平成社会の探索

<「知恵の会」への「知恵袋」>

ー第115回知恵の会資料ー平成25年4月21日ー


(その60)課題「いけ(池)」ー文学苑庭「昆陽池公園」ー
                                 目     次

                               <まえがき>文学碑めぐりの「行基の昆陽池」

       <1>「昆陽池」の歴史 <2>「昆陽池」の特徴 <3>「昆陽池」の文学碑群

            <参考メモ1>行基略年譜  <参考メモ2>昆陽池周辺の歌碑群    
            <参考メモ3>「枕草子」と「なには版枕草子」の「いけ」
          <参考メモ4>農林水産省の「ため池百選」 <参考メモ5>「昆陽池」雑記帳

<まえがき>「行基」の「昆陽池」

 京から西へ、西国街道でを通り猪名川を渡ったところから、武庫川までの猪名野地区には、歴史(<1項>)が古く、
いろいろの特徴(<2項>)を有し、かつ和歌の世界(<3項>)に欠かせぬ「昆陽池」がある。
「昆陽池」は、「久米田池」や「狭山池」などとともに、行基(<参考メモ1>)の展開した灌漑事業の
「ため池」(<参考メモ5>)のひとつである。
 枕草子の「ものはつけーいけは」(<参考メモ3>)に「狭山池」は言及されているが、「昆陽池」は触れられていない。
 ここに紹介する「なには版枕草子」(<参考メモ3>)の「いけは」事項では、取り上げておきたい池である。

<1>「昆陽池」の歴史

 伊丹台地(伊丹市昆陽池三丁目、瑞ケ池二丁目)を東西に走る陥没地帯を利用して、天神川を水源にして行基が築造したと
される五池のひとつ。天平三年(731)頃、行基が摂津国河辺郡を訪れ、昆陽池の上池や下池ほか、数箇所にため池を、
さらに昆陽布施屋を設け、猪名野地区の開発を目的とした総合施設を構成した。下池は慶長年間に埋め立てられたので、
上池が現在の昆陽池とされる。
 池床は東西500間、南北308間で、北堤328間と211間、南堤496間、東堤220間、西296間であったが、
現在は、公園総面積27.8ha、自然池12.5ha、貯水池4.5haで、自然池の中には日本列島の形をした島が
設けられ、野鳥の楽園として親しまれている。
 池北側には行基が池の守護神として勧請したという竜王や大明神の石祠があり、古来佐藤町の佐藤家が代々管理していた。
 周辺の往来は有馬道と行基道があり、大池茶屋などがあったとされる。古来池は殺生禁断の地であった。
 古来、和歌の歌枕の地であった上、江戸期には文学の対象にもなり、昆陽の里に俳人が集まり、俳句集を昆陽寺に
奉納していた。その伝統が継がれて、昆陽池周辺を文学の世界へ造り変えられている。

 昆陽池の北西隣地区は、伊丹清酒発祥の地とされる「鴻池」で、清酒の酒造業で財を成した鴻池の本拠地になっている。
 鴻池地区は、その昔新池、黒池、西池という三つの灌漑用大池があったが、黒池は鴻池として土地の由来になっている。
これは古代の役所である国府の国府池(こうのいけ)が転じたものとされる。

<2>「昆陽池」の特徴

 「昆陽池」の特徴として次の諸点が挙げられよう。
  1.造成されてからの歴史が古い。(前述<1>項の通り)行基菩薩により天平年間に開拓されてより、大凡千三百年間
    地域の灌漑施設として活用されてきた長い歴史を有する。
  2.昆陽池周辺は、文学世界を構成している。歌枕として多くの歌人に詠まれ、現代においても和歌の歌碑を巡らすことに
    よって韻文の世界を演出している。万葉集、勅撰和歌集および百人一首歌、さらには俳句句碑まで配置している。
  3.池堤を公園化して公園本来の散策環境を作り、池の中央に「日本列島を模した島群」を作り出している。これは、
    当該園庭の地表からの眺めを楽しむだけでなく、近くに大阪空港があり、飛行機が離陸あるいは着陸するとき、
    上空からの眺めも考慮している日本でもめづらしい「ため池」と言える。(<参考メモ5>参照)
  4.水鳥の楽園として、晩秋から冬にかけては大凡千羽ほどの渡り鳥がやってくる。野鳥観察施設が整備され、池の辺りは
    昆虫館も整備されている。
 (参考)農林水産省が選定した「ため池」百選の選定基準が参考になる。(<参考メモ4>参照)

