平成社会の探索

<「知恵の会」への「知恵袋」>

ー第118回知恵の会資料ー平成25年9月22日ー


(その63)課題「ながい(長い・永い)」ー百人一首歌人の「夜長の世界」ー
(<ながながし夜>とは)
                                 目     次

  <1>百人一首の「ながき」歌語  <2>百人一首人丸歌「ながながし夜」 <3>重複形容詞「ながながし」
 
  <参考メモ1>万葉集の柿本人麻呂歌集 <参考メモ2>山鳥の尾は「ながい」か?<参考メモ3>「秋の夜」は長いか?
 <参考メモ4>漢字「長」と「永」   <参考メモ5>萬葉集の「ながき」歌    

    知恵の会・第117回の 課題「氷」は、蒸し暑い平成25年夏の猛暑・酷暑・炎暑のために、
「氷」の「`」(チュ)」が蒸発して「水」の上に上り、第118回課題「永」字に転換してしまいました。
  そこで百人一首歌人の「夜長の世界」を覗いてみました。歌人連は何を長いと感じたのでしょうか。
 <かきのもとのひとまる>歌の「ながながし」夜に関係する歌を初めとして、「長々しき」ものを引き出してみましょう。

<1>百人一首の「ながき」歌語

 百人一首歌の中で、「ながき」歌語を含む歌としては、「ながき夜」を詠む5首、その関連の歌2首の計7首、および
「ながき命」を詠む3首、「ながらふ」詠み3首など、合計13首ほどになろう。

(1)「ながき夜」を嘆く

 (イ)「あしびきの山鳥のをのしだり尾の ながながし 夜をひとりかもねむ」(柿本人丸・百人一首・第3番)
              (人丸・和漢朗詠集・秋上・238番歌)(人まろ・拾遺和歌集・巻第十三・恋三・778番歌)

 (ロ)「今来むといひしばかりに長月のありあけの月を待ち出でつるかな」(素性法師・第21番)
     来るというので、秋の長い夜の明け方まで待ち明かしてしまったよ、と永い待ち時間を嘆く。

 (ハ)「嘆きつつひとり寝る夜の明くる間はいかに久しきものとかは知る」(右大将道綱母・第53番)

     因みに、一人寝るのは人丸ばかりでない。道綱母は待つ長い夜を「久しきもの」としているし、
     人丸歌の本歌取りとされる良経も一人寝る歌を詠んでいる。
    「きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかも寝む」(後京極摂政前太政大臣・良経・91番)

     この歌は人丸歌の本歌取り歌とされる。
      (参考)時間的にながい「久し」は「久しき昔」として、
       「滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ」(大納言公任・第55番)

  (ニ)「やすらはで寝なましものを小夜ふけてかたぶくまでの月を見しかな」(赤染衛門・第59番)
 (ホ)「夜もすがら物思ふころは明けやらで閨のひまさへつれなかりけり」(俊恵法師・第85番)
     男の方も思うことが多いと長い夜となる。

  これらの「ながき夜」を一方では、「みじか夜」として嘆く立場もある。
 (ヘ)「ありあけのつれなくみえし別れより暁ばかり憂きものはなし」(壬生忠岑・第30番)
 (ト)「明けぬれば暮るるものとは知りながらなほ恨めしき朝ぼらけかな」(藤原道信朝臣・52番)

 「ながき夜」あるいは「みじか夜」を詠んでいる歌が百首の中に少なくとも7首も含まれているということは、
いかに百人一首歌人が人生の時間を重要視していたか、言い換えるならば藤原定家がいかに和歌世界に於いて
また恋の世界において夜が重要であったか、ということを示す一端ではないか。

(2)「長くもがな」の命を望む

   短い人生の嘆きが「ながいいのち」を望む詠みとなる。
 (イ)「君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかな」(藤原義孝・50番)

   一方、恋のためには短い命でも嘆かない。
 (ロ)「忘れじの行く末まではかたければ今日を限りのいのちともがな」(儀同三司母・54番)
 (ハ)「長からむ心も知らず黒髪の乱れて今朝はものをこそ思へ」(待賢門院堀河・80番)

(3)「ながらへば・三詠」

   幸いにして命が「ながらへば」どういう詠みになるか。
 (ニ)「こころにもあらでうき世に ながらへば 恋しかるべき夜半の月かな」(三条院・68番)
 (ホ)「ながらへば またこのごろやしのばれむ 憂しとみし世ぞ今は恋しき」(藤原清輔朝臣・84番)
 (ヘ)「玉の緒よ絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの弱りもぞする」(式子内親王・89番)
  
