平成社会の探索

<「知恵の会」への「知恵袋」>

ー第114回知恵の会資料ー平成25年3月3日ー


(その59)課題「はる(春)」ー春雨考ー
                                 目     次

                               <まえがき> 「春雨」と「菜種梅雨」

            <1>万葉集の「春雨」<2>勅撰和歌集の「春雨」
        

<3>「春雨」のしくしく「降る」に高円の山の「桜は如何」にかあるらん
(万葉集 巻8−1440番 河辺朝臣東人)

<参考メモ>1.万葉集の「春雨」歌    <参考メモ>2.勅撰和歌集の「春雨」歌 <参考メモ>3.和漢朗詠集や百人一首歌の「春」歌  <参考メモ>4.奈良の春季降水量と桜の開花期 <参考メモ>5.「春雨」雑学帳

<まえがき>「春雨」と「菜種梅雨」

  3月下旬から4月上旬にかけて、菜の花(菜種)の咲く時期に降り続く雨のことを「菜種梅雨」と言う。
 梅雨のように何日も降り続いたり、集中豪雨をみたりすることは少ないが、曇りや雨の日が多く、
すっきりしない天気が何日も続くことが多い。
   冬の間、本州付近を支配していた大陸高気圧の張り出しや、移動性高気圧の通り道が北に偏り、
   その北方高気圧の張り出しの南縁辺に沿って、冷湿な北東気流が吹いたり、本州南岸沿いに前線が
   停滞しやすくなったりするために生ずる。そのため太平洋沿岸部の現象の場合が多く、
   北日本にはこの現象はみられない。
   近年は、暖冬傾向および、温暖化の影響もあり、菜種梅雨が冬に繰り上がる傾向にあるという。

 黄色い柔らかそうな菜の花とその甘い香りが漂ってきて、春の訪れを実感できる景観となる。
 春の到来とともに、菜の花をはじめとする春の季節の色々な花の開花を促す(咲かせる)ところから、
「催花雨(さいかう)」という別名もある。「菜花雨」(菜種の花の雨)から「菜種梅雨」になったとも言われる。

 春雨(はるさめ)は、このころのしっとりとした優しい雨のことを言う場合が多い。
 春から夏にかけて、季節は一年中で最も植物にとって成長を促す大切な雨が降る次節で、この時期の雨には
次のような植物の名前が付いている。

 「菜種梅雨」の季節が終わり、5月初旬は「たけのこ梅雨」、5月中旬からは「卯の花くたし」。
  その後、梅の実の熟す頃、本格的な「梅雨」となる。

 この時節は降雨とともに季節の移り変わりを実感できる風情のある時である。

<1>万葉集の「春雨」

 万葉集には、20首の「春雨」歌(<参考メモ・その1>参照)が残されている。比喩歌として春雨を詠んでいるものも
あれば、春雨と花を絡めて詠んでいるものもがある。
 万葉歌人たちの桜の花にからめた「春雨」の捉え方はいろいろで、桜の開花などの植物の成長を促す雨と捉える一方で、
桜の花などを散らす雨と捉える詠みも見受けられる。
 たとえば、巻第十・春の雑歌で、「春雨に」「さきそめにけり」(1869番歌)と詠んでいる歌の隣の歌は、
「春雨」よ「いたくなふりそ」、「散らまくおしも」(1870番歌)と詠んでいる。

 では、巻8-1440番 河辺朝臣東人(参考メモ・6参照)の心は桜をどのように捉えているのか。当該歌人は、上述の
どちらの状態とも明言していない。
 ちなみに、四番あとの1444番歌では、「山吹」は「春雨に盛りなりけり」と詠まれているが。

