平成社会の探索

<「知恵の会」への「知恵袋」>

ー第119回知恵の会資料ー平成25年11月10日ー


(その64)課題「こ・こな(粉)」ー州浜粉の和菓子ー
(<御洲濱司植村義次>)
                                 目     次

  <1>粉のいろいろ  <2>「州浜粉」 <3>「」
 
  <参考メモ1>植村義次店 <参考メモ2>和菓子の老舗 <参考メモ3>「」
   

    


<1>粉のいろいろ



<2>「」

 


<3>


   ********************参 考 メ モ*********************

<参考メモ1>





 

<参考メモ3>「」


    

<参考メモ4>


      

<参考メモ5>


 

御洲濱司 植村義次
[洲濱の菓子自体は鎌倉時代 に誕生したと言われており、葵祭 の際下鴨神社 の御神饌 として数百年に亘って供えられ続けています。こちらの店の創業は4代目:徳川家綱 が将軍時代の1657年で、現在の植村義次氏は14代目にあたり、京都唯一の洲濱専門店になってしまいました。洲濱は大豆・水飴 ・砂糖を練り合わせ、洲濱台で形を整えるというシンプルな製法ですが、単純な故に奥深さがあるそうです。材料については、とりわけ良質の飴 が必要で、金沢の俵屋より仕入れているそうで、豆飴に属することも頷けます。味については好みがハッキリ分かれるでしょう。きな粉 を濃厚にした味わい、且つ油分も含まれているため、苦手な方も実際おられます。それでも練りから全てご主人の手製のため、植村氏の洲濱は一味違うという声も聞きますし、抹茶 や緑茶 に良く合います。洲濱については前日までの完全予約制のため、HPにて電話番号を確認され、お店へご連絡をお勧めします。  (「御洲濱司・植村義次氏の洲濱 〜伝承されている製法 ... - 旅達空間 - ANA」より)]

[御洲濱司 「植村義次」は、明暦三年 (1657年)に創業した洲濱専門のお菓子屋さんです。「洲濱 (すはま) 」は、「京の和菓子」 (辻ミチ子・著)を参照すると、江戸時代 に人気があったお菓子だそうです。 「洲濱」 (棹物)は、浅煎りの大豆を粉にし、水飴で練り上げた生地を円筒に伸ばし、三方より竹竿で型をつけたものだそうで、切り口が 「すはま」の模様になるということから、「洲濱」と呼ぶようになったそうです。素朴な味のお菓子 「洲濱」 の他に、「春日の豆70g入り」と 「押物」を購入しました。  (「御洲濱司 「植村義次」 - 「行ってきました」シリーズ - So-net」より)]
(Panoramio)

州浜
[州浜(すはま)は、大豆、青豆を煎って挽いた州浜粉に砂糖と水飴を加えてよく練りあわせた和菓子の一種。すあま とは名前が似ているが、米粉を使った全く別の食品である。江戸時代、作られた当初は、「豆飴」と呼ばれ、後、京都の老舗によって作られた「すはま」の断面が州浜紋にそっくりなので、「州浜(すはま)」という名前になったとされている。現在では、州浜粉を使った菓子全体を「州浜」「すはま」と呼ぶようになっている。  (wikipedia・州浜 より)]



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平成25年10月25日  *** 編集責任・奈華仁志 ***

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