<3>「昆陽池」の文学碑群

*文学碑建立事業 
  伊丹市文化財保存協会は次のような趣旨で、「昆陽池」周辺の文学碑建立事業を進めている。
  「伊丹は猪名川の流域として古くから拓け、万葉の昔から平安時代に至って、猪名野、猪名川、昆陽野、昆陽の大池などの
   景勝が詩歌にうたわれ、江戸時代においては、伊丹酒の名声が天下に広がるに連れて、文人墨客が期せずして来遊し、
   伊丹風俳諧をはじめとする文化活動が盛んとなって、酒の町、文化の町として繁昌して、今に多くの文化遺産が
   残されている。
   昭和57年から、歴史を今に生かす市民文化都市のテーマで、新しいまちづくりが提唱され、その一環として伊丹に
   残された詩歌や文章を石に刻み、文学碑として縁りの地に設置すること」
  となった。

*歌枕としての「昆陽池」 (日本歴史地名大系29 兵庫県の地名T 平凡社 1999年10月)
  歌人の例:待賢門院堀河 「こやのいけにおふるあやめのながき音はひくしらいとのここちこそすれ」(詞華集)
       吉田経言   「をし鳥のうきねのとこやあれぬらんつららゐにけりこやの池水」(千載集)
  歌枕としての記述    「和歌初学抄」「八雲御抄」
  謡曲での引用      「敦盛」「忠度」
  漢詩吟詠例ー藤原定家  「過昆陽池入武庫山」(明月記) (添付写真参照)
  枕草子での引用例    「池は」の段の「上の池」とあるのは、当池とする説あり。

(左)昆陽池畔に建立されている定家の漢詩碑(右)その漢詩文

 参 考 メ モ 

<参考メモ1>行基略年譜

天智天皇7年(668年) - 天平21年2月2日(749年2月23日)
奈良時代の高僧。仏教の民衆への布教活動が禁じた時代に、
畿内中心に民衆や豪族層など
広く仏法の教えを説き人々より篤く崇敬された。
道場や寺院を多く建立し、溜池15窪、溝と堀9筋、架橋6所を、
困窮者のための布施屋9ヶ所等の設立など
数々の社会事業を各地で成し遂げた。
朝廷からは度々弾圧や禁圧を受けたたが、
民衆の圧倒的な支持を得てその力を結集して逆境を跳ね返した。
その後、大僧正(最高位である大僧正の位は行基が日本で最初)として
聖武天皇により奈良の大仏(東大寺など)建立の実質上の責任者として招聘された。
この功績により東大寺の「四聖」の一人に数えられている。

伊丹市内御願塚古墳脇の行基菩薩立像

<参考メモ2>伊丹市内昆陽池周辺の歌碑群

  伊丹市文化財保存協会発行の「文学碑をたづねて」による昆陽池周辺の文学碑巡覧
      (平成元年10月1日発行)(添付観光地図参照方)
 序言には「猪名川の流域の伊丹は古くから拓け、万葉の昔から平安時代に至って、
猪名野、猪名川、昆陽野、昆陽の大池などの景勝が詩歌に詠われ、江戸時代に於いては
伊丹酒の名声が天下に広がるにつれて、文人墨客が来遊し、伊丹風俳諧を始めとする
文化活動が盛んに」なったと紹介している。

昆陽池周辺の文学碑一覧地図(伊丹市「いたみウォーキングマップ」平成23年3月発行)
 昭和57年から、文学碑を設置する活動を始め、数年で60基の建立をみている。
 その中から、万葉歌人あるいは百人一首歌人の歌碑を数え上げると次のようになる。