 人は自分の一生を短いと言って嘆き、また反対に、長ければながいで、意に沿わない時間が多く、
結局、長き憂き人生をも託つことになる。すなわち人の一生の中で、自身が幸せと感じられる時間が誠に短い
ということになる。
 意のままにならない人生なればこそ、歌も詠まざるをえない。歌によってこの世での己の生涯を認識する。

<2>「ながながし夜」の解釈

  人丸歌「ながながし夜」の歌に対する先人達の解釈は、「ながながし夜」と「ながながしき夜」の詠みを検討している。
No注釈書「ながながし夜」解釈(「ながながし夜」か「ながながしき夜」か)[し夜]・[しき夜]
01細川幽齋
「百人一首抄」
ながながし夜といへるさま、いかほどもかぎりなき夜のながさなり。(し夜)
02後陽成天皇
「百人一首抄」
独ある時は、山鳥の尾の長き夜を、ひとりさてねんかと嘆じたる心也。(し夜)
03北村季吟
「百人一首拾穂抄」
ながながし夜とは、ながながしき夜と云心也。きの字略したるなり。しき夜
04北村季吟
「八代集抄」
かく長々し夜を独かもねんと云に、様々の余情籠れり。(し夜)
05下河辺長流
「百人一首三奥抄」
山鳥のしだり尾は重たる詞なれば、下にもながながし夜とはうけたり。[し夜]
06契沖
「百人一首改観抄」
・・・秋の夜の長き比は、夜寒もそひていよいよひとり寝の苦しきに、・・・(し夜)
07戸田茂睡
「百人一首雑談」
・・・此の長き夜をひとりかもねんと侘びつるに、・・・(し夜)
08栗本英暉
「百人一首解」
・・・ながながし[き]夜を・・・しき夜
09賀茂真淵
「宇比麻奈備」
・・・ながながし夜を思ふ人ともあはで、
・・・そのながきためしに、山鳥の尾をもていひくだしたり。
巻七歌(注1)といふもこのたぐひなれば、・・・
<長永夜乎>を<ながながしよを>とよむ、
<し>の言は、古事記に、宇麻志阿斯訶備(ウマシアシカビ)、
日本紀(神代)に、可美少女(ウマシヲトメ)などの有類の之(シ)なり。
し夜
10衣川長秋
「百人一首峯のかけはし」
山鳥の尾はながきものなれば、ながながしの序にいへり。
万葉集七(注1)に、・・・あるたぐひなり。
し夜
11香川景樹
「百首異見」
四句を昔より<ながながし夜を>と読ひがめたるを、
近く或る人の<ながきながよを>とはよみ解たる、
さてこそ詞もととのひ、文字のうへも穏やかなりけれ。(注2)
しき夜
12斎藤彦麿
「百人一首嵯峨の山ぶみ」
永き夜を妹にあはで、ただひとりにてぬる事かと也。
(賀茂真淵の言及した万葉歌を引用している。)(注1)
し夜
13尾崎雅嘉
「百人一首一夕話」
山鳥の尾はしだりてながながしきものなるが、
此ながながしき夜を、ひとりねする事かといふこころなり。
(しき夜)
14太田白雪
「百人一首解・百敷のかがみ」
・・・ながながし夜を(右註として、きの字略之、と付記)・・・しき夜
15如儡子
「百人一首註解」
・・・なかなかし夜を、とは秋の夜の半。
・・・秋の夜は・・・いと夜長くあけかたき物也。
(し夜)
16大菅自圭
「小倉百首批釈」
・・・山鳥の尾の長きを取りて秋夜のながきを興するなり。・・・(し夜)
17多田義俊講述
谷澤而立輯録
「龍吟明訣抄」
ながながしとは、とかく言語に絶しかたきといふ義にて、
ことばをかへしたるなり。しかとながきと、きはめずに、
しと捨てたる所、秀歌の躰なりと後水尾院の御説なり。
なかしなかしなかしといつまても余情かきりなし。
(し夜)
(注1)賀茂真淵の引用歌
   「庭つ鳥 鶏(かけ)の垂(た)り尾の乱れ尾の 長き心も思ほえぬかも」巻第七 挽歌 1423番歌