 代表的な注釈書の解説を比較してみると、次の一覧表になる。(「咲き初め型」「散り果て型」2.項参照方)
No著者名第五句訳文
<いかにかあるらむ>
解説・評釈型式分類
(2.項参照)
鹿持雅澄イカニカアルラム。今は開出ぬらむと思ひやらるるを、いかで早く行て見ばや、となり。咲き初め
井上通泰何如有良武(イカニカアルラム)。「此頃いかにかあるらむ、今はさき出ぬらむ云々」と釋せる方に心引かる。咲き初め
鴻巣盛廣アノ櫻ノ花ハ咲イタデアラウカ。「山の櫻が咲いたであらうか」と「雨のために散りはせぬか」。恐らく前者であらう。咲き初め
窪田通治ほかどうなったことだらう。咲いたであらうか。 「咲きそめた事であらうか」の意とすべきであらう。春雨の音をきいてやがて咲き出る花に心を馳せてゐる情趣を汲むべき咲き初め
佐佐木信綱どんなであらう。これで蕾が綻びることであらう。 古義説では、まだ見ぬ花を待ち焦がれる気持ちである。結句の語気から察すれば、待ち焦がれる気持ちと解する方が 一層切實に響くやうである。前後数首の配列からも花を待つ歌と考へられる。咲き初め
窪田空穂どのようにあるであろうか。咲き出すことを思いやったもので、 山桜に対しての憧れの心。当時の常識を常識的にいったものであるが、歌としての趣をもっているといえる。 咲き初め
青木生子ほかどんな様子であろう、もう咲き出したであろうか。 春雨が開花を促すものと見て、思いを馳せた歌。咲き初め
澤潟久孝どのやうであらうか。(もう咲きそめていることであらう。) 春雨が花の咲く事を促すものと詠んだ、萬葉集例歌あり。咲き初め
井手 至どうなっているだろう、もう咲き始めたであろうか。 萬葉集古義(鹿持雅澄)説(花の開花を期待したもの)に従うべき。咲き初め
10折口信夫どうなっているだろう。咲いたか知らん。 (特に解説なし)咲き初め
11桜井 満どうなっているだろうか。(もう咲き始めたであろうか) (特に解説なし)咲き初め
12伊藤博どのようになっているであろう。もう咲き出したであろうかな。 春雨を花の咲くのを促すものとする(萬葉集古義の説)に従ったが、確かにこの歌、どちらにも解しうる ところがある。咲き初め
13稲岡耕二どうなっているだろうか。春雨が桜の花を思い恋うて しきりに降るように詠むのだろう。咲き初め
14阿蘇瑞枝どうなっているだろうか。(もう咲き始めたであろうか) 雪の降る早春の歌の間に置かれているところよりすれば、前者(春雨が開花を促すもの)である。咲き初め
15多田一臣どうなっていることだろうか。 天という異界から降る雨には呪力が宿る。そこで「春雨」は開花を促す咲き初め
16加藤千蔭「いかにかあるらむ」「花の長雨にうつろはむ事を思ふ也」散り果て
17二川暁美「どうなっているのだろう」「高円山に咲く桜が散ってしますことに思いをよせている。」散り果て
18高木市之助ほかどんなであろうか。(特に解説せず)(不問)
19佐伯梅友ほかいかにかあるらむ(特に解説せず)(不問)
20土屋文明どんなにあるであらうか。(特に解説せず)(不問)
21中西進どうなっているだろう。春雨によって開花する例と落花する例とある。いずれか不明。(特定せず)
22小島憲之ほかどうなっているだろう。(特に解説せず)(不問)
23なばなひとし
(中西都丸)
如何様にでもある。
(大坂弁の<どないやねん>ではなし)
春が進行するにつれ、桜は春雨とともに開花し、また、咲き切った後、春雨に散ってゆく。進行型
  これまでの万葉学者の間では、圧倒的に「桜が咲いたであろうか」と、「春雨」に桜の開花を期待する、風流人的前向きで
希望の詠み心が望ましいとして、桜の開花に己の楽しみを求めようとする酔(粋)人的「思惑」(花見など)を排除している。
 筆者は厚かましくも、これらいずれも考慮に入れて、春の時節の進行とともに(早春から晩春まで)、いずれの時期でも
「春雨」と「桜の開花状態が詠めている」とする観点に立ちたい。(いいところどりした厚かましい評点か)

<2>勅撰和歌集の「春雨」

  中世の和歌世界では「春雨」はどのように捉えられていたのか。

 まず冬期の雪に変わって春先から降る雨は、植物の成長を促すと期待していた。古今集では、「春雨」と若菜摘みあるいは
野辺の緑と関わって読まれている。(参考メモ・2参照)
 つらゆきの歌の「はるさめ」は「ころも張る」に掛けた言葉遊びの面もあるが、同じ技法で「木の芽」が「膨る」より
大江匡房の歌(参考メモ・2)や藤原定家の歌(参考メモ・2)あり。また「堀河百首」でも「春雨」の題詠作品あり。

 一方で春雨は咲いた花を散らすという仇な一面も山辺赤人の歌(参考メモ・2)に詠まれる。春雨が長雨となり、
もの思いの種になると、式子内親王の歌(参考メモ・2)、さらには有名な小野小町の歌(参考メモ・2および3)になる。
 西行法師の山家集・残集 「雨中落花といふことを」として 
       「春雨に花のみぞれの散りけるを消えでつもれる雪と見たれば」
という詠歌も見られる。

 八代集中の「春雨」歌にも、「植物の成長を促す」と期待したものと「咲いた花を散らす」と残念に思ったものとに分類する
ことができそうだ。そこで、以上の「万葉集」や「勅撰和歌集」(八代集)を次のように、仕分けしてみた。
分類歌型上句下句
分類1咲き初め型「春雨のしくしく降れば」 「高円の山の桜は」ー「咲き初めむかも」
分類2散り果て型「春雨のしくしく降るに」 「高円の山の桜ぞ」ー「な散り果てそ」
   
和歌集歌型歌人または歌番号
萬葉集関係咲き初め型 大伴家持、藤原朝臣久須麻呂、高田女王、1869番歌、1929番歌、3903番歌
散り果て型高橋虫麻呂、1864番歌、1870番歌、1918番歌
勅撰和歌集関係咲き初め型 紀貫之、神祇伯顕仲、藤原基俊、伊勢、凡河内躬恒、大江匡房
散り果て型小野小町、紀貫之、後撰40番歌、大納言長家、山辺赤人、源重之、式子内親王
 この分類では、万葉歌人および平安朝歌人それぞれの春雨の捉えかたを何れの型に考えればよいか、決めかねる。

<3>「高円山の桜は」「如何にかあるらん」

 万葉集 巻8-1440番に鑑賞した河辺朝臣東人の歌心は、「春雨」と「桜の開花」をどのように捉えていたのか、
ここでは、奈良地方気象台の過去の観測データを基に、桜の開花時期と春雨の時期を照らし合わせてみて、
河辺東人の詠歌時期を推測してみる。

(1)桜の開花時期
   桜季節観測表(参考メモ・4参照)によると、ひがんざくらを例に取ると、桜の開花時期はおおよそ3月下旬で、
   平年は3月26日になっている。ただし、この開花時期は、年によってかなり早かったり遅かったりしていることが、
   2010年から2012年三年間のデータでみてもわかるが、一応、平年の月日を基準にする。

