平成社会の探索

<「知恵の会」への「知恵袋」>

ー第112回知恵の会資料ー平成24年12月2日ー


(その57)課題「ま(間)」
ー短き葦の間ー
 目     次 
<1>「百人一首」の「ま(間)」<2>伊勢の「ま(間)」<3>「あし」の「ま(間)」
 参 考 メ モ 
1・勅撰集・「あし」のアンソロジー 2・伊勢集の「ま(間)」  3・伊勢寺と百人一首歌碑 4・伊勢歌のパロディ集

<1>「百人一首」の「ま(間)」

 百人一首の中に「ま・間」を詠み込んだ歌は、7首ほどあり、時間的「ま」と空間的「ま」を
両方とも同じ程度に取り込んでいます。いずれの切り口で百人一首を鑑賞しても、なかなか
内容の充実したバランスの取れた「アンソロジー」であることがわかります。まさに歌人の
天才・藤原定家のなせる技と言えましょう。
空間的「ま」 難波潟短き葦の節の ま も逢はでこの世をすぐしてよとや19番・伊勢
秋風に棚引く雲の絶え ま よりもれいづる月の影のさやけさ79番・左京大夫顕輔
夜もすがら物思ふ頃はあけやらでねやのひ ま さへつれなかりけり85番・俊恵法師
時間的「ま」 花の色は移りにけりないたづらにわがみよにふるながめせし ま に9番・小野小町
嘆きつつひとりぬる夜のあくる ま はいかに久しきものとかはしる53番・右大将道綱母
めぐりあひて見しやそれともわかぬ ま に雲隠れにし夜半の月かな57番・紫式部
我が袖は潮干に見えぬ沖の石の人こそしらね乾く ま もなし92番・二条院讃岐
 百人一首歌では、葦の(ま・間)または(よ・節)が詠まれています。
 和歌の対象として「梅」「桜」「菊」「紅葉」「若菜」などは当然として、「松」「真木」「秋の草木」
「さねかづら」「浅茅生」などに加えて、「葎」「さしも草」「笹原」「稲」「そま」「しのぶ」まで
詠み込まれ、さらには、伊勢や皇嘉門院別当は、難波潟や難波江の「あし」まで取り込んでいるという
ことになります。
 伊勢の「短き葦の節の<ま>」に関連する百人一首歌として、88番皇嘉門院別当の歌での「ひとよ(一節)」です。
難波江の<あし>
葦・悪し
<かり>
仮・刈り
<ね>
寝・根
<ひとよ>
一夜・一節
ゆゑ <みをつくし>
澪標・身を尽くし
てや恋ひわたるべき
                  
 誠に凝った歌語の寄せ集めで、「難波の葦」を使うと、和歌の世界は(空間的に)「長く」(時間的に)「永く」
展開するようです。
 この二首の歌の「短きもの・(狭いもの)」を一覧表にしますと、次のようになりましょう。
 「短きあし」の「ふし」や「ひとよ」など歌語を用いた「あしのアンソロジー」は、参考・その1参照方。
 
歌人名空間的「ま」時間的「ま」百人一首歌
伊勢ふしのま
(節の間)
このよ(此の世)
(逢い引き)
難波潟短きあしのふしのまも逢はでこのよをすぐしてよとや(19番)
皇嘉門院別当ひとよ(一節)
刈り根
仮寝
一夜
難波江のあしのかりねのひとよゆゑみをつくしてや恋ひわたるべき(88番)

<2>伊勢の「ま(間)」

 百人一首歌人伊勢は「短い物」の譬えに「葦の間」を詠みました。さらに歌の中の「この世」も、さらには
「現世での男女の仲」も短いものの譬えとしたかったのでしょうか。
 この歌では「葦の節の間」という空間的な「間」を詠んでいながら、短い「この世の人生」での「男女の仲」と
いう時間的「間」を詠んでいるという、誠に凝った詠みぶりといえましょう。