(注2)香川景樹は賀茂真淵の「初学(うひまなび)」を批判して、次の自説を展開している。
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   <長永夜乎>を<ながながしよを>とよむ。 
   <し>の言は、古事記に 宇麻志阿斯訶備(ウマシアシカビ)、日本紀に 可美少女(ウマシヲトメ)などある
   類の之也といへるも 非也。こは、宇麻あしかび、うまをとめ とやうに、<し>を除きても同意の言にて、
   たまたま<し>の言の加はりて歎の調をなす古言の常にて、阿那迩夜志少女(アナニヤシヲトメ)、朝毛吉紀路
   (アサモヨシキジ)などの<し>にひとしき躰言なり。
   今の<長永夜乎>といへるは、活らく てにをは にして用言(動詞・形容詞・形容動詞)なれば、さる類ひにあらず。
   <よりて、<ながながしき夜乎>と<伎(き)>文字なくては、つらなり侍らぬ也。>
   ただ<ながながし>とのみ一句いひながす格と、一つに思ひあやまつ事なかれ。もとより、さる詞づかひは 
   さらに世になき事に侍れど、久しき古訓の訛(いつわ)りを誰も耳慣れ侍りて、さるべき詞も有るべきやうに思ひなりて、
   たまたまある人(参考)の<長き永夜を>とよみ解たるにも、猶ためらふ人こそ多く侍れ。
   同じことも、<ながながし道>、<長々し旅>などいはば、誰も聞きしりて詞をなさずといふべし。
   俗にも、<おもおもしき身><とほとほしき人>などいはんを、<おもおもし身><とほとほし人>といふべけんや。
    <されば、長々し夜は雅俗とも通ぜぬ詞也としるべし。>
   源順の齋宮の庚申の文にも、<ながながしき夜をつくづくとや明かすべきと思ほして>とあり。此ぬしも万葉をば
   しかよみおかれたれど、己がこころをのぶるには、<ながながしき夜>とかかれ、又わらはべの此百首をよみ
   ならふはじめに、こころもなく<ながながしき夜を>と<伎(き)>をくはへてとなふるが多し。されば、いづれ
   自然の調也けり。
   然るに、新古今に、「我心 はるの山辺にあくがれて ながながし日をけふはくらしつ」貫之  とあり。
   此歌、家集に見えず。
   亭子院の歌合に、躬恒の歌にて、すなはち<ながながし>の詞につきて負になれる歌也。
   六帖にも躬恒とし、家集にも出せり。
   新古今は、作者の吟味ことに正しからねば、とりたがへられたるにや。
   又、続古今に、 「誰きけと声高砂にさを鹿のながながし夜をひとり鳴らん」友則 とあり。
   此歌は、後撰にありて、よみ人しらず也。後人後撰よりとりて友則集に入たるを、実に友則と思ひて、続古今には
   とられしなるべし。
   さて、延喜のころ、万葉をば解わづらひて、しかよみおかれたらんは、さても有りなん。みづからの歌にさへ、
   さる意もえぬ片なりの詞を、万葉にあらんからに、よみ出られたるは、いかにぞや。恐らくは、後世の弊風ここに
   萠せりといふべし。
      (参考)「近く或る人」とは、荷田春満の解釈「ながながき夜」、鹿持雅澄の解釈「ながきなが夜」などを
           言及しているのであろうか。
      ******************************************************************************************************

<3>重複形容詞「ながながし」

(1)萬葉仮名文「長永夜」ー「ながながし夜」の「ながながし」

  名詞「夜」を形容する語としては、連体形になるべきところ終止形になっていることに関して、
 荷田春満は「ながながき夜」とし、本居宣長や鹿持雅澄、さらには井上通泰は「ながきなが夜」
    あるいは万葉仮名「長永夜乎」の「長」と「永」の使い分けに注意し、あるいは「永」は「此」の
   書き誤りとした上で、「ながきこの夜」と読みかえる、などとしたという。
   (参考)正宗敦夫編「萬葉集総索引ー単語篇」平凡社 昭和49年5月7日 
       萬葉仮名原文「長永夜乎」を「ナガキナガヨ」と訓読している。
   
