に直面して気力を失った状態。
   《「北本涅槃経」三八から》(摩訶摩耶経上) (「デジタル大辞泉」などによる)
 さらには、
        3. 歳月。光陰。〈日葡〉
と用いられている。
 前回の知恵の会で取り上げた「結び松」の有間皇子は、正に「ひつじのあゆみ」で、紀の国白浜の湯へ歩んだのではないか。
 さらに、斉明天皇四年(658年)から28年後の朱鳥元年(686年)、彼の遠縁にあたる天武天皇の皇子
大津皇子も謀反の罪で、姉の伊勢神宮へ「ひつじのあゆみ」を行ったことになる。
 有間皇子に続き、大津皇子を偲んでみる。

 振り返って、人ひとりのあゆみ「人生」も、見方を変えれば、「ひつじの歩み」ではないか。
母親の胎内で、「羊水」の環境で、はぐくまれている間は、誕生への「希望のあゆみ」だが、
いったん世の中に出たとたんに、まさしく、人生のおわりにむかって、「ひつじの歩み」を始めていることになる。
いささか寂しい感がないでもないが、改めて再認識すべきであろう。

<その2>「有間皇子」と「大津皇子」

大津皇子(おおつのみこ)の略歴
 663年(天智天皇2年) - 686年10月25日(朱鳥元年10月3日)
  天武天皇皇子。母天智天皇皇女大田皇女。同母姉大来皇女。妃天智天皇皇女山辺皇女。
  九州の那大津で誕生。天武天皇第三子(『日本書紀』)(『懐風藻』では長子)。
 「体格や容姿が逞しく、寛大。幼い頃から学問を好み、書物をよく読み、その知識は深く、
  見事な文章を書いた。成人してからは、武芸を好み、巧みに剣を扱った。
  その人柄は、自由気ままで、規則にこだわらず、皇子でありながら謙虚な態度をとり、
  人士を厚く遇した。このため、大津皇子の人柄を慕う、多くの人々の信望を集めた。(『懐風藻』)
  母大田皇女は、天智天皇皇女で鵜野讃良皇后(後の持統天皇)の姉にあたり、順当にいけば皇后になりえたが、
  大津皇子4歳頃の時死去、姉大来皇女も斎女とされ、大津皇子に後ろ盾が乏しかった。
  そのため、異母兄の草壁皇子が681年(天武天皇10年)に皇太子となった。
  683年(天武天皇12年)朝廷の政治に参加(「始聴朝政」)。
  686年(朱鳥元年)9月天武天皇崩御、同年10月親友川島皇子の密告により、
  謀反の意有りと捕えられ、磐余(いわれ)訳語田(おさだ)自邸にて自害。享年24。
  『日本書紀』に妃の山辺皇女が殉死と記す。
  (事件の背景には、鵜野讃良皇后の意向があったとする見方がある。)

有間皇子と大津皇子の系譜
(注)有間皇子の略歴は、第127回知恵の会(平成26年12月23日)課題「結ぶ」ー万葉集の”結び松”ー参照方。


<3>「大津皇子の絶唱」

(1)辞世の和歌
   「ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ」(巻三ー416番)

(2)漢詩 臨終
    金烏臨西舎 (金烏 西舎に臨み)      太陽が西側の建物に射しかかり
    鼓声催短命 (鼓声 短命を催す)   鼓の音は命を縮めるを急がせているようだ
    泉路無賓主 (泉路 賓主無し)    黄泉の路には客と主人の別がない、
    此夕誰家向 (この夕 誰が家にか向ふ)この今日の夕べに、住み慣れたこの世の家を離れて西方浄土へ向かおう。

桜井市吉備・春日神社境内の大津皇子の漢詩碑
昭和47年11月建立・福田恒存揮毫
大伯皇女歌碑(万葉集 巻二ー163番歌)併置

(3)その他の和歌
   万葉集 巻第二 107〜109番(石川郎女との相聞歌)
   「あしひきの山のしづくに妹待つと 我立ち濡れぬ山のしづくに」
   「吾を待つと君が濡れけむあしひきの 山のしづくにならましものを」
   「大船の津守の占に告らむとは まさしく知りて我が二人寝し」