(2)春先の降雨量
   2月、3月、4月の降雨量(参考メモ・4参照)を昭和28年から約60年間たどってみると、
   昭和60年ごろまでは、3月よりも4月の降雨量の方が多いが、平成年間では、4月よりも3月の降雨量の方が多い。
   平年値を基に旬ごとの降雨量(参考メモ・4参照)を2月から4月のあいだで比較すると、
   3月下旬に一番降雨量が多く観測されている。

 以上の観測データより、桜の開花時期は三月下旬、降雨量の最も多い時節も三月下旬となり、平均的なデータからの
判断としては、春雨は桜の開花時期にあっていることになる。

 しかし、桜の開花時期および春雨と言われる降雨期も年によってかなり前後に変動することが伺える。
したがって実際には、その年々で春雨の時期と開花時期が合う年(分類1:咲き初め型)もあれば、春雨の時期が4月に遅れて
分類2:散り果て型の歌として詠まれたものと判断される年も出てこよう。

 河辺東人は、いずれの年でも、桜の開花時期と春雨の時期の組み合わせで、何とでも対応できるように、
  「いかにかあるらむ」と詠んで、後世の鑑賞する人の判断に委ねたようだ。(賢い読みか、狡い読みか)



(左)高円山・昭和41年11月(犬養孝「万葉の里」20007年4月13日 和泉書院)
(右)鹿が萩を恋う高円山(米田勝「万葉を行くー心の原風景ー」2002年7月 奈良新聞社)

 参 考 メ モ 

1。万葉集の「春雨」歌

  番号 巻ー歌番号       万  葉  歌                        歌人
  1  巻 4- 786 相聞  *春の雨はいやしき降るに 梅の花いまだ咲かなくいと若みかも   大伴家持
  2  巻 4ー 792 相聞  *春雨を待つとにしあらし わが宿の若木の梅もいまだ含めり    藤原朝臣久須麻呂
  3  巻 9-1696 雑歌   衣手の名木の川辺を 春雨にわれ立ち濡ると 家思ふらむか    人麻呂歌集
  4  巻 9-1697 雑歌   家人の使なるらし 春雨の避くれどわれを濡らさく思へば     人麻呂歌集 
  5  巻 9-1698 雑歌   あぶり干す人もあれやも 家人の春雨すらを間使にする      人麻呂歌集
  6  巻10ー1877 春雑歌  春の雨にありけるものを 立ち隠り妹が家路にこの日暮しつ    読み人知らず
  7  巻10-1878 春雑歌  今行きて聞くものにもが 明日香川 春雨降りて激つ瀬の音を   読み人知らず
  8  巻10-1915 春相聞  わが背子に恋ひてすべ無見春雨の降るわき知らず出でて来しかも  読み人知らず
  9  巻10-1916 春相聞  今さらに君は行かじ 春雨のこころを人の知らざらなくに     読み人知らず
 10  巻10-1917 春相聞  春雨に衣はいたく通らめや 七日しふらば七日来じとや      読み人知らず
 11  巻10-1932 春相聞  春雨の止まず降る降る わが恋ふる人の目すらを相見せなくに   読み人知らず
 12  巻10-1933 春相聞  我妹子に恋ひつつ居れば 春雨のそれも知るごと止まず降りつつ  読み人知らず
 13  巻17-3969      ・・をとめらが・・赤裳の裾の 春雨に にほひひづちて・・・  大伴家持
 14  巻18-4138      やぶなみの里に宿借り 春雨に隠り障むと 妹に告げつや     大伴家持
  
 15  巻 8-1440 春雑歌 *春雨のしくしく降るに 高円の山の桜は いかにかあるらむ     河辺朝臣東人
 16  巻 8-1444 春雑歌 *山吹の咲きたる野辺のつほすみれ この春の雨に盛りなりけり    高田女王
 17  巻 9-1747 雑歌  *・・桜の花は・・春雨の 継ぎてし降れば ほつ枝は散り過ぎにけり・・・高橋虫麻呂
 18   巻10ー1864 春雑歌 *あしひきの山の間照らす桜花 この春雨に散りゆかむかも      読み人知らず
 19   巻10ー1869 春雑歌 *春雨に争ひかねて わが宿の桜の花は 咲きそめにけり       読み人知らず
 20   巻10ー1870 春雑歌 *春雨はいたくな降りそ 桜花いまだ見なくに散らまく惜しも     読み人知らず  
 21   巻10-1918 春相聞 *梅の花散らす春雨いたく降る 旅にや君が廬せるらむ        読み人知らず
 22   巻10-1929 春相聞 *狭野方は実になりにしを 今さらに春雨降りて花咲かめやも     読み人知らず
 23   巻17-3903     *春雨に萌えし柳か 梅の花ともに後れぬ常の物かも         大伴書持