  国文学者山田孝雄氏は終止形接続の「重複形容詞」または「畳語形容詞」使用の例もあるので、
一概に誤りとは言えないという。反証の事例として、
   *紀友則集「誰きけと声高砂にさを鹿のながながし夜をひとり鳴くらむ」
    ただし、 読人不知 後撰集・巻第七・秋下・373番歌
   *日本語としてまわりくどい「長い長夜」「青い青山」「遠き遠山」「白き白雲」あるいは
    「ながながき」「しろしろき」「たかたかき」などということはない。
   *古典の使用例:古事記「とほとほし越の國」、「賢し女」「愛し女」など。
           日本書紀「香し花橘」「みがほしくに」「愛し妻」「うつくしいも」
           万葉集「愛しつま」「愛しいも」「うつくしまこ」「うらふはしやま」「かぐはしきみ」など。
           源氏物語「あはあはし」「あらあらし」「うとうとし」「おもおもし」「かろがろし」「こはこはし」
               「なほなほし」「わかわかし」など。
   (山田孝雄「百人一首の柿本人丸の歌」万葉・17 昭和30年10月)
  また、辞典によっては「”しき”という連体形が確立する以前におこなわれていた語幹による連体法」
   (「日本国語大辞典」第二版10 2001年10月20日 小学館)という解説もある。
  さらに、山田孝雄氏と同じ次の論説あり。
   *「ながながし」は形容詞の語幹とも、連体形「ながながしき」の「き」が略されたものとも言われるが、
    単に語調からではなく、連体形が未発達の時期に、終止形がそのまま連体形の働きをしたものと
        みてよいだろう。くわし女(美し女)、おなじ所、なども同類と見る。はたらきの上から特殊な連体形とする。
       (三木幸信「解釈と鑑賞・小倉百人一首ー増補版ー」(京都書房)1965年12月) 

  
(2)万葉集の重複形容詞

  万葉集における終止形接続の「重複形容詞」または「畳語形容詞」使用の例を探索する。
    (引用文献)蜂矢真郷「語の文法的構成ー畳語についてー」(「萬葉」八六号(1974年12月))
          蜂矢真郷「重複形容詞の構成」 (「同志社国文学」第十九巻 (1981年10月))

  万葉集から畳語の例を、重複素別に、「形状言の重複」「名詞の重複」「動詞の重複」の三種類に分類している。  
  (イ)形状言の例(サマの複数):タカタカニ(3692番)アラタアラタニ(4299番)ツバラツバラニ(4065番)など。
         「ク活用形容詞(情態的意味)の語幹は重複してシを伴い、ナガナガシ(長永・万二八○二或本歌)のように
          シク活用形容詞(情意的意味)を構成することがある・・・」と言及される。
*情態的意味の「ナガシ」と情意的意味の「ナガナガシ」の違い
     「ナガシ」は事物の情態としてだれがどこからみても「ながい」形態を示しているが、
     「ナガナガシ」はその情態を受け取る人の心の感じ方が「ながい」という状態を示している。
     したがって「ながい」ものは、だれがみてもながいが、「ナガナガシ」き物はみるひとによって
     そんなに「ながい」とは思わない場合もある。
     「独り寝」人には、「短い」「夏の夜」も無性に「長永・ナガナガシ・夜」ものであるが、
     「共寝」の二人には、「ながい」「秋の夜」も誠に「短・ミジカミジカシ?・夜」ということになる。
 
  (ロ)名詞の例(モノの複数):サキザキ(3239番)トキドキ(4323番)ヨヒヨヒ(2929番)クニグニ(4391番)など。
  (ハ)動詞の例(コトの複数):(連用形)ユキユキテ(2395番)コヒコヒテ(661番)スミスミテ(3850番)など。
                 (終止形)ワクワク(3099番)カヌカヌ(3487番)カルカル(3205番)ヌルヌル(3378番)など。
  (ニ)形容詞の例:(重複素末音節ア・ウ・オ列)ナガナガシ(長永・2802或本歌)キラキラシキ(端正・1738番)
             タヅタヅシ(多豆多頭思・575番)ユユシケレ(由遊志計礼・199番)コゴシ(許其思・414番)
             ホトホトシクニ(殆之國)など。
           (重複素末音節イ・エ列)ワイワイシク(垂仁紀)カヘカヘシキ(推古紀)など。

  (ホ)「ナガナガシ」の成り立ちについて
     重複形容詞「ナガナガシ」は重複素「ナガ」を重複して接尾辞シを伴い、シク活用形容詞を構成したもの。
     「ナガナガシ」への理論的順序は、「ナガ」から「ナガナガ」となり、接尾辞シが付加されたもの。

  因みに、蜂矢論文には「時代別国語大辞典」、源氏物語、類聚名義抄より、重複素(例・ナガ)、シ、の構成によって
  次のような重複形容詞を取りあげられている。
   ・「ナガナガシ」「アラアラシ」「スガスガシ」「モノモノシ」「ヲサヲサシ」「ナホナホシ」「カマカマシ」7例。
   ・「ワカワカシ」「アハアハシ」「コハゴハシ」「カルガルシ」「トホトホシ」「オモオモシ」「カロガロシ」など15例。
   ・「シナジナシ」「キラキラシ」「コトゴトシ」「オボオボシ」「ホノボノシ」「サヰサヰシ」「ホレボレシ」など19例。
   ・「ハカバカシ」「マガマガシ」「ヒガヒガシ」「イマイマシ」「ウヤウヤシ」「ヰヤヰヤシ」「サウザウシ」など53例。
  なお、重複素は、一音節、二音節、三音節(例:オトナオトナシなど)、四音節(例:オホヤケオホヤケシなど)など
  確認できるという。