香芝市下田・香芝市中央公民館前庭の大津皇子と石川郎女の歌碑

(4)姉・大来皇女との別れ
   『万葉集』の題詞には死の直前に姉である大来皇女が斎王を務めている伊勢神宮へ向かったとある。

   万葉集 巻第二 105〜106番(姉の大来皇女に会うために伊勢神宮に下向した時に大来皇女が作った歌)
    「わが背子を大和に遣るとさ夜深けて 暁(あかとき)露にわが立ち濡れし」
    「二人行けど行き過ぎ難き秋山を いかにか君が独り越ゆらむ」

   万葉集 巻第二 163〜164番(処刑後、大来皇女が退下・帰京途上で作った歌) 
   「神風の伊勢の国にもあらましを なにしか来けむ君もあらなくに」
   「見まく欲(ほ)りわがする君もあらなくに なにしか来けむ馬疲るるに」

   万葉集 巻第二 165〜166番(二上山に移葬されたとき、大来皇女が作った歌)
   「うつそみの人なる我(われ)や明日よりは 二上山(ふたかみやま)を弟(いろせ)と我(あ)が見む」
   「磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど 見すべき君がありと言はなくに」


(参考事項・その1)勅撰和歌集の「ひつしのあゆみ」


(1)山寺にまうでたりける時、かひふきけるをききてよめる
   「けふもまたむまのかひこそふきつなれ ひつじのあゆみ ちかづきぬらん」
      (千載集1200 赤染衛門)
   (注1)「むま」=いま(今)「かひ」=ほら貝(時刻を知らせる)
   (注2)「今日もまた ラジオの時報 不吉なれ ひつじのあゆみ いよよ響みて」
        (摂津国・古曽部の里・能因僧子)

(2)述懐歌の中に
   「極楽へまだ我が心ゆきつかず ひつじのあゆみ しばしとどまれ」
      (新古今集1933 前大僧正慈円)

(3)無常の歌に
   「つひに行く道もいまはの時なれや ひつじのあゆみ 身にぞ近づく」
      (新後拾遺集1465 託阿上人)

(参考事項・その2)大津皇子の縁りの地


  (その1)二上山
       大阪府と奈良県の境にある二上山の雄岳頂上付近に墓とされる場所がある
      (宮内庁名「大津皇子二上山墓」)

(左)二上山付近地図(右)二上山遠景
  (その2)鳥谷口古墳       
       葛城市側の麓の鳥谷口古墳が大津皇子の本当の墓とする説もある。

(左)二上山雄岳山頂の「大津皇子二上山墓」(右)鳥谷口古墳(葛城市染野)
  (その3)磐余池

(左)磐余池の故地(橿原市東池尻町付近)(右)御厨子観音側からみた磐余池の故地遠景

  (その他)奈良・薬師寺に大津皇子坐像<奈良国立博物館寄託>(重要文化財)が伝わっている。

(参考事項・その3)大津皇子歌碑

 大津皇子の万葉歌は、辞世の歌で2基、その他で3基、合計5基の歌碑が建立されている。

<
田村本No.建立場所建立年月日歌碑建立者揮毫者備考
奈良県ー60桜井市吉備二三○ 吉備池周辺昭和47年11月 ももつたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲かくりなむ
高さ1mの自然石
( (桜井市)中河幹子(歌人) 吉備池周辺には大伯皇女の歌碑(巻二ー163,165)、大津皇子の漢詩碑(懐風藻)も建立されている。
添付写真集参照方
奈良県ー81橿原市東池尻町四二○
御厨子観音妙法寺手前道路脇
昭和57年5月 百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ
高さ60cm自然石
(橿原市)入江泰吉(写真家)近鉄大福駅南1.5km
奈良県ー154葛城市當麻八三二(西側の角)昭和63年4月 足日木乃山之四付二妹待跡吾立所沽山之四附二
(あしひきのやまのしづくにいもまつとわれたちぬれぬやまのしづくに) 高さ約1.7mの自然石
當麻町犬養孝(国文学者) 歌碑の北1kmの新在家に「二上山ふるさと公園」があり、「国見の丘」に犬養先生命名の銅鐸型鐘「大津皇子鎮魂の響き」が設置されている。
添付写真集参照方
奈良県ー273香芝市下田西三ー七香芝市中央公民館 前庭平成17年8月 足日木乃山之四付二妹待跡吾立所沽山之四附二
高さ約1m白御影石角柱(18cm角)碑表面に石川郎女歌(巻二ー108番)と併刻
(香芝市) 元暦校本角柱碑右側面には大津皇子歌を、左側面には石川郎女歌を、仮名書きにて再刻
宮城県ー47黒川郡大衡村大衡平林一一七 昭和万葉の森平成4年12月 あしひきの山の雫に妹待つとわれ立ち濡れぬ山の雫に
高さ85cm黒磨き石
(大衡村)(不詳)「昭和万葉の森」内の万葉植物記念林内に48基建立されている

