平成社会の探索

<「知恵の会」への「知恵袋」>

ー第102回知恵の会資料ー平成23年7月30日ー


(その47)課題「おうぎ・あふぎ(扇)」
ー「投扇興」ー
 目     次 
まえがき
(その1)投扇興の要点と歴史(その2)「投扇興」体験記(その3)「投扇興点式絵図」
(参考)「投扇興」のホームページ情報例

<まえがき>

 3月の東日本大震災以来、夏期の涼を取る手段として電力に頼らない<エコノミカルクーリングシステム>と
して「扇」ほど簡単で経済的なものはないでしょう。一般家庭に「クーラー」など持ち得なかった半世紀前までの
日本社会では、当たり前の耐暑方法であったもので、見直されるべきではないでしょうか。

 日本に於ける「扇」は平安時代頃から、本来の「あおぐ」目的以外に、いろいろの道具として活用されて
その使用範囲を拡げてきました。それは「日本伝統芸能」である能、狂言、歌舞伎や日本舞踊などでは、
必須の道具となり、芸道である茶道、香道、蹴鞠、弓道などにおいて、さらには近世では落語の世界などでも
無くてはならない必需用具になってきましたし、最近では、将棋や囲碁の対戦者の持ち物にまで及んでいます。

 少し変わった「扇」の取り扱いとして、遊戯世界に於ける「投扇」あるいは「投扇興」といわれる「扇」の
遊びがあります。「涼」を得るのではなく、「興」を得るための「扇」を取りあげてみました。

<(その1)投扇興の要点と歴史>

1.投扇興とは 木製の台(近世まで箱枕として使われていた長方四面体)の上に立てられた的に扇を当てて
        扇と的の当たり具合を採点する。投げ扇、扇落としなどとも呼ばれたが、「的」に「扇」を
        絡ませると説明した方が妥当。
        この遊びの起源は中国の「礼記」や「春秋」に言及されている投壺、すなわち壺に矢を投げ
        入れる遊びとされる。

2.歴史    いつ頃誰が考え出したかは不詳、ただし、江戸中期・安永二年(1773)頃、専門書が
        複数冊発行されている。街中に小屋がけの遊戯場が出来、はやっていたが、禁止令がだされ
        衰退する。明治以降は主に女児の遊戯となり、京都の扇店が専門の道具を製造販売している。

3.使用道具類 (1)扇 竹骨が数本の普通の扇(『十二骨の俗扇を用ゆべし』「投扇例」)
        (2)台 木製の台で、「枕」あるいは「花台」ともいう。
             (『枕は常に木枕の寸法なり』「曲扇興図式」)
        (3)的 江戸安永期は「文銭」を銀紙に包んだものを、後に銀杏葉を立てた形に変わり、
             「蝶」あるいは「花」と言われる。
             木枕に「蝶」が留まっているところに「扇」を投げて、「蝶」と「扇」の舞を
              楽しむという趣向であるともいう。
             (『通宝十二字を銀紙五寸四方にたちて包み、蝶の形に似せ水引にて結ぶべし』
               「曲扇興図式」)
        (4)席 毛氈を敷いてその上に、上述の道具類を設営する。
             (『氈は猩々緋または緋羅紗もうせん等よろし、・氈たけ六尺二寸五分巾二尺』
               「扇容曲」)
       

4.遊戯方法  (1)的の据え付け 畳の一方に台を置きその上に的を載せる。
        (2)投扇の距離  的の据えられた枕と投扇者の席は、三〜四扇長さ分を隔てて設定。
                 (『枕と投席の間は、四季をかたどりて四扇を隔べし』「曲扇興図式」)
        (3)扇の構え方  扇の要を親指、人差し指、中指で挟みもち、後者二本指で方向を
                  定めて、扇を裏返すように要を的の方向へ送り出す。
                 (『扇は顎の辺りに持ち、扇の骨の間より蝶を的にみて扇を投るなり』
                  「投扇興仕方」)
        (4)投扇の採点  扇を的に向かって投げた結果の的、扇、枕の形態(<銘>という)で、
                  点数を決める。
        (5)投扇回数   十二回を一競技とする。
                 (『投ること十二遍にして満投とす。』「曲扇興図式」)
        (6)競技点数   所定の回数だけ投扇し、点数の合計で勝敗を決める。
        (7)「点式繪図」 <1>安永期:百人一首の用語(その3・投扇興点式絵図参照)
                  <2>その後:源氏物語の巻名(その3・投扇興点式絵図参照)