  参考として、現代日本語に於ける重複形容詞は45語挙げられている。
        (「認知意味論に基づく重複形容詞の分析」高見澤孟先生古希記念論文集所収)
  (イ)名詞・形容動詞派生元(25語):ういういしい、うやうやしい、おおしい など。
  (ロ)動詞派生元(4語):いまいましい、おどろおどろしい、なれなれしい、にぎにぎしい。
  (ハ)形容詞派生元(16語):ながながしい、あらあらしい、いたいたしい、おもおもしい など。


(3)勅撰和歌集の「ながながし+名詞」の例           
   勅撰和歌集より「ながなかし+名詞」の詠み例を拾い上げると次のようになる。

      (イ)「ながながし夜」
    「誰聞けと声高砂にさを鹿の ながながし夜 をひとり鳴くらむ」よみ人しらず 後撰集・巻第七・秋下・373番歌
    「葦引きの山鳥の尾のしだりをの ながながし夜を ひとりかもねむ」人まろ 拾遺集・巻第十三・恋三・778番歌
    「たれきけと声高さごにさをしかの ながながしよを ひとりなくらん」紀友則 続古今集・異本歌・1918番歌

   (ロ)「ながながし日」
    「わがこころ春の山辺にあくがれて ながながし日 を今日もくらしつ」 紀貫之  新古今集・81番歌
    「櫻咲く遠山鳥のしだりをの ながながし日 もあかぬ色かな」太上天皇 新古今集・巻第二・春下・99番歌
    「すがのねの ながながし日 もいつのまにつもりてやすくはるはくるらむ」
                                前大納言為定 新拾遺集・巻第二・春下・191番歌
   (ハ)「ながながし」
    「すがのねの ながながし といふ秋の夜は月見ぬ人のいふにぞありける」
                                藤原長能 後拾遺集・第五・秋下・338番歌

   なお、勅撰和歌集の索引には、「ながながしき・・・」あるいは「ながきなが+(名詞)・・・」等の歌語は
   挙げられていないが、「ながきよに」「ながきよの」「ながきよは」「ながきよを」の歌語の詠い込みは、非常に多くの
   例が挙げられる。
   ********************参 考 メ モ*********************

<参考メモ1>万葉集・柿本人麻呂歌集

(1)百人一首第三番歌の歌語

(イ)序詞「あしびきのやまどりのをの」詠み込み例
  「葦引きの山鳥の尾の しだりをの ながながし夜を ひとりかもねむ」人まろ 拾遺集・巻第十三・恋三・778番歌
  「あし引きの山鳥のをの ながらへて あらばあふよをなくなくぞまつ」源家清 続後撰集・巻第十二・恋二・786番歌
  「思へどもおもひもかねつ 足曳きの山鳥のをの ながきこよひを」人丸 新千載集・巻第十二・恋二・1237番歌

(ロ)歌語「やまどりのをの」の詠み込み例 
  「葦引きの 山鳥の尾の しだりをの ながながし夜を ひとりかもねむ」人まろ 拾遺集・巻第十三・恋三・778番歌
  「かひなしや 山どりのをの おのれのみ心ながくは恋ひわたれども」前中納言経継 玉葉集・巻第九・恋一・1306番歌
  「ひとりぬる やまどりのをの しだりをに霜おきまよふ床の月かげ」藤原定家朝臣 新古今集・巻第五・秋下・487番歌

(ハ)歌語「したりを」の詠み込み例
  (1)778番歌および(2)487番歌以外に、次の三首有り。
   「櫻咲く遠山鳥の しだりをの ながながし日もあかぬ色かな」太上天皇 新古今集・巻第二・春下・99番歌
   「なきぬなりゆふつけどりの しだりをの おのれにもにぬ夜半のみじかさ」
                               前中納言定家 続後撰集・巻第四・夏・221番歌
   「きぬぎぬにかこちしとりの しだり尾の そのままながきねにやたてまし」
                            権中納言雅縁 新続古今集・巻第十四・恋四・1417番歌

 人麻呂の歌として百人一首に採られたものは、拾遺和歌集巻十三・恋三・778の歌で、さらに
出典の万葉集では、巻十一・2802番歌の左註に書かれている歌となっています。
 「思へども思ひもかねつあしひきの山鳥の尾の長きこの夜を」