          昆陽池周辺の文学碑群        
歌人分類 碑番号      歌       歌番号   作者    備考
 万葉集  3  志長鳥居名野乎来者    巻7-1140 読人不知  元暦校本
                  有間山夕霧立宿者無而                        万葉集
(万葉集) 12  しなかとりいなのをゆけは  ー   読人不知  元永本
                  ありま山ゆふきりたちぬ                         古今和歌集
                  あけぬこのよは
 万葉集 15  吾妹児ニ猪名野者令見都  巻3-279  高市連黒人 西本願寺本
                  名次山角松原何時可將示                          万葉集
 万葉集 56  武庫河水尾急赤駒     巻7-1141   読人不知  類聚古集
                  足何久激沾祁流鴨
 万葉集 58  かくのみにありけるものを  巻16-3804読人不知    尼崎本  
                  ゐなかわのおくをふかめて                        万葉集
         わがおもへりける
百人一首  1  猪名山の道のささ原埋れて 冬十首  藤原良経  定家本 
                 落ち葉が上に嵐をぞ聞く     541番                秋篠月清集
百人一首  2  ゐなやまの山のしつくに    秋十首    藤原定家  拾遺愚草員外
                  いろつきてしくれもまたす   225番
                  ふくるあきかな
百人一首  5  しながどりゐなののはらの   雑歌     源実朝   金槐和歌集
         ささまくらまくらのしもや   583番
         やどる月かげ 
百人一首  7  津の国のこやとも人を      巻12-691   和泉式部  後拾遺和歌集
         いふへき尓比万こそなけ連   恋2
         芦の八重葺
百人一首  8  川上よあらふ乃池のうきぬ   巻15-872  曽禰好忠  後拾遺和歌集
                  な波うきことあ禮やくる人    雑歌1
                  もなし
百人一首 10  しながとりゐなのふしはら    7番    猿丸大夫  猿丸大夫集
         青山にならむ時にを伊ろ波
         かはらむ
百人一首 11  有間山裾野之原爾風吹者  83番  藤原忠通  田多民治集
         玉藻波依昆陽能池水
百人一首 13 (昆陽池を過ぎ武庫山に入る) 漢詩  藤原定家  明月記

百人一首 14  こやの池に生ふる菖蒲の    巻2-63   待賢門院  詞花和歌集
         ながき根はひく白糸の      夏         堀河
         心地こそすれ 
百人一首 18  ゑにかきて今唐土の人に     955番   慈円    拾玉集
         見せむ霞わたれる昆陽の
         松原
百人一首 21  冴る夜はよその空にぞ      560番   西行法師  山家集
                  鴛鴦も鳴く凍りにけりな    冬歌十首
                  昆陽の池水
百人一首 24  ありま山ゐなのささ原      巻12-709   大貳三位  後拾遺和歌集
                  風吹けばいでそよひとを     恋2
                  わすれやはする
百人一首 25  はつしもハふりにけらしな  巻6-483  藤原俊成  新後拾遺
                   しながどりゐな乃ささはら     冬歌                和歌集
                  いろかハるまで
 百人一首 29  しながどりゐな山ゆすり      6番     猿丸大夫   猿丸大夫集
          行みつのなのみきにいりて
          こひわたるかな
 百人一首 31   芦の葉にかくれてすみし      287番    源重之   重之集
          我がやどのこやもあらはに
          冬はきにけり
 百人一首 33  芦のやのこやのわたりに      巻9-507   能因法師  後拾遺
          日は暮れぬいづち行くらむ    羇旅                  和歌集
          駒にまかせて 
 百人一首 34  津の国の芦のまろやの        559番    西行法師  山家集
          寂しさは冬こそわけて       上巻冬歌
          訪うべかりけれ 
 百人一首 35  たちかへりみちあるみよに    2311番   藤原家隆  壬二集
                  あはむとやをなしこやのの
                  まつむしのこゑ
 百人一首 36  津の国乃蘆の葉凌ぎ降る      121番     大江匡房  江帥集
          雪に昆陽の篠屋も             冬歌
          埋もれにけり 
 百人一首 59  千鳥なくゐなの河原を       巻3-1557   紀貫之  古今和歌六帖 
                  見るときは大和恋しく
                  思ふゆるかな

