平成社会の探索

<「知恵の会」への「知恵袋」>

ー第101回知恵の会資料ー平成23年6月19日ー


(その46)課題「いも(芋・妹)」
ー「いも飴」ー
 目     次 
まえがき
(その1)いも料理といも加工品
(その2)「いも飴 」あれこれ
(参考)「さつまいも」文芸・芸能世界

<(まえがき)「からいも・さつまいも」の伝来>

 「さつまいも」はコロンブスが1492年にアメリカ大陸発見後、スペインに持ち帰り、
イザベラ女王に献上し、その後、世界各地に伝播したとされるが、そのルートは原産地である
南米から三方向に伝播していったという。それらのうち日本へは、中国経由、あるいは
フィリピン経由、伝来した歴史が辿れる。
 (参考として、そのルートを辿り、「さつまいも<伝来歌>を作製しました。)

 日本へやってきた食物としての「さつまいも」は、食糧事情が良くない時、例えば
江戸時代の各地で起こった大飢饉の時、あるいは近いところでは戦後の物のない社会での
食料源という印象が強い。
 「さつまいも」はいろいろの調理によって豊富な、また多彩な食物として利用されている。
 なかでも筆者の印象深い「さつまいも料理品」は、「芋飴」になる。
 いろいろな「さつまいも料理」が一覧できるなかで、ここでは、「芋飴」を取りあげたが、
嘗ての貧しい食糧事情の時の、<すばらしい別世界のおやつ>「いも飴」に関心がいく。

<(その1)いも料理といも加工品>

 1.主食の代替品としてのさつまいも
   約400年前に日本に伝来して以来、「救荒作物」と
  して重要視され、「さつまいも伝来歌」に詠み込まれた井戸正明や青木昆陽によって全国に
  普及している。特に18世紀には、日本では飢饉が頻発し、藩政時代の施政者達は飢饉に
  対する危機感から、さつまいもを活用している。そのため、毎年獲れるさつまいもの蓄え方、
  食べ方はいろいろに工夫され、多岐に発達した歴史がある。
   主な食べ方は「蒸かしいも」「いも飯」「いも粥」などであろう。

 2.副食としてのさつまいも
  「天ぷら」料理品、「煮込み材料」扱い、あるいはきんとんなどと
  して食せられる。「甘露煮」などは、主食並みであろう。
  鹿児島県の「サツマイモ手作り料理品」には、「イモ焼きそば」(パリパリそば)あるいは
  「イモ豆腐」(からいも豆腐)などというものも工夫され、一回のコンテストに200品以上が
  出品されるという。

 3.お菓子の類
   「イモ飴」「イモ餡」「イモ羊羹」「「イモかりんとう(いもけんぴ)」
  「イモ納豆」「蒸し切干イモ」などに加えて、近年では「スイートポテトチップ」
  「スイートポテトマッシュ」などが作り出されている。
   (参考)沖縄特産紅いも「べにいもたると」商品包装例

 4.二次加工品としてのさつまいも
   「でんぷん」(天保十五年・1834、千葉県蘇我町で創業)
  「イモ焼酎」(1700年代薩摩国で普及)、あるいは「酒精(アルコール)」などが挙げられる。

 5.さつまいもの蔓
   葉菜や家畜飼料になり、観葉植物あるいは薬用に供せられ、利用範囲の広い、手ごろな食用植物。

<(その2)「いも飴」あれこれ>

 「からいも水飴」は、煮たあるいは蒸したさつまいもに麦芽を加えて糖化し、その糖化液を直火釜で
煮詰める。「からいも飴」は、これを更に煮詰め、場合によってはゴマを加え、冷却後に飴引きし、
成形したもの。