 山鳥といえば、僧行基の歌の方が趣があります。
 「山鳥のほろほろと鳴く声聞けば 父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ」(玉葉和歌集・巻19・釈教・2627)

 ちなみに行基さんが聞いた山鳥の「ほろほろ」と鳴く声とは、雄が縄張り宣言をするときに翼を広げて羽ばたく
「ボロボロボロ」の音ではないかと想像するところです。

 山鳥の詠みとして勅撰和歌集21集には、新古今集など9集に21首詠まれています。


(2)万葉集の人麻呂歌

 連載第168回および第169回で採り上げた持統天皇は、大化元年(645)生まれで、大宝
二年(702)58歳で崩御されました。ほぼこの年代に人生を送っているのが柿本人麻呂で、
推定されている生涯は、大化四年(648)生まれで、慶雲・和銅年間に60歳前後で没したと
され、ほぼ持統天皇と同時代人になります。
 万葉集の中に於ける柿本人麻呂の歌は95首(長歌20首、短歌75首)、それに歌集から
引用されたものが、371首(長歌2首、短歌334首、旋頭歌35首)で、合計466首に
なります。
 この歌数は、大伴家持の479首(長歌46首、短歌431首、旋頭歌1首、連歌1首)に
ほぼ匹敵し、萬葉集中の主要な歌人になります。家持自身も萬葉集中で「山柿之門」(柿本人麻呂と
山部赤人か、山上憶良かは論議あり)と位置付けて尊敬しており、後世の人々は「歌聖」にまで
祭り上げた歌人になります。

        < 人麻呂歌・著名度上位五首>
*もののふの八十宇治川の網代木にいさよふ波のゆくへ知らずも(巻3ー264)
*近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ(巻3ー266)
*東の野にかぎろひの立つ見えてかへりみすれば月かたぶきぬ(巻1ー48)
*玉藻刈る敏馬をすぎて夏草の野島が崎に舟近づきぬ(巻3−250)
*天離る鄙の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ(巻3−255)
これらに次の辞世の歌などを加えれば、人麻呂和歌世界を体験したことになるでしょう。
*楽浪の志賀の唐崎さきくあれど大宮人の舟まちかねつ(巻1−30)
*石見のや高角山の木の間より我が振る袖を妹見つらんか(巻2−132)
*鴨山の岩根しまける我をかもしらにと妹が待ちつつあるらむ(巻2−223)
秋山虔他編集「日本名歌集成」(学灯社)1988年11月より、
稲岡耕二博士撰出柿本人麻呂歌20首からさらに選別したもの。
 

<参考メモ2>山鳥の尾は「ながい」か

 斯くも「長きもの」の譬えに扱われた「山鳥の尾」がそんなに長い物か、事典を引用してみる。
 山鳥(Syrmaticus soemmerringii)鳥綱キジ目キジ科ヤマドリ属に分類される鳥類。
                 日本の固有種。名前は有名だが、野外で出会うのは少し困難な鳥。
 野鳥図鑑によりますと、山鳥は地球上で日本の九州、四国、本州にのみ棲息する日本列島の特産種
ですから、代表的な「日本の鳥」ということになります。人麻呂が日本にのみ棲息する鳥と分かった
上でわざわざ歌に取り込んだとは思えませんが、山鳥を取り込んでいるところに意味がありそうです。
 山鳥は、四季を通じて雉より標高の高い山岳部の森林にのみ留まって開けたところへでない習性で、
一夫多妻制で巣は林の中の地上に作り、雌が卵を抱いて、雛を育てる役目だとのこと。

ヤマドリは雌雄が峰を隔てて寝るという伝承があり、古典文学では「ひとり寝」の例えとして用いられた。
またオスのヤマドリは尾羽が長い事から、「山鳥の尾」は古くは長いものを表す語として用いられており、
百人一首には柿本人麻呂の作として「あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む」が
取られている。この歌では「山鳥の尾のしだり尾の」までが「ながながし」を導く序詞である。

 この山鳥の習性を詠んだ「とほ山鳥」の歌あり。
「逢ふことはとほ山鳥のかり衣きてはかひなきねをのみぞなく」もとよしのみこ 後撰集・巻第十・恋二・679番歌
「逢ふことはとほ山鳥のおのづからかげみしなかもへだてはてつつ」崇賢門院 新後拾遺集・巻第十四・恋四・1170番歌
「あふことはとほ山鳥のおなじ世に心長くてねをのみぞなく」入道前太政大臣 続千載集・巻第十二・恋二・1245番歌