2.勅撰和歌集の「春雨」歌
 番号 勅撰和歌集 巻ー部立 歌番号          和      歌              歌人名
  1 古今集  巻1ー春上  20番 *梓弓おして春雨けふ降りぬあすさへ降らば若菜摘みてむ    読み人しらず
  2 古今集  巻1ー春上  25番 *我が背子が衣はるさめふるごとに野辺の緑ぞ色まさりける   つらゆき
  3 古今集  巻2−春下  88番 *春雨の降るは涙か 桜花散るををしまぬ人しなければ     大伴黒主
  4 古今集  巻2ー春下  113番 *花の色は移りにけりないたづらに我が身よにふるながめせしまに 小野小町 
  2 古今集  巻2−春下 122番  春雨ににほへる色のあかなくに香さへなつかし山吹の花    よみ人しらず
  3 古今集  巻8−離別 402番  かきくらしことは降らなん春雨に濡れ衣着せて君をとどめん  読人しらず
  4 古今集  巻12ー恋二 577番  ねに泣きてひちにしかども春雨に濡れにし袖と 問はば答へん 大江千里
  5 古今集  巻14ー恋四 731番  かげろふのそれかあらぬか春雨のふるひとなれば袖ぞ濡れぬる よみ人しらず

  6 後撰集  巻1-春上    4番  白雲の上知る今日ぞ春雨の降るにかひある身とは知りぬる   読びとしらず
  7 後撰集  巻1-春上     32番  春雨の降らば野山に混じりなん梅の花笠ありといふなり    読み人しらず
  8 後撰集  巻1-春上    39番  春雨にいかにぞ梅や匂ふらむ我が見る枝は色もかはらず    紀長谷雄朝臣
  9 後撰集  巻1-春上    40番 *梅の花散るてふなべに春雨の降りでつつ鳴く鶯の声      よみ人しらず
 10 後撰集  巻2-春中    74番  春雨のよにふりにける心にもなほあたらしく花をこそ思へ   藤原興風
 11 後撰集  巻2-春中    80番  ふりぬとていたくなわびそ春雨のただにやむべきものならなくに 紀貫之
 12 後撰集  巻3-春下   110番  春雨の花の枝より流れこばなほこそぬれめ香もやうつると   敏行朝臣

 13 後拾遺集 巻16-雑二  933番  春雨のふるめかしくもつぐるかなはや柏木のもりにしものを  馬内侍

 14 金葉集  巻1-春     53番  春雨にぬれて尋ねん山桜雲のかへしのあらしもぞ吹く     堀河右大臣
 15 金葉集  巻1-春     89番 *ぬるるさへ嬉しかりけり春雨に色ます藤のしずくと思へば   神祇伯顕仲

 16 詞華集  巻3-秋     132番  春雨のあやをりかけて水の面に秋は紅葉の錦をぞしく     道命法師

 17 千載集  巻1-春上   31番 *よも山に木の芽はるさめ降りぬればかぞいろはとや花の頼まむ 大江匡房
 18 千載集  巻1-春上    32番 *春雨の降りそめしより片岡の裾野の原ぞあさみどりなる    藤原基俊
 19 千載集  巻2-春下    82番 *春雨に散る花見ればかきくらしみぞれし空の心地こそすれ   大納言長家 

 20 新古今集 巻1-春上    63番  霜まよふ空にしをれし雁がねのかへるつばさに春雨ぞ降る   藤原定家朝臣
 21 新古今集 巻1-春上    65番 *水の面にあや織りみだる春雨や山の緑をなべて染むらむ    伊勢
 22 新古今集 巻1-春上    66番  ときはなる山の岩根にむす苔の染めぬみどりに春雨ぞ降る   摂政太政大臣
 23 新古今集 巻1ー春上    68番 *春雨の降りそめしよりあをやぎの絲のみどりぞ色まさりける  凡河内躬恒
 24 新古今集 巻1ー春上    84番  臥して思ひ起きてながむる春雨の花の下紐いかに解くらむ   よみ人しらず
 25 新古今集 巻2-春下   110番 *春雨はいたくな降りそ桜花まだ見ぬ人に散らまくも惜し    赤人
 26 新古今集 巻2ー春下   119番 *春雨のそぼふる空のをやみせず落つる涙に花ぞ散りける    源重之
 27 新古今集 巻2-春下   149番 *花は散りその色となくながむればむなしき空に春雨ぞ降る   式子内親王
 28 新古今集 巻12ー恋二 1107番  思ひあまりそなたの空をながむれば霞を分けて春雨ぞ降る   皇太后宮太夫俊成
 29 新古今集 巻14ー恋四 1250番  春雨の降りしくころは青柳のいと乱れつつ人ぞこひしき    後朱雀院御製 


3。百人一首歌の「春」と「春雨」の歌
 百人一首の「春雨」は、第九番小野小町歌で、「もの思ひ」と「長雨」を掛ける。
 「はなのいろは うつりにけりな いたづらに わがみよにふる ながめせしまに」

 ちなみに、「春」の歌は、全部で6首で、次のとおり。
 「君がため 春の野に出でて 若菜つむ 我が衣手に 雪は降りつつ」(第15番 光孝天皇)
 「ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ」(第33番 紀友則)
 「人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける」(第35番 紀貫之)
 「いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな」(第61番 伊勢大輔)
 「高砂の 尾上の桜 咲にけり 外山の霞 たたずもあらなむ」(第73番 大江匡房)
 ほかに「春」を歌語とした歌としては、次の二首あり。
 「春過ぎて 夏来たるらし 白妙の 衣干すてふ 天香久山」(第2番 持統天皇)
 「春の夜の 夢ばかりなる 手枕に 甲斐無くたたむ なこそ惜しけれ」(第67番 周防内侍)