(参考)猪名野ゆかりの文人達の文学碑
 5番 上島鬼貫 おもしろさ急には見えぬすすき哉 ほか 6,19,23,48,54番句碑
16番 村上潔夫 ところえて千代もすまなむたづねてもこやてふ池の岸のまつかげ
17番 中村良臣 志ら露をたまにぬきとめをとめこかかさしにまかふあきの萩ハら
20番 夏目甕麿 遠つあふみ入り江の月のおもかけも思ひそ出る昆陽の大池
22番 日野草城 かいつぶりさびしくなればくぐりけり
26番 飯尾宗祇 このハくち 水草きよき 川邊哉
27番 後醍醐天皇 命あれば昆陽の軒端の月も見つ又いかならん行く末の空
28番 行基菩薩 山鳥のほろほろとなく声きけば父かとぞおもふ母かとぞ思ふ
30番 梶井基次郎 文学碑(「禁烟日記」よりの抜萃)
32番 鴨長明  津の国のこやの芦手ぞしどろなる難波さしたるあまの住まひぞ
37番 伴林光平 分来てし其の世は夢と成りぬるを何たとらるる猪名のささ原
38番 加納諸平 こをだにと折とる袖に且つおちて露よりもろき玉つばきかな
39番 与謝蕪村  文学碑(「自筆書簡」よりの抜萃)
40番 梶曲阜   文学碑(「照顔斉道の記」よりの抜萃)
41番 井原西鶴  文学碑(「西鶴織留」よりの抜萃)
42番 牡丹花肖柏 あけぼのを 霞にゆるす あらしかな
43番 藤原元親 夢醒めてやとにのこれる松の風花こそあらめ見し人もなし
44番 伊丹之親 春秋の花と月とをときなあらて見はてぬ夢の暁はうし
45番 荒木村重 思ひきやあまのかり橋ふみならしなにはの花も夢ならむとは
    荒木たし 霜かれに残りて我は八重むくらなにはのうらのそこのみくつに
46番 佐藤惣之助 文学碑(詩集「水を歩みて」よりの抜萃)
47番 頼山陽   文学碑(「自筆詩幅」よりの抜萃)
48番 大高子葉 かく山を 引ッ立てて咲 しおに哉(「二ツの竹」より)
49番 若山牧水 手に取らば消なむしら雪はしけやしこの白雪はわがこころ焼く
50番 井原西鶴 あたこ火の かはらけ なけや 伊丹坂
51番 西山宗因 天も酔へりけにや伊丹の大燈籠
52番 高浜虚子 秋風の伊丹古町今通る
53番 橋本香坡  文学碑(漢詩 「自画賛」よりの抜萃)
55番 池田宗旦 踏まれけり 花口惜か 今一度さけ(「自筆短冊」より)
57番 能阿法師 かり枕ゐなのの原に夢さめてかたふく月にしぎの立つ声
60番 斎藤茂吉 猪名川の香はしき魚を前に置き食ふも食はぬも君がまにまに
 

<参考メモ3>「枕草子」と「なには版枕草子」の「ものはづけ」の「池」

 「枕草子」類聚的章段第36段に言及されている「池」は、次の10ないし11の池となる。
   (引用資料:松浦貞俊・石田穣二訳注ー三巻本校定(田中重太郎博士「校本枕冊子」依拠))

(1)勝間田の池:大和、薬師寺東辺にあった。後拾遺集巻十八。万葉集以来の歌枕。
(2)磐余の池:大和、十市郡香久山の東、万葉集巻三、大津皇子辞世の歌。歌枕。
(3)贄野の池:山城、相楽郡、宇治南、井手北辺、奈良への通路、かげろう日記、更級日記に言及。
(4)水なしの池:未詳。
(5)猿沢の池:大和、奈良興福寺南辺。
(6)おまへの池:未詳。
(7)鏡の池(かみの池):(能因本・前田本・抜き書き本での訂正)所在未詳。
             (かみの池の場合は、昆陽池という説もあり。)
(8)狭山の池:河内、田比郡(能因歌枕)。
(9)こひぬまの池:未詳。
(10)はらの池:未詳。武蔵、幡羅郡、五代集歌枕。八雲御抄では摂津。

 「枕草子講座」有精堂編集部1986年9月 増淵勝一「枕草子鑑賞T」による解説
 「十一の池を通覧するに、所在不詳の一、二の例を除き、これらはすべて初瀬詣に往来する、京都の宇治市・
  久世郡から奈良街道を経て平城京・飛鳥付近に散在する池沼ばかりである。」とされ、
(1)勝間田の池:奈良市郊外西の京薬師寺の傍ら
(2)盤余の池:橿原市久米から高市郡明日香村檜前の間にあった池
(3)贄野の池:宇治南、城陽市長池町の長池
(4)水なしの池:綴喜郡井手町水無にあった池
(5)猿沢の池:奈良興福寺傍ら
(6)鏡の池:東大寺大仏殿前の池
(7)御前の池:東大寺と春日社近辺にあったのではないか。
(8)狭山の池:宇治から長池間、久世郡佐山村にあったのではないか。
(9)こひぬまの池:未詳
(10)はらの池:奈良市南部から桜井市近辺にかけて原の地名の所にあったのではないか。
(11)益田の池:奈良県高市郡にあった池。

さらに、能因本に「ますたの地」、前田本に「ますたの地、ひろさはの池」、堺本には、さらに「すがたの池」を加える。

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  なには版「枕草子」の類聚的章段「いけは」  (西・中納言)(せい・ちゅうなごん さんの落書き帳より)