山鳥の体形山鳥の雄山鳥の雌
全長オス約125cm、翼長20.5-23.5cm。
メス約 55cm、翼長19.2-22cm。
体重オス0.9-1.7kg
メス0.7-1.0kg。
オスはかなり長く41.5-95.2cm
メスは16.4-20.5cm。
尾羽数18-20枚。
 雄の体長は125cmほど、雌は50cmで、「長い尾」をもつのは雄だけですから、人麻呂は
雄の山鳥を詠い込んだことになります。
 また、種類は本州、四国、九州で5亜種になり、畿内では主として、「キタヤマドリ」「シコク
ヤマドリ」ですから、人麻呂が歌に引用したヤマドリも、見かけた経験があるとすればこれらの亜種
ということになるのでしょう。

 **************** (参考)尾長鶏について ***************
 「長い尾」の鳥、「尾長鶏」ーオナガドリ(尾長鳥、尾長鶏)ニワトリの品種の一つ。
  長尾鶏(ちょうびけい)、長尾鳥(鶏)(ながおどり)。
   オスの尾羽が極端に長くオナガドリと呼ばれる。高知県原産、日本の特別天然記念物。
   明治時代外国にも輸出、輸出された港の名からyokohamaとして有名。

 「オナガドリ」の始まり、江戸時代土佐藩主山内家が参勤交代に使う飛鳥という槍飾りに用いる長い鶏の尾を農民から集めた。
  明暦(1655年〜1657年)土佐国大篠村(現在の高知県南国市大篠)で、武市利右衛門がオナガドリの原種白藤種を作り出した。
 地鶏とキジや山鳥と交配して作ったとされている。
  1923年(大正12年)国天然記念物指定、9羽まで激減。1952年(昭和27年)、国特別天然記念物指定。
  ニワトリは通常一年に一度羽が生え換わるが、オスのオナガドリは尾羽が生え換わらないため、尾が非常に長くなる。
  明治時代尾長は3m程度、大正時代飼育箱が開発され、長く成長するようになった。

  鶏が長生きした場合には尾の長さが10m以上に達することもあり、最も長いのは1974年に13mという記録がある。
  ギネスブック記録、1974年計測10.6mが最長。現在では尾がそれほど長くならなくなり、2013年3月時点の最長は3.6m、
  大半が1m台。南国市ではDNA解析を基にした交配で、元の姿を取り戻す保護作戦を、長尾鶏センター( 南国市篠原)などで
  始めている。 品種には白藤種、白色種、褐色種などあり。         (WIKIPEDIA情報より) 
*************************************************

<参考メモ3>「秋の夜」は長いか

 和漢朗詠集では秋上・238番歌として、人丸の歌
 「あしびきの山鳥の を(尾・雄) のしだり尾の ながながし(き) 夜を ひとりかもねむ」
があり、その後には、凡河内躬恒は、 秋上・239番歌として、
「むつごともまだつきなくにあけにけりいづらは秋のながしといふ夜は」
         (古今和歌集・巻第十九・雑体・1015番)
と撰定されている。
  同じく和漢朗詠集には、漢詩世界「白氏文集」より「秋夜」と題して次の三句が披露されている。

 「秋の夜長し 夜長くして眠ることなければ 天も明けず
  耿々(こうこう)たる残んの灯の壁に背けたる影 
  蕭々(しょうしょう)たる暗き雨の窓を打つ声」(秋上・233番)

 「遅々たる鐘漏(しょうろう)の初めて長き夜
  耿々(こうこう)たる星河の明けなんとする天」(秋上・234番)

 「燕子楼の中の霜月の夜 秋来たってただひとりの為に長し」(秋上・235番)

*短いとされる「夏の夜」も耐え難い「長い夜」ともなる。
 「夏の夜をねぬにあけぬといひおきし人はものをや思はざりけむ」
               (和漢朗詠集・巻上夏・153番・読人不知)
 「ほととぎす鳴くやさつきのみじかよもひとりしぬればあかしかねつも」
               (和漢朗詠集・巻上夏・155番・人丸)

 歌人が置かれた時間的および空間的条件によって「秋の夜」は、「長くもなり」「短くもなる」ことが分かります。

*暦の上での「あきのよ」の長さ                
 夏至と冬至で比較してみると、5時間の差がある。この5時間の差が感覚として、「夜が長い」と感じる。       
                                              (国立天文台編「理科年表」平成8年・1996年 丸善)
至る日日の出日の入り昼時間夜時間
夏至3時47分19時38分15時間51分8時間9分
冬至6時11分17時7分10時間56分13時間4分