 平安時代の人々の中でも「短い物」の譬えとは、「葦の節」であったのですが、現代用語の中から拾ってみますと、
次のようになりましょう。
空間的に短いものの譬え (イ)束の間 ・・・・・・・上代の長さの単位、一束は指四本分の幅、一握り分。
(ロ)目と鼻の先・眉間・・・顔面での短い距離の比喩
(ハ)間一髪・・・・・・・・0.05〜0.15mm
(ニ)世間(比喩的)・・・・仏教用語・この世を二分(世間と出世間)、一般名・この世、世の中、社会
時間的に短いものの譬え (イ)瞬き・一瞬・・・・・・「まだたく」「目(ま)叩(たた)く」
(ロ)刹那・・・・・・・・・指をひとはじきする(弾指)間に65刹那あるとされる。
                  (参考)『大毘婆沙論』:1刹那の長さを1/75秒に比定
(ハ)電光石火・花火・・・・「電光」:稲妻の光、「石火」:火打ち石などを打つときに出る火。
(ニ)人生(比喩的)・・・・古代ギリシャ表現"Ars longa, vita brevis."(芸の道は長く、人生は短い)

<3>「あし」の「ま(間)」

(1)葦の節は短いか?
   伊勢寺の近くの池に群生している葦の節を調べてみました。(添付写真参照)
   茎の部分の節は約5cm、根の部分の節長さは約3cmくらいで、大人の「束の間」より
   明らかに短い長さになっています。
    管理団体(*)の情報に依りますと、雅楽の楽器・篳篥の廬舌(リード部分)は
    長さ55mm・12mm口径とされることから、淀川河川敷の葦の節は、
    5cm以上あることになります。(*)鵜殿ヨシ原研究所


伊勢寺近傍池の葦、枯葉、茎、根の部分の節
    雅楽器・篳篥の廬舌(リード)の素材は、伊勢寺から遠望できる淀川河川敷で、高槻市の
   鵜殿地区に生成する葦に限られてきました。現在は河川環境整備にともない葦の生育が
   難しくなってきたという。

(左)篳篥の廬舌(リード)素材の葦の鵜殿ヨシ原(右)篳篥ろ廬舌
(2)葦のあれこれ
  百人一首歌人伊勢が淀川の葦を百人一首に遺したのは、後世の人々に葦の効用を説かんがためであった
かもしれません。
 伊勢縁りの寺院とされる高槻市天神町内の伊勢寺から遙かに東の方向に淀川の流れが望め、よくよく見ると
河川敷「鵜殿よし原」の葦も遠望することができます。以下、「鵜殿ヨシ原研究所発行の葦関係情報」抜萃

<一口メモ・その1>ヨシ(あし)
   イネ科・ヨシ属 暖帯から亜寒帯にかけて廣く分布し、湖岸や河川などの湿地帯に育成する背の高い多年草
   古代より生活や歴史に密着した植物で、近年「環境植物」として注目されている。
   *古代オリエント、エジプトなど、文明発祥地ではヨシ原があり、文化や生活面に取り入れられるとともに、
    宗教面では、生命の象徴として信仰の対象となってきた。
    日本では、「豊葦原」のヨシ原に恵まれ、煮炊きの燃料、屋根葺き材料、壁材料などに取り入れている。
   *ヨシは、水質浄化と炭酸ガス固定作用の面から、「地球を救う」植物とされてきている。
    ヨシは水中に溶けているリンや窒素を根から吸収して、茎や地下茎に蓄積し、重金属やダイオキシンなどの
    公害物質などを固定する能力もあるとされる。またヨシの地下茎には空気が循環し、根の先から酸素を
    泥の中へ供給し、バクテリアを活性化して、有害なアンモニア瓦斯を分解して空気中に逃がす作用もある。
    
<一口メモ・その2>ヨシか・あしか
   鎌倉時代中期、主として近江のヨシ商人の間で「あし」は「悪し」で縁起が悪いと、反対の「善し」を
   用いだしたことが全国に広まり、「よし」が用語として定着した。
   明治期植物学でも、ヨシを採用し、公用語になった。
   現在、植物学面では「ヨシ」、文学面では「あし」が一般的。