  他の百首歌の中での「春雨」を、「堀河百首」に見ると、次の16首あり。
 161「野辺ごとに緑ぞ勝る石上ふる春雨にひましなければ」公実
 162「よも山に木の芽はる雨ふりぬればかぞいろはとや花のたのまん」匡房
 163「ふりかかる滴に花やたぐふらんうしろめたなきよはの雨かな」国信
 164「はる雨の野辺の緑をそむればや昨日にけふはいろまさるらん」師ョ
 165「霞しく木の芽はる雨ふるごとに花のたもとはほころびにけり」顕季
 166「さらぬだにぬるる袂をはるの夜のかりのささやは雨もとまらず」顕仲
 167「冬草とみえし春のの小篠原やよひの雨に深みどりなる」仲実
 168「つくづくと思へばかなし数ならぬ身をしる雨よをやみだにせよ」俊頼
 169「雨ふればたもとに色やうつるとて花のしずくにそほちぬるかな」師時
*170「春雨のしくしくふれば山も野もみなおしなべて緑なりけり」顕仲
 171「はる雨のふり初めしより片岡のすそのの原ぞあさみどりなる」基俊
 172「岩の上のこけだにたへぬ春雨の野辺の草葉のいかでもゆらん」永縁
 173「春雨は色もみえぬをいかにして野辺の緑をそむるなるらん」隆源
 174「つくづくと詠めてぞふる春雨のをやまぬ空の軒の玉水」肥後
 175「ふりそむる春雨よりぞ色々の花の錦もほころびにける」紀伊
 176「磯上ふる春雨のつくづくと世のはかなさぞ思ひしらるる」河内


4.「山の桜は いかにかあるらむ」解釋一覧

 校本万葉集五 巻第八 (1994年7月8日 岩波書店) 佐佐木信綱 橋本進吉 千田憲 武田祐吉 久松潜一
   春  雨 乃敷   布零爾高 圓  山 能櫻  者何 如有良武
   ハルノアメノシキシキフルニタカマトノヤマノサクラハイカニアルラム
   [本文](一)圓 ** (二)能 **  (三)櫻  **
   [訓](い)ハルノアメノ ** (ろ)シキシキフルニ **  (は)サクラハイカニアルラム  **
   [諸説]ハルノアメノ ** シキシキフルニ  **   (** 解説文省略)  

その1.咲き初め型

(1)鹿持雅澄(*) 萬葉集古義  (第三 國書刊行會 大正十一年六月十五日)
   読み下し文ーハルサメノ。シクシクフルニ。タカマトノ。ヤマノサクラハ。イカニカアルラム。
   解釈文  ー歌意は、春雨の日をかさねて、重々(シキリシキリ)に降ば、草も木も萌出て、何處も春のけしきに
         なりぬれば、高圓山の櫻花は、此頃いかにかあるらむ、今は開出ぬらむと思ひやらるるを、いかで
         早く行て見ばや、となり。
   (*)(かもちまさずみ)(1791ー1858)江戸後期国学者、歌人。生涯土佐で過ごす。宮地仲枝(みやちなかえ)に
                      師事。赤貧の中、萬葉集研究を大成。
(2)井上通泰(*)萬葉集新考  (国民図書株式会社 昭和三年五月三十日)
   読み下し文ー春雨のしくしくふるに高圓の山の櫻は何如有良武(イカニカアルラム)
   解説文  ー略解に「花の長雨にうつろはん事をおもふ也」といへるよりは古義に「此頃いかにかあるらむ、
         今はさき出ぬらむ云々」と釋せる方に心引かる。
   (*)(いのうえみちやす)(1867ー1941)明治期の桂園派歌人、国文学者。眼科医師でもあった。


(3)鴻巣盛廣 萬葉集全釋  (昭和六年・1931 十月十五日 大倉廣文堂)
   読み下し文ーハルサメノ シクシク フルニ タカマドノ ヤマノサクラハ イカニカアルラム
   解釈文  ー昨日今日春雨ガ頻リニ降ッテヰルガ、アノ高圓山ノ櫻ハドウナッタダラウ。雨雲デ山ノ景色モ
         見エナイガ、アノ櫻ノ花ハ咲イタデアラウカ。
   評    ー山の櫻が咲いたであらうかと想像したものと見る説と、既に咲いてゐる山の櫻が
         雨のために散りはせぬかと案じたものと見る説と両方に分かれてゐるが、恐らく前者であらう。
         連日の雨に高圓山も雲の底に没して見えない頃、山の花はこの雨に催されて、もはや咲いたで
         あらうかどうであらうと、花を待つ心である。何となく温雅な情趣が漾ってゐる作である。
  
(4)窪田通治・藤森朋夫 萬葉集総釋 第四 (1935年・昭和十年九月七日 楽浪書院)
   読み下し文ー春雨のしとしとふるに 高圓の山の櫻はいかにかあるらむ
   口譯   ー春雨がしきりに降ってゐるが、あの高圓山の櫻は、どうなったことだらう。咲いたであらうか。
   後記   ー第五句については二様の解釋がある。
         略解には「花の長雨にうつろはん事をおもふ也」と解き、
         古義には「此頃いかにかあるらむ、今は開出ぬらむと思ひやらるを云々」と解く。
         新釈には「この何れをとるかにつき、集中の雨と花、又は紅葉などの詠みこまれた歌を見出して、
         その関係を詳細に述べ、結論として「雪にふられて梅が咲き、露が置いて萩が咲き、時雨が降って木の葉が
         色つくといふ風に詠まれている歌が多く、従って春雨も花を散らすといふより、花を催すと考へる方が、
         當時の人の自然な考へ方であり云々」といひ、この場合むしろ古義説に従ひ「咲きそめた事であらうか」の
         意とすべきことを説かれてゐる。やはりこれによるべきであらう。春雨の音をきいてやがて咲き出る花に
         心を馳せてゐる情趣を汲むべきである。