吉備池堤の大津皇子歌碑(桜井市吉備)

(左)橿原市東池尻町の大津皇子歌碑(右)吉備池堤の大伯皇女歌碑

(左)當麻万葉歌碑(犬養孝教授揮毫)(右)大津皇子鎮魂の響きの鐘(二上山ふるさと公園内)

(一口メモ) 「ひつじ」か「やぎ」か

比較項目ひつじやぎ
名称羊(Ovis aries)(Sheep)山羊・野羊Capra linnaeus)
分類動物界・脊椎動物門・哺乳綱・ウシ目・ウシ科
ヤギ亜科・ヒツジ属
動物界・脊椎動物門・哺乳綱・ウシ目・ウシ科
ヤギ亜科・ヤギ属
家畜目的羊毛と脂肪源乳用種・毛用種・肉用種と分化している
主食草だけを食べる木芽や皮まで食べる、粗食に耐える
性質群がりたがる、先導者に従う、
小さな牧羊犬一匹でひつじ群れを動かせる、
ストレスに直面すると逃げだしパニックになる
険しい地形も苦にしない、山岳や乾燥地帯に
貴重な家畜、環境破壊おこる
鳴き声ムームーめえーめえー
家畜の歴史古代メソポタミア
(BC7〜6000年)
ひつじより1〜2000年先行、
犬についで古い家畜
製品羊毛:フリースは二層になっている。
(上毛・粗毛・ケルプ)
(下毛・緬毛・ウール)
羊肉:子羊肉(Lamb)2年以上(Mutton)
羊皮:BC2500年より
羊乳:脂肪と蛋白質富む。チーズ・ヨーグルト
毛:アンゴラ(モヘヤ)カシミア(カシニア・ウール)
山羊毛:筆の素材
乳質は牛に近く、 乳量はひつじより多い。
羊肉と区別されず、ラム・マトンとして利用
山羊汁(煮込み)カレーなどに利用
山羊乳は牛乳アレルギーの代替飲料
日本への輸入推古天皇(599)百済より朝貢
文化二年(1806)長崎奉行が輸入
明治八年(1875)下総に牧羊場
15世紀頃、東南アジアより持ち込まれる。
明治以降、貧農の乳牛として。
全国ヤギサミット活動あり
宗教との関わりキリスト教では、信徒達は羊飼い(ヤハウェや王)に導かれる羊群れ(ユダヤ民)
羊は神への生け贄
ユダヤ教では年に一度、二匹の牡山羊を生け贄とする。
贖罪の山羊(Scapegoat)
歌謡「メリーさんのひつじ」
米国童謡・高田三九三訳詩
(Mary had a little lamb)
「めえめえ児山羊」(藤森秀夫作詞・本居長世作曲)
「やぎさんゆうびん」(まどかみちお作詞・団伊玖磨作曲)
「とんがり帽子」(菊田一夫作詞・古関祐司作曲)
物語イソップ物語
「嘘をつく少年(オオカミ少年)」
グリム童話「オオカミと七匹の子ヤギ」
映画「羊たちの沈黙」(トマス・ハリスの小説)
(The Silence of the Lambs)
「アルプスの少女ハイジ」
「山羊」(The Goat)(米映画)

ホームページ管理人申酉人辛

平成27年2月7日  *** 編集責任・奈華仁志 ***

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