<参考・その1>勅撰集・あしのアンソロジー

    夢にてもみつとないひそ難波なるあしのかりねのひとよばかりは  為道朝臣女 続後拾遺集  825番
  難波潟あしのかりねの夢さめて袖に涼しき短かよの月      前大納言光任 新葉集    229番
  三島江につのぐみわたるあしのねのひとよのほどにはるめきにけり  曽祢好忠 後拾遺集    42番
  難波なるみつともいはじあしのねの短きよはのいざよひの月    正五位知家 続後撰集   218番
  難波女にみつとはなしにあしのねのよのみじかくてあくる侘びしさ    道風 後撰集    887番
  難波人みそぎすらしも夏かりのあしのひとよに秋をへだてて  等持院贈左大臣 新後拾遺集  279番
  津の国のながらふべくもあらぬかな短きあしのよにこそありけれ  花山院御歌 新古今集  1848番
  難波なるみをつくしてもかひぞなき短きあしのひとよばかりは  前中納言定家 続後拾遺集  824番
  ほととぎす難波のこともかたらはで短きあしのよはぞふけける 後花山院内大臣 新続古今集 1663番

<参考・その2>伊勢集の「ま(間)」

(1)伊勢集(482首・国歌大観)の「ま(間)」の歌例
  (イ)よひの ま にはやなぐさめよいその神ふりにしとこもうちはらふべく  (14)時間的「ま」
  (ロ)いかなればにしになるらん月かげのかたぶく ま にもかなしかるらん (139)時間的「ま」
  (ハ)あひみてもつつむおもひのわびしきは人 ま にのみぞねはなかれける  (144)空間的「ま」
  (ニ)ありはてぬいのちまつ ま のほどばかりうきことしげくおもはずもがな(168)時間的「ま」
  (ホ)わたるとて影をだにみじたなばたは人のみぬ ま まちもこそすれ   (169)時間的「ま」
  (ヘ)すみよしのきしにきよするおきつなみ ま なくかけてもおもほゆるかな (260)空間的「ま」
  (ト)かたときの人をみし ま によるものはただかたおもひになるぞかなしき(282)時間的「ま」
  (チ)行く春を一声なきてうぐひすは夜の ま なみだをたむるなりけり   (301)時間的「ま」
  (リ)もりませどよるはなほこそたのまるれぬる ま もあらばこさむと思へば(317)時間的「ま」
  (ヌ)我がこひはありそのうみのかぜはやみしきりによするなみの ま もなし (412)空間的「ま」
  (ル)しらなみをよするいそ ま にこぐふねのかぢとる ま なく思ほゆるかな(430)空間的および
                                           時間的「ま」
  (ヲ)うつせみのおもひにこゑしたえざらばまたも雲 ま につゆはおくらん (476)空間的「ま」

(2)伊勢集における<伊勢の心の故郷>
 傷心の身で大和へ逃避した伊勢の精神的な「心のふるさと」を伊勢集の中に探索してみました。
 ヒントは百人一首歌の世界「難波潟」です。
 
 伊勢集には、480数首収録されていますが、それらの歌を追っていく内に、主テーマ「海」に
関係する歌が多いことに気がつきます。それを知ってか藤原定家も百人一首に伊勢の歌世界の代表と
して、「難波潟」を抽出したのかも知れません。
 (3)に、その主題「海」のリストを添付します。486首中61首(12.5%)、すなわち8首に
1首は「海」に拘っているわけです。

 その拘りの心の核心は何かというと、次の4首の歌の心にあります。

 「住吉の岸に寄すなる沖つ波間なくかけてもおもほゆるかな」(407番歌)
 「我が恋は荒磯の海の風はやみしきりに寄する波のまもなし」(412番歌)
 「浦近く波は立ち寄るさざれ石の中の思ひは知るや知らずや」(434番歌)
 「伊勢の海にあそぶ海人ともなりにしか波かき分けて海松かづかむ」(460番歌)

 その浜辺をさまようものとして、彼女は自分自身を「浜千鳥」に託しています。浜千鳥の歌がなんと
6首もあるのです。伊勢集の中で詠まれている動物や鳥には他にたづ(鶴)が数首ありますが、鶴も
海辺や水辺に関係した鳥であるわけです。 