(5)佐佐木信綱 評釋萬葉集 巻三 (昭和二十五年・1950 三月二十五日 六興出版社)
   読み下し文ー春雨のしくしくふるに高圓の山の櫻はいかにかあるらむ
   譯    ー暖かい春雨がしきりにふってゐるが、あの高圓山の櫻は、どんなであらう。これで蕾が綻びることであらう。
   評    ーこの歌、古義のように、高圓山の櫻が咲き初めたであらうかの意とも見られ、或は略解のやうに、既に咲いて
         ゐた花が散りはせぬかと憂へてゐる意にも取れる。略解説に従へば、少なくとも一度は眺めた花を惜しんで
         ゐるのであるが、古義説では、まだ見ぬ花を待ち焦がれる気持ちである。結句の語気から察すれば、待ち
         焦がれる気持ちと解する方が一層切實に響くやうである。また、前後数首の配列からも花を待つ歌と
         考へられる。

(6)窪田空穂 全集第十八巻 萬葉集評釈 W (1966年・昭和41年8月15日 角川書店)
   読み下し文ー春雨のしくしく零るに 高圓の山の櫻は いかにかあるらむ
   釈    ー春雨はしきりに降るので、高円の山の桜は、何のやうにあるであらうか。
   評    ー「いかにかあるらむ」は、春雨を花を催すものと見て、その咲き出すことを思ひやったもので、
         山櫻に対しての憧れの心である。當時の常識を常識的に云ったものであるが、歌としての趣を
         持ってゐると云へる。

(7)青木生子・井手至・伊藤博・清水克彦・橋本四郎 新潮日本古典集成 萬葉集二 (1985年・昭和60年2月20日 新潮社)
   読み下し文ー春雨の しくしく降るに 高円の 山の桜は いかにかあるらむ
   解釈文  ー春雨がしきりに降りつづいている今頃、高円山の桜はどんな様子であろう、もう咲き出したであろうか。
   評    ー春雨が開花を促すものと見て、思いを馳せた歌。

(8)澤潟久孝 萬葉集注釋 (1990年・平成2年 中央公論社)
   読み下し文ー春雨の しくしく零るに 高圓の 山の櫻は いかにかあるらむ
   口譯文  ー春雨がしきりに零るに、高圓山の櫻はどのやうであらうか。(もう咲きそめていることであらう。)
   訓釋文  ー「いかにかあるらむ」
         (*)略解に「花の長雨にうつろはむ事を思ふ也」
            春雨に花の散ることを詠んだ萬葉集例歌・巻10-1864、1870番歌
         (*)古義に「春雨の日をかさねて、重々(しきりに)降れば、草も木も萌出て、何処も春の景色に
            なりぬれば、高圓山の櫻花は、この頃いかにかあるらむ、今は開き出ぬらむと思ひやらるるを、
            いかで早く行きて見ばや、となり」
            春雨が花の咲く事を促すものと詠んだ萬葉集例歌・巻4-786、巻10-1869など、
          雪に梅の咲く事を詠み(巻8-1436番歌)、露に萩の咲く詠み(巻801605)などがあり、
          今も古義の説によるべきであらう。

(9)井手 至 萬葉集全注 (1993年・平成五年 有斐閣)
   読み下し文ー春雨の しくしく降るに 高円の 山の桜は いかにかあるらむ
   解釈文  ー春雨がしきりに降り続いている今頃、高円の山の桜は どうなっているだろう、もう咲き始めたであろうか。
   解説文  ー雨と花との関係 
         (*)万葉人は「雨が降ると開花を促す」と考えた。同じような事例として、雪と梅の詠みあり。
            「含めりと言ひし梅が枝 今朝ふりし沫雪にあひて咲きぬらむかも」(巻8-1436 大伴宿禰村上)
                        「今日降りし雪に競ひて わが宿の冬木の梅は 花咲にけり」(巻8-1649 大伴宿禰家持)
            萬葉集古義(鹿持雅澄)説:花の開花を期待したものとみる。
         (*)「雨は花を散らすもの」とも考えた。(巻10-1864、1918など)(参考メモ・1参照)
            萬葉集略解(加藤千蔭)説:散りはせぬかと案じたもの。
         古義以下の諸注に従うべきである。

(10)折口信夫 口訳万葉集(上)(「折口信夫全集9」) (1995年・平成7年10月25日 中央公論社)
   読み下し文ー春雨の頻々降るに、高円の山の桜は、如何にかあるらむ
   解釈文  ー春雨がしきりなく降ってゐるが、あの高円山の桜は、どうなっているだろう。咲いたか知らん。

(11)桜井 満 全訳古典撰集・万葉集(中)(1994年7月20日 旺文社)
   読み下し文ー春雨のしくしく降るに 高円の山の桜は いかにかあるらむ
   口語訳文 ー春雨がしとしとと降るが、あの高円の山の桜はどのようであろうか。ーもう咲きそめたであろうか。

(12)伊藤博  萬葉集釋注 四 巻第七・巻第八  (1999年・平成11年10月17日 集英社)
   読み下し文ー春雨のしくしく降るに高円の山の桜は いかにかあるらむ
   解釈文  ー春雨が開花を促すものと見て、思いを馳せた歌で、
         春雨がしきりに降り続いている今頃、高円山の桜はどのようになっているであろう。もう咲き出したで
         あろうかな、の意。
   評言   ー春雨を花の咲くのを促すものとする場合(巻4・786、巻10・1869)のほかに、春雨に花の散るのを
         惜しむ(巻10・1864、1870)もある。
         萬葉集略解「花の長雨にうつろはむ事をおもふ也」だが、萬葉集古義の説に従ったが、
         確かにこの歌、どちらにも解しうるところがある。