1.鹿児島県の「ふるさと認証食品」(平成21年10月)としての「からいも飴」の銘柄
  製造業者名     商品(容量グラム)     住       所             
  坂本芋飴本舗     150、190   指宿市西方宮ケ浜4672−5 
  桜井製菓有限会社   120       南さつま市金峰池辺268
  有限会社山下製菓   120,300   薩摩郡さつま町宮之城屋地1599−1
  冨士屋製菓有限会社  120,230   曽於郡大崎町仮宿1098−2

  なお、これらの商品は、鹿児島市内にある「さつまいも館」(鹿児島市東千石町)にて販売。
  試食サンプルとしては 薩摩冨士屋あめ本舗「いも飴」(80グラム)を提供。

2.鹿児島県以外の「からいも飴」商品例
  天草飴本舗      「天草の味 いも飴」 熊本・天草地区
  信州菓子本舗外松   「紫いも飴」     長野県飯田市地区


<(参考)いもの文芸・芸能世界>

 古くは落語の「芋俵」(別名「芋どろ」)、芥川龍之介の小説「芋粥」、さらには、現代の米国人歌手
シモーン・ホワイトさんの歌曲「YAKIIMO]などに負けない文芸作品を、と心がけて、
「さつまいも」折り込みの「<さつまいも>伝来歌」と「震災時事折句<さつまいも>」を試食しました。
<さつまいも>伝来歌
外国から種子島まで
第一句第二句第三句第四句第五句伝来史実関係祭祀

さつまいも

陳振竜がルソンより唐土へ伝えてカライモとなる16世紀ルソンより
サツマイモ苗持ち帰り
官吏巡撫金学曽が奨励
金學曽の祠建立
唐土より

さつまいも

知る
宮古島手柄は真氏砂川旨屋(しんや)1597年中国より
サツマイモ蔓を持ち帰る
平良市西仲宗根
「イモ神社」
琉球へ五穀の助け

さつまいも

伝えし人は野国総菅1605年中国より
イモ鉢植え持ち帰る
野国総菅
顕彰碑建立
沖縄の産業興す儀間真常

さつまいも

手に
糖業築く16世紀末中国より
製糖技術導入
那覇市に大型琉球式
亀甲墓の建立
種子島鉄砲の後150年救国の食

さつまいも

来る
1697年種子島久基
琉球国王よりサツマイモ一籠
贈らる。
種子島西之表市
「日本甘藷栽培初地之碑」建立
沖縄から江戸まで
第一句第二句第三句第四句第五句伝来史実関係祭祀

さつまいも

本土上陸長崎へ水先案内三浦按針1615年那覇より
サツマイモを買い付け
英商館長に寄贈
横須賀市内
京浜急行<安針塚駅>に
名が残る
映画「SHOGUN」
平戸にて

さつまいも

開けしは英商館長R・コックス元和年間
平戸千里が浜に栽培
コックスイモ畑は
長崎県指定史跡
宝永年薩摩に根付く

さつまいも

尽力せしは前田利右衛門1705年琉球より
サツマイモ持ち帰る
鹿児島県山川町
「徳光神社」
享保年井戸正明はお代官

さつまいも

石見に培う1733年薩摩国から
種イモ移入
島根県大田市
「井戸神社」
江戸の地へ青木昆陽イモつるを引きてその名も

さつまいも(甘藷)

先生
1734年薩摩から
江戸小石川甘藷試作場に
取り寄せる。
千葉市幕張町
「青木昆陽甘藷試作地碑
「昆陽神社」
大震災時事折句<さつまいも>

いがいは

ねづね注意

をおかず

つも備えよ

れのなきよう

なみ寄せ

ったなしの身

ちもくさん

のもちだせず

けるすべなし

た余震

つまで続く

うたくさん

しもの我慢

いにぷっつん

いかげん

たもたせずに

ってくれ

なみの悪魔

だいすわるか

うれつな

しもの天魔

ひえしか

だ望み持ち

のちつながん


ホームページ管理人申酉人辛

平成23年5月15日 *** 編集責任・奈華仁志 ***

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