<参考メモ4>漢字「長」と「永」

 「ながい」という漢字は「長い」と「永い」が一般的であるが、この使い分けはどうなっているのでしょう。

 (イ)「長い」:時間的、空間的な事物に関して「短い」に対応する一般的な形容詞に活用される例が多い。
 (ロ)「永い」:主として時間的に「いつまでも続く」という場合に用いられることが多い。

 「長」の熟語は「永」の場合より数倍多いので、「永」の事例をみる。

    「永夜」(長夜ともいう) 「永日」(春の日なが、「長日」は夏の日で、冬至のことを指す場合もあるという)
    「永年」(長年、多年ともいう)「永図」(長計ともいう)「永嘆」(長いため息)「永続」(長続きと言い換えできる)
    「永遠」「永久」(「永劫」「長久」ともいう、「悠久」「久遠」も関連語)
    「永逝」(長逝ともいう)「永別」(永訣・死別とはいうが、長別というか?)「永眠」(長眠というか?)
    「永世」(永代)「永生」(長生、永寿ともいう)「永住」(長年、同じ所に住む)
    「永巷」(後宮女官の居所、「長屋」は落語の世界)
    「永懐」(長年の心の思い)
    「永歌」(声を長く延ばして歌う。「長歌」は歌い方を言う以外に、「反歌」に対応した歌の形式を言う)
           
(参考)名前や地名の世界:長井 永井 長居 永居 永易 永射 長家 長尾 長山 長町 長野 等の中で、

    (長井)と(永井)は系列の氏族か。
     (永井一族)徳川氏譜代家臣の「永井氏族」 本姓 桓武平氏長田氏流 
           平良兼末裔。松平氏(徳川氏)に仕える。元長田氏、主君源義朝の逆臣長田忠致に繋がるとして、
           徳川家康の命により改姓。直勝の代に譜代大名。尚政が老中に就任、尚政の子弟が分家を興す。
           右近太夫直勝曾孫・信濃守尚長が志摩国鳥羽藩主の内藤忠勝に謀殺され、永井宗家は一旦改易。
           尚長の弟・直圓が御家再興、大和新庄藩主として明治維新まで存続した。
           幕末に高名な永井玄蕃頭尚志とは旗本家からの出身。
           直勝系列の直清は山城国長岡藩主から初代高槻藩主となり、善政を布き、明治維新まで存続する。
     (長井一族)鎌倉幕府御家人・武蔵国を本拠にした「大江長井氏」
           藤原北家利仁流斎藤氏族長井氏 
           桓武平氏良文流三浦氏族長井氏 など。(以上、WIKIPEDIA氏族情報による)

     (思いつきの疑問)地名としての「長」と「永」の使い分けは、どうなっているのであろうか。
         (イ)京都地区の例:「長岡」(長岡京市)と「永岡」、
         (ロ)大阪地区の例:「長居」(大阪市住之江区)ー「永居」、
         (ハ)神戸地区の例:「長田」(神戸市長田区)−「永田」、
        「長井」・「永井」、「長山」・「永山」、「長池」・「永池」、「長原」・「永原」など。
         この疑問に対しては、地名研究会のご専門のご回答を待ちたい。

<参考メモ5>万葉集の「ながき」歌

 万葉集中の「ながきよ」の詠み込み例としては、次の歌有り。
 大伴家持と弟書持との唱和したもので、
「今よりは秋風寒く吹きなむを いかにかひとり長き夜を寝む」大伴宿禰家持 万葉集 巻第三 462番歌
「長き夜をひとりや寝むと君がいへば 過ぎにし人の思ほゆらくに」大伴宿禰書持 万葉集 巻第三 463番歌
 巻十には詠物歌あるいは寄物歌の集団の中に
「長き夜を君に恋ひつつ生けらずは 咲きて散りにし花ならましを」読人不知 万葉集 巻第十 2282番歌

 歌語「ながきよ」といえば、著名な「回文歌」がある。
「長き夜の遠の睡りの皆目醒め 波乗り船の音の良きかな」
これは、つぎのように前から詠んでも、後ろから詠んでも、同じ和歌文になっているというもの。
「なかきよのとをのねむりのみなめさめなみのりふねのおとのよきかな」

 回文のついでに、日本一「長い回文」は仮名文字3733からなる文章で、世界一「長い英文字回文」は
17259個のWORDSからなる文章とのこと。頓智の長い単語は「SMILES」で、S−S間がMILEという。
 


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平成25年8月25日  *** 編集責任・奈華仁志 ***

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