 清少納言さん「枕草子」の「ものはづけ」シリーズとして「いけは・・・」の随想に刺激されて、
 西中納言さんが現代なには版「枕草子」の「いけは・・・」として、書き記した落書き帳より引用。 

1.(枕草子)「池は かつまたの池。いはれの池。にゑのの池、初瀬にまうでしに、水鳥のひまなくゐてたちさはぎしが
        いとをかしう見えし也。」
  (落書き帳)池は 神泉苑。巨椋池。
        大坂は、四天王寺にまうでしに、境内の「亀池」に、子亀のひまなくゐてたちさはぎしが
        いとをかしう見えし也。」
   (評釋) 「亀池」は「供養のために捕らえた生き物を池や野に放してやる放生会」のための「放生池」であろうか。
        もっとも殺生戒に基づき、奈良時代より行われている陰暦8月15日の八幡宮の祭で催されるもので、
        石清水八幡宮や鎌倉鶴岡八幡宮の文治三年(1187)八月十五日に鶴岡放生會などが有名。

2.(枕草子)「水無の池こそ、あやしうなどてつけけるならんとてとひしかば、「五月など、すべて雨いとうふらんとする
        年は、この池に水といふ物なんなくなる。又、いみじうてるべき年は、春のはじめに水なんおほくいづる」
        といひしを、むげになく乾きてあらばこそさもいはめ、出る折もあるを、ひとすじにもつけけるかな」と
        いはまほしかりしか。」
  (落書き帳)どぶ池こそ、あやしうなどてつけけるならんとてとひしかば、「五月など、すべて雨いとうふらんとする
        節は、この池に雨水に汚水といふ物なんよどむなり。」といひしを、「むげにどぶならばこそさもいはめ、
        ひとの出入り多きあきなひのまちなかにあるを、ひとすじにもつけけるかな」といはまほしかりしか。
   (評釋) 「どぶ池(丼池)」は大阪市中央区船場地区にあった池で、旧名「芦間池」、明治7年・1874年に埋め立て。
        丼池(どぶいけ)筋 は心斎橋筋東隣で南北に伸びる。大阪で最初にアーケードが出来たのが丼池筋。
        池に面した丼池筋は第二次大戦前は家具問屋、戦後は繊維問屋が密集。

3.(枕草子)「さるさはの池は、うねべの身なげたるを聞しめして、行幸などありけんこそ、いみじうめでたけれ。
        ねくたれ髪を、と人丸がよみけん程など思ふに、いふもおろか也。」
  (落書き帳)狭山池、また久米田池など、行基菩薩がつくりけん程など思ふに、いふもおろか也。
   (評釋) 日本にため池は21万箇所あり、最多保有の兵庫県には4.4万箇所ほどあり、第五位は大阪府の1.1万箇所で、
        歴史的には崇神朝の狭山池開削に始まり、依網(よさみ)池、茅淳池、茨田堤、横野堤、磐余池、摂津昆陽池
        などが、築造された。

4.(枕草子)「おまへの池、又、何の心にてつけけるならんとゆかし。かがみの池。さ山の池は、三稜草(みくり)といふ歌の
        お(を)かしきがおぼゆるならん。」
  (落書き帳)あみだ池、又、何の心にてつけけるならんとゆかし。落語のをかしきがおぼゆるなり。
   (評釋) 大坂・北堀江の和光寺境内に大きな池があり、その上の浮見堂に阿弥陀如来が祀られていたことに由来する。
        あみだ池筋は、和光寺のすぐ横を通る南北に通じる道路。大阪市北区大淀中二丁目交叉点(なにわ筋・十三筋)から        浪速区芦原橋交叉点(新なにわ筋)に至る。戦前は四つ橋筋とあみだ池筋が西船場・堀江における二大南北幹線。
        古典落語「阿弥陀池」(または「新聞記事」)は明治40年上方の桂文屋が作った上方落語の演目。
        この落語のおちとは「阿弥陀が行け(阿弥陀が池)」。