5.遊戯現況  嘗ては貴族の遊びあるいは芸者の遊戯として、花柳界や寺社などで行われていたが、
        近年は優雅な趣を利用して流派を名乗り、家元や作法をそれぞれに決めて行っている。
        インターネット情報による流派とは、
        (1)其扇流(きせんりゅう):東都浅草投扇興保存振興会、1975年頃浅草観光連盟で、
           発足し、家元は12代市川團十郎、点数は「源氏物語」に依っている。
           (関係先:浅草・荒井文扇堂、銀扇庵など)
        (2)御扇流(みせんりゅう):日本投扇興保存振興会、1974年結成された。
           秋篠宮親王が幼時に楽しんだとのこと。点数は「百人一首」に依っている。
        (3)都御流(みやこおんりゅう)
           (関係先:京都・宮脇賣扇庵、京人形田中弥)
        (4)戸羽流(とわりゅう)
           (関係先:はんげしょう・・・(その2)参照。
         その他:日本投扇興連盟・・・東京赤坂・投扇菴など。

<(その2)「投扇興」体験記>

1.大阪商業大学(注1)アミューズメント産業研究所の企画による「投扇興」体験会
  第10回特別展示ミニ企画 「世界の伝統ゲーム展ー創設10周年を回顧してー」
  ★伝統ゲーム(投扇興)を楽しもう 平成23年1月30日 於アミューズメント産業研究所
   高橋浩徳研究員(注2)の解説と実技指導 :点数は付けず。(写真1)参照
   (注1)東大阪市御厨榮町4−1−10 (http://ocu.daishodai.ac.jp/facilities/ams_labo/)
      (注2)「投扇興」あるいは「投げ扇」と呼ばれる遊びについて
       遊戯史学会誌「遊戯史研究」第十七号 42〜68頁
       (1988年・昭和63年12月、遊戯歴史を解明すべく発足。会員100名以上。
        会長:遊戯史研究家・増川宏一氏、毎年紀要「遊戯史研究」発行。)

2.扇や・半げしょう(注3)での「投扇興」体験:点数は付けず。(パンフレット)参照
   (注3)住所・京都市東山区本町五條上ル森下町535
         (参考)<半夏生(はんげしょう)>とは 
       雑節の一つ、半夏(烏柄杓)という薬草が生えるころ
       (ハンゲショウ(カタシログサ)という草の葉が半分白く化粧しているようになるころ)。
       七十二候の一つ「半夏生」(はんげしょうず)から作られた暦日、
       夏至から数えて11日目、天球上の黄経100度の点を太陽が通過する日(毎年7月2日頃)。
       農家の大事な節目の日、この日までに農作業を終え、この日から5日間は休みとする地方もある。
       この日は天から毒気が降ると言われ、井戸に蓋をして毒気を防いだり、
       この日に採った野菜は食べてはいけないとされたり、この時期に農作業を行うことに対する
       戒めともなっている。
       上方ではこの日に蛸を、讃岐では饂飩を、福井県では大野市などで焼き鯖を食べる習慣がある。
       この頃に降る雨を「半夏雨」(はんげあめ)といい、大雨になることが多い。
                        (WIKIPEDIA辞書より)

<(その3)「投扇興点式絵図」>

1.源氏物語の巻名を用いた点式繪図
  「紫式部石山遊 源氏五十四帖 投扇興点式繪図」天保十二年(1841)(添付 図1)
      (高橋研究員の遊戯史学会論文より)
   銘と点数は次の通りであるが、銘と点数の関係は不明。「夢浮橋」が54帖目で最期だから
  100点を与えるということは、何となく理屈付け出来るが、一方で、「花散里」が零点となり、
  台を倒すと「野分」となり減点50とは、なんとも悲惨である。一方、本文のない「雲隠」まで、
  ご丁寧に2点を配点しているところがまたなんとなく関心のいく所です。
   何か物語の内容に則した点数付けの条件があるのか、是非とも一度、江戸期の「繪図」作成者に
  配点の意図を伺いたいところ。