 「たちかへりふみゆかざらば 浜千鳥 跡見つとだに君言はましや」(19番歌)
 「年ふれど何時も我こそ忘れずの 浜千鳥 とはなきわたりつれ」(163番歌)
 「浜千鳥 翼のなきをとふからに雲路にいかでおもひかくらん」(189番歌)
 「なだの海の清き渚に 浜千鳥 ふみおくあとを波や消つらん」(191番歌)
 「なだの海は荒れぞまさらん 浜千鳥 なごむるかたの跡を尋ねよ」(192番歌)
 「わすらるる我が身をしらで 浜千鳥 ふみとめてきとたのみけるかな」(327番歌)

(3)「伊勢集」での海関連歌一覧
   「海」縁語                 歌 番 号 
  海・わたつみ   5・6・15・25・47・71・158・191・192・193・219・460 
  波・浪      111・156・175・195・261・383・427・430 
  浜・汀      85・393 
  潟        164・418・429 
  島        428 
  浦・浦風     210・211・379・380・382・388・390・392・395・434 
  磯・荒磯     222・412・422 
  灘        397 
  沖        260・384・407 
  海人       73・196・299・386・421・461 
  舟・船      72・157・194・385・431 
  碇        197 
  玉藻       70・300 
  たづ・あしたづ  68 
  浜千鳥      19・163・189・191・192・327 

<参考・その3>伊勢寺と百人一首歌碑

1.伊勢寺 金剛山象王窟(こんごうさん−しょうおうくつ)曹洞宗
  所在地:高槻市天神町1丁目
  本尊:聖観音菩薩
  由緒:寺伝によれば、宇多天皇の御息所で、平安中期の女流歌人で三十六歌仙の一人伊勢の晩年の住居跡に
     建つといい、天正年間に高山氏の兵火で焼失したといわれている。その後、元和から寛永年間
    (17世紀前半)宗永によって再興され、伊勢が結んだ庵を天台宗の寺に改めたものと伝えられる。
     江戸時代に再興され曹洞宗に改められたと伝えられる。
  史跡:伊勢廟堂(いせびょうどう):本堂西側にあり、碑は慶安4年(1651)高槻城主永井直清が建立。
     碑の文章は幕府の大学頭・儒学者林羅山が記した。直清は、その前年に能因法師を顕彰しており、
     能因が慕っていたという伊勢と寺名を結びつけた伝承をもとにして、これを顕彰したという。
2.百人一首歌碑
  参道脇に平成11年1月、伊勢の百人一首歌の歌碑が建立された。

伊勢寺参道石段

伊勢廟堂

伊勢の百人一首歌の歌碑

<参考・その4>伊勢歌のパロディ集

(1)異種百人一首関係パロディ集
「小倉百人一首」の変則形態としての「異種百人一首」が15世紀頃から出始め、その嚆矢は「新百人一首」
(足利義尚撰文明十五年・1484)で、その後引き続いて「武備百人一首」(天文二〇年・1551)、
「武家百人一首」(万治三年・1660)、「江戸名所百人一首」(寛文三年・1663)など世に出た。
 18種「異種百人一首」より、伊勢の第19番歌を抽出した。

 「草の名も所によりて変わるなり難波の葦は伊勢の浜荻」
 「難波潟短き葦を伊勢ならばただ浜荻と詠みそうなもの」
 「難波潟短き足の亀は亀鶴のながきもよしや世の中」
 「生蛸の短き足の太きのを切らでこのままくうてみよとや」(どうけ百人一首)
 「月見酒なにもさかなは難波潟塩煮の芋を座のしほにして」(狂歌乗合船)
 「なにはがたよしや悪所のよね衆が上げて今宵を過ぐしてよとや」(傾城百人一首)

(引用資料)(その1):吉海直人編「百人一首研究資料集」
      (その2):武藤禎夫「江戸のパロディ・もじり百人一首を読む」東京堂出版(平成10年12月30日)
      (その3):西本護「爆笑パロディ百人一首」京都新聞出版センター(2006年1月21日)  

(2)「伊勢歌」の江戸川柳集
   *「浜荻を他国の名にて伊勢は詠み」伊勢=浜荻、伊勢歌=難波潟
   *「短き足で難波江に亀は住み」(葦を足に読み替え)
   *「短き足の 節の出る 貸し布団」

 (引用資料:阿部達二「江戸川柳で読む百人一首」角川選書328(平成13年11月30日))


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平成24年11月3日 *** 編集責任・奈華仁志 ***

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