(13)稲岡耕二 和歌文学大系2 萬葉集(二) (2002年・平成14年3月15日 明治書院)
   読み下し文ー春雨のしくしく零るに高円の山の桜はいかにかあるらむ
   下注   ー春雨がしとしと降っている今頃、高円山の山の桜はどうなっているだろうか。
         シクシクは萬葉考の改訓。波の重なり次ぐように、後から後から絶えぬ状態を表す副詞。
         この歌はそれを春雨の形容に用い、春雨が桜の花を思い恋うてしきりに降るように詠むのだろう。

(14)阿蘇瑞枝 萬葉集全歌講義四 巻第八 (2008年7月31日 笠間書院)
   読み下し文ー春雨のしくしく降るに 高円の山の桜は いかにかあるらむ
   訳文   ー春雨がしとしとと降っているが、あの高円山の桜はどうなっているだろうか。(もう咲き始めたであろうか)
   歌意   ー春雨が開花を促すものと見て、山の桜に思いを馳せた歌。春雨によって開花する例(10・1869)と、
         落花する例(10・1864、1870)とがあり、ここはいずれか不明であるが、雪の降る早春の歌の間に置かれて
         いるところよりすれば、前者である。
         佐佐木評釈にも「結句の語気から察すれば、待ち焦がれる気持ちと解釈する方が一層切実に響くやうである。
         また前後数首の配列からも、花をまつ歌と考へられる」とある。

(15)多田一臣 万葉集全解 (2009年7月23日 筑摩書房)
   読み下し文ー春雨のしとしと降るに高円の山の桜はいかにかあるらむ
   訳    ー春雨がしきりに降るにつけても、高円の山の桜はどうなっていることだろうか。
   評言   ー天という異界から降る雨には呪力が宿る。そこで「春雨」の開花を促し(1869)、あるいは散らす
         (1864、1840)。ここは前者か。

その2.散り果て型
   最近の萬葉集関係解説本には、見当たらない解釈で、わずかに、上述の批評に散見されるのみ。

(1)加藤千蔭(*) 萬葉集略解 (第二冊 藤村作ほか 博文館 昭和4年3月15日)
   読み下し文ーはるさめの。しくしくふるに。たかまどの。やまのさくらは。いかにかあるらむ。
   (*)かとうちかげ(1735ー1808)江戸後期歌人、國学者。江戸町与力、賀茂真淵に師事。

   その1・咲き初め型に言及されたもの
   (2) 略解には「花の長雨にうつろはん事をおもふ也」と解き、
   (4) 略解に「花の長雨にうつろはむ事を思ふ也」
   (8)「雨は花を散らすもの」とも考えた。(巻10-1864、1918など)(参考メモ・1参照)
            萬葉集略解説:散りはせぬかと案じたもの。
   (9) 略解に「花の長雨にうつろはむ事を思ふ也」
            春雨に花の散ることを詠んだ萬葉集例歌・巻10-1864、1870番歌

(2)二川暁美 「奈良市の万葉を歩く」(上) (平成20年7月24日 奈良新聞社)
   読み下し文ー春雨の しくしく降るに 高円の 山の桜は いかにかあるらむ
   解説文  ー春雨がしとしと降る中で、雨に打たれて、高円山に咲く桜は散ってしまうことに
         思いを寄せている。

(左)飛火野から高円山展望(右)高円高校付近から高円山遠望
(出典:二川暁美「奈良市の万葉を歩く」p。133および134より)

その3。特定せず、または、言及せず

(1)高木市之助・五味智英・大野晋 日本古典文学大系5 万葉集二 (1959・昭和34年9月5日 岩波書店)
   読み下し文ー(万葉仮名の白文のみ)
   大意   ー春雨がしとしとと降るが、高円山の桜はどんなであろうか。

(2)佐伯梅友・藤森朋夫・石井庄司 校注 日本古典全書 萬葉集二  (1963年・昭和38年3月1日 朝日新聞社)
      読み下し文ー春雨のしくしくふるに 高圓の山の櫻はいかにかあるらむ
   解釈その他の詳細説明は加えられていない。

(3)土屋文明 萬葉集私注四 巻第八 (1969年・昭和44年10月9日 筑摩書房)
   読み下し文ー春の雨のしとしとふるに 高圓の山の櫻はいかにかあるらむ
   大意   ー春の雨がしきりに降るに、高圓の山の櫻は、どんなにあるであらうか。
   語釈   ー(ハルノアメ)と(タカマトヤマ)についてのみ言及。
   作者及作意ー之も取り立てて云ふ所はないが、素直な歌である。

(4)中西進 (講談社古典シリーズ)(古)62萬葉集全訳注原文付(二) (1980・昭和55年2月15日 講談社)
   読み下し文ー春雨のしくしく降るに 高円の山の桜はいかにかあるらむ
   訳文   ー春雨がしきりに降るにつけても、高円山の桜はどうなっているのだろう。
   下注   ー春雨によって開花する例(1869)と落花する例(1864、1870)とある。いずれか不明。