   銘  桐壺 帚木 空蝉 夕霧 若紫 末摘花 紅葉賀 花宴 葵 賢木 花散里 須磨 明石
   点数 75 80 15  8 10   2   4  5 5  7   0 10 20
   銘  澪標 蓬生 関屋 絵合 松風 薄雲 朝顔 少女 玉鬘 初音 胡蝶 蛍 常夏  
   点数 55 50  1  3  4  2  8 65 30 15 85 5  5
   銘  篝火 野分* 行幸 藤袴 真木柱 梅枝 藤裏葉 若菜 柏木 横笛 鈴虫 夕霧 御法
   点数 90 50   3  5  25  4  45  7  7 55  8  8 95
   銘   幻 雲隠 匂宮 紅梅 竹河 橋姫 椎本 総角 早蕨 宿木 東屋 浮舟 蜻蛉 
   点数 20  2  5 60 15 30 15  5  4  8  5 20 40
   銘  手習** 夢浮橋 
   点数  1   100
   (注)野分*:扇が台(木枕)に当たり、台が倒れると、過料(減点50)
      手習**:扇が台(木枕)に当たったものは、過料(減点1)

2.百人一首の言葉を用いた点式繪図
     銘と点数は次の通りであるが、銘と点数の関係は、源氏物語による点式繪図同様、不詳である。

  (その1)『曲扇興図式』『投扇例』による場合

   銘   刈穂の庵 御幸 筑羽根 千鳥 冨士 三笠 有明 錦 秋の野 初霜 松山 散る花
   点数   12  11  10  9  8  7  6 5  4   3  2  1
   銘   置く霜  雲隠れ 山嵐 村雨・あだ浪・ゆらの戸
   点数   −1  −2  −3  不中扇(注)
    (注)扇が的の当たっていない。

  (その2)『投扇興譜』による場合
       (その1)よりも銘数が増えて十八種類になり、表十二組、裏六組となっており、
       「表で投げるときは、裏は無し。但し組んでも良い」という。
表十二組
刈穂の庵
二十五点
御幸
二十点
筑羽根
十五点
千鳥
十三点
冨士
十二点
三笠
十一点
有明
十点

九点
雲隠れ
八点
散る花
七点
置く霜
五点
山嵐
三点
裏六組
因幡山
三十点
御垣守
三十一点
白雪
三十二点
乙女
三十三点
若菜
三十五点
軒端
五十点
  (その3)その他、『投扇新興』では、二十二種類、「扇容曲」では、二十九種類となっている。

3.百人一首の点式繪図についてのコメント
  「源氏物語」に基づく点式繪図では、細かく五十四帖毎の点数を構成していながら、「百人一首」に
  基づく点式繪図では、二十種類前後に留めている。
   選定された歌番号を整理してみると、

   歌番号  1   26   13  78   4    7    21  24
   歌人名 天智天皇 貞信公 陽成院  源兼昌 山邊赤人 安陪仲麿 素性法師 菅家
   銘名  苅穂   御幸  筑波根  千鳥  富士   三笠山   有明  錦
   点数  25   20   15  13  12    11   10  9
   歌番号 57   33    6     22 
   歌人名 紫式部  紀友則  中納言家持 文屋康秀
   銘名  雲隠   散花   置霜     山嵐
   点数   8    7    5      3
   歌番号 16    49      31   12   15    100
   歌人名 中納言行平 大中臣能宣  坂上是則 僧正遍昭  光孝天皇  順徳院
   銘名  因幡山   御垣守    白雪    乙女   若菜     軒端
   点数  30    31      32   33   35     50

   歌番号第百番と第一番には高得点を与えている考えは、源氏物語での得点の考えと似通っている。
   選ばれた歌番号を順番に並べてみると、ほとんど50番までの歌より銘名を取っていることが分かる。
   1・4・6・7・12・13・15・16・21・22・24・26・31・33・49・
   57・78・100
   筆者のコメントとして是非「歌仙」ならぬ「歌扇」なる高得点歌人として入れて欲しかったのは、
    3番:柿本人麻呂 17番:在原業平朝臣 19番:伊勢 34番:紀貫之 
   55番:大納言公任 56番:和泉式部   86番:西行 97番:権中納言定家

(参考)「投扇興」のホームページ情報例

  投扇興に関する詳細なホームページ情報例として、「投扇興研究室」(検索エンジンのキーワード)では、
投扇興に関する                  (http://www.tosenkyo.net/)
 (1)概要と歴史 (2)流派 (3)投扇興の行われている全国の地区の紹介
 (4)文学や芸術との関係   (5)投扇興の各種記録類
 (6)投扇興の道具類     (7)関連ホームページ情報
などが掲載されている。

ホームページ管理人申酉人辛

平成23年7月2日 *** 編集責任・奈華仁志 ***

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