5.(枕草子)「こひぬまの池。はらの池は、「玉藻なかりそ」といひたるもおかしうおぼゆ。」
  (落書き帳)鴻の池。昆陽(こや)の池は、「津の国のこやとも」といひたるもおかしうおぼゆ。
   (評釋) 猪名野とともに歌枕として著名な「昆陽野・昆陽池」は「津の国」「こや(来や・小屋など)」「芦」の
        三語が関係して用いられる。
        「津の国のこやとも人をいふべきに ひまこそなけれ芦の八重垣」和泉式部
         (「和泉式部集」巻四、「後拾遺和歌集」巻十二・恋)
        鴻池財閥(こうのいけざいばつ)は、江戸時代に成立した日本の財閥。16世紀末、鴻池家が摂津国鴻池村
        (現・兵庫県伊丹市鴻池)で清酒の醸造を始めたことにはじまる。その後、一族が大坂に進出して両替商に転じ、
        鴻池善右衛門家を中心とする同族集団は江戸時代における日本最大の財閥に発展した。

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瑞ケ池公園池畔の和泉式部歌碑
「津の国の古やとも人をいふべきに比万こそなけ連芦の八重葺」

<参考メモ4>農林水産省の「ため池百選」

 ため池の歴史や多様な役割、保全の必要性を国民に理解してもらうため、農業用の水源として
 秀でた特徴を有するため池100地区を選定し、平成22年3月25日公表したもの。

 選定対象<1>農業用の水源として貯留水が利用され、継続的に農業が営まれているもの
     <2>堤の維持管理がなされているもの
     <3>次の視点のうち、ひとつ以上特徴を有するもの
 選定視点<1>農業の礎 <2>歴史・文化・伝統 <3>景観 <4>生物多様性 <5>地域とのかかわり

  都道府県別  北海道1 青森3 岩手4 宮城1 秋田2 山形4 福島2 茨城3 栃木2 群馬1 埼玉1 千葉1
         山梨1  長野5 静岡1 新潟4 富山2 石川2 福井1 岐阜1 愛知4 三重2 滋賀4 京都3
         大阪3  兵庫6 奈良2 和歌山1鳥取2 島根2 岡山2 広島1 山口3 徳島1 香川5 愛媛4
         高地1  福岡1 佐賀2 長崎2 熊本2 大分1 宮崎1 鹿児島1沖縄2

  畿内の事例  京都府 京都市 広沢池 
         京都府 井手町 大正池 
         京都府 舞鶴市 佐織谷池 

        *大阪府 大阪狭山市 狭山池 
        *大阪府 岸和田市 久米田池 
         大阪府 熊取町 長池オアシス(長池、下池) 
          
         兵庫県 加古川市 寺田池 
         兵庫県 稲美町 天満大池 
         兵庫県 明石市、加古川市、高砂市、稲美町、播磨町 いなみ野ため池ミュージアム 
         兵庫県 姫路市、福崎町 西光寺野台地のため池群 
         兵庫県 加西市 長倉池 
        *兵庫県 伊丹市 昆陽池 

         奈良県 斑鳩町 斑鳩ため池 
         奈良県 桜井市 箸中大池

<参考メモ5>「昆陽池」の雑記帳

  所在地ー兵庫県伊丹市昆陽池3丁目 
   交通アクセスーJR宝塚線伊丹駅から伊丹市バス「松ヶ丘」下車、阪急伊丹線伊丹駅から伊丹市バスで「松ヶ丘」下車 
  (1)兵庫県伊丹市の都市公園で、昆陽池として2010年(平成22年)3月25日に農林水産省の「ため池百選」に選定された。
 (2)731年(天平3年)、行基の指導により農業用のため池として昆陽池が作られた。
 (3)1965年(昭和40年)伊丹市が公園化。
 (4)白鳥が自然放養され、冬には3000羽を越えるカモやカモメなど渡り鳥の飛来する。関西屈指の野鳥の楽園。
 (5)池中に日本列島を模した人工島があり、大阪空港を離陸した直後の飛行機の窓からその形を間近に望める。
 (6)市民の憩いの場として、樹木や水生植物の植栽や野鳥の給餌池の設置等、ビオトープ整備が進んでいる。
    一方、近年、樹木に営巣するカワウの糞による被害や、増加するカラスの群れ、野生鳥が公園の樹木を荒らす問題あり。
 (7) 公園施設として伊丹市昆虫館が1990年開館。チョウ温室としては関西一の広さで、一年中チョウが放されている。 
    ふるさと小径、野鳥観察橋、スワンホール(伊丹市立労働福祉会館・青少年センター、など)

 「昆陽池」の北側の中央に日本列島型の「野鳥の島」が配置されている。(添付写真参照)

(左)昆陽池の上空からの写真(右)昆陽池の地図

ホームページ管理人申酉人辛

平成25年3月15日 *** 編集責任・奈華仁志 ***

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