(5)小島憲之・木下正俊・佐竹昭広 完訳「日本の古典」萬葉集(三) (1984年・昭和59年11月30日 小学館)
   読み下し文ー春雨の しくしく降るに 高円の山の桜は いかにかあるらむ
   解釈文  ー春雨がしきりに降っている今頃、高円の山の桜はどうなっているだろう。
   注釈ほか ー(特に言及なし)

(6)小島憲之・木下正俊・佐竹昭広 日本古典文学全集3 万葉集二 (1995年2月10日 小学館)
   読み下し文ー春雨の しくしく降るに 高円の 山の桜は いかにかあるらむ
   解釈文  ー春雨がしきりに降っている今ごろ 高円の山の桜は どんなであろう。
   解説文  ー(第五句には言及せず)

(7)小島憲之・木下正俊・佐竹昭広 新編日本古典文学全7 萬葉集(2) (1995年・平成7年4月10日 小学館)
   読み下し文ー春雨の しくしく降るに 高円の 山の桜は いかにかあるらむ
   解釈文  ー春雨がしきりに降っている今ごろ 高円の山の桜は どんなであろう。
   解説文  ー(第五句には言及せず)

(8)佐竹昭広他 新日本古典文学大系2 萬葉集二 (2000年11月20日 岩波書店)
   読み下し文ー春雨のしくしく降るに高円の山の桜はいかにかあるらむ
   口語訳文 ー春雨がしとしとと降り続いている今、高円山の桜はどのような様子であろうか。
   下注文  ー日毎に降る春雨に花が散るのではないかと心配する歌(略解)(例歌・1864番歌)か、あるいは
         一雨毎に春らしくなり花も開き始めたかと思いやる歌(古義)(例歌・1869番歌)か。


5.奈良の春季降水量と桜の開花期

(1)植物季節観測表(月。日)
種目現象最早最晩平年201020112012
ひがんざくら開花3・114.103.263.213.304.2
満開3・224.144.13.284.64.7
そめいよしの開花3・204.123.293.203.314.3
満開3・264.174.54.24.84.9
(2)春先の降雨量(mm)
   (その1)月ごとの合計値の推移および旬ごとの平年値の推移統計(mm)
西暦年2月3月4月 西暦年2月3月4月 西暦年2月3月4月
195458.078.188.6 197478.589.5182.5 199445.052.069.0
195578.8164.8145.1 197544.041.0117.5 199517.065.5101.5
195618.6151.6139.7 1976123.594.5117.5 199637.5135.037.0
195752.539.6145.8 197755.5161.5107.0 199726.092.087.0
195855.0107.1218.1 197823.552.051.5 1998104.078.0233.0
1959136.594.3143.9 197973.590.5146.0 199945.5119.061.5
196022.573.991.8 198027.0108.0167.5 200036.096.356.5
196127.7104.0132.5 198177.5118.0147.5 200163.072.542.0
196219.539.4132.0 198245.595.0112.5 200249.585.064.5
196333.6103.6131.8 198335.5120.5135.5 200368.0122.5148.5
196483.286.1126.0 198454.048.575.0 200452.582.078.0
196524.2119.289.1 198563.5174.5155.5 200556.563.549.5
196681.9139.799.9 19869.5143.5127.0 2006106.594.0109.0
196738.3139.1206.0 198741.5124.047.5 200757.550.042.0
196865.598.0134.0 198822.598.575.0 200867.5102.5134.5
196987.0124.0118.5 1989216.093.572.5 200984.0121.5109.5
197060.555.0217.0 1990140.5102.072.0 2010122.5169.0144.0
197141.098.5121.5 199159.0169.5139.0 2011100.576.5103.5
1972113.0105.0120.5 199236.0127.0129.5 2012109.0180.587.5
197361.012.5216.5 199359.581.076.0 2013???
   (その2)旬ごとの降雨量の推移統計(mm)
1981-201020112012
2月上旬14.84.045.0
中旬24.620.015.0
下旬23.941.549.0
3月上旬29.318.080.0
中旬32.56.09.5
下旬41.433.091.0
4月上旬35.715.513.0
中旬34.615.562.0
下旬27.541.012.5
5。「春雨」雑学帳
  (1)春雨 (食品) - 緑豆から作る中国の麺 
  (2)春雨 (端唄) 
  (3)春雨 (村下孝蔵の曲) - 村下孝蔵の楽曲 
  (4)日本海軍・海上自衛隊の艦船 春雨型駆逐艦 - 日本海軍の駆逐艦の艦級 
                   春雨 (白露型駆逐艦) - 日本海軍の駆逐艦 
                   はるさめ (護衛艦・初代) - 海上自衛隊の護衛艦 
                   はるさめ (護衛艦・2代) - 海上自衛隊の護衛艦 
  (5)「春雨物語」上田秋成

6.河辺朝臣東人の略歴
  神護景雲元年(767)正月、正六位上より従五位下、叙位。
  寳龜元年(770)十月辛亥(廿三日)石見守。
  天平五年(733)六月、山上憶良が病気になった時、藤原八束の使いとして見舞いに赴いている。
                      (萬葉集巻6−978番歌の左注による)
  天平十一年(739)十月、光明皇后維摩講で田口家守等十数人と萬葉集巻8-1594番歌を琴に合わせて歌っている。
                      (万葉集巻8-1594番歌の左注による)
  天平勝寳二年(750)九月三日宴席で光明皇后の吉野での作(萬葉集巻19-4224番歌)を歌っている。
                      (萬葉集巻19-4224番歌の左注による)
  万葉集には1440番歌一首のみ収録されている。


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平成25年2月3日 *** 編集責任・奈華仁志 ***

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