平成社会の探索

<「知恵の会」への「知恵袋」>

ー第97回知恵の会資料ー平成22年11月14日ー


(その42)課題「へび(蛇)」 ー「蛇の目」雑学ー
 目     次 
まえがき
(その1)「蛇の五体」    (その2)家族の「蛇の目」
(参考1)「蛇」の付く用語集  (参考2)図柄の「蛇の目」いろいろ

<(その1)「蛇の五体」>

 質問:「蛇」に「五体」はあるのか?
 この質問こそ「蛇足」の部類に入りそうです。ところが漢字の世界では、「足」に留まらず、
次のように、いろいろに言及されています。
 (1)足ー「蛇足」(参考その1)(中国の故事参照)
 (2)口ー「蛇口」現代生活に必需の端末器具になりました。近代社会での水道普及による
       生活必需品です。一日にひとり何回、「蛇口」を捻ることになるのでしょうか。
 (3)腹ー「蛇腹」身の回りにいろいろの蛇腹活用品を目にします。その昔は提灯の胴体であり、
       近代では「カメラ」や「アコーディオン」が典型的な蛇腹器具でした。
 (4)頭ー「蛇頭」どことなく狡賢い印象を受けるように、不法集団活動仲間のことのようです。
 (5)目ー「蛇の目」蛇口とともに良く耳にする用語です。(その2)にて言及します。

 これらの用語以外に、「蛇骨(傘の骨)」や「蛇爪(じゃそう)」(龍蛇の爪、あるいは龍のような爪)があり、
「蛇性」や「蛇心」に至っては、蛇のように執念深く陰険な心、と揶揄される始末。
 せいぜい「蛇形(じゃがた、じゃぎょう)」「蛇体」「蛇相」あるいは「蛇身」と言われるぐらいであれば、
そんなに恐ろしくありませんが、「蛇蠍(じゃかつ、だかつ)」は、人が畏れ嫌う物の典型です。
 因みに、飲み食いの世界の用語として、「蛇之助」とは大酒飲みのことになり、「蛇子」は食事などで
遅れて最後に残る者の喩えのようです。

 これらの諸体位の中で、有効に実用に供しているは、
 (1)用語としては「蛇口」や「蛇腹」であり、
 (2)部材としては三味線の胴体になる「蛇皮」
ということになりましょうか。三本の糸(弦)をもつ沖縄・奄美の楽器(三線・さんしん)の胴には
蛇の皮が使われています。三線(さんしん)は沖縄県の代表的な楽器で、「棹」の棒に三本の糸が張られ、
撥弦楽器に分類されましょう。琉球古典音楽、沖縄民謡、奄美民謡など琉球王朝文化圏に必須の楽器。
(参考その1)

 以下では、多様な世界を提供して活躍している「蛇の目」を当たってみます。  

<(その2)家族の「蛇の目」>

 「蛇の目」とは、蛇の目(蛇の目のようないじわるな目付き、冷酷そうな目付き)、蛇の目のように
太い輪の形状の図形で、蛇の輪、蛇の目傘の略、蛇の目回し、蛇の目すし、輪型の金具などを意味しますが、
「蛇の目」付く用語を家族名毎に関係の深い事項とつなげてみます。

(1)「お父さん」の「蛇の目」とは
 「蛇之助」と言われる「お父さん」に似つかわしい「蛇の目」とは、「蛇の目猪口」のこと。

 日本酒の品評作業、すなわち「きき酒」には「色をみる」作業があり、そのために使用されるのが、
「利き猪口」あるいは「蛇の目猪口」と呼ばれる猪口で、白い猪口の底には蛇の目のように藍色の円が
描かれていて、これによって日本酒の透明度を評価しやすくなっている。
 酒は古くから神事に深く関わっているため、日本酒の猪口は魔除けの蛇の目になっているという。
 「蛇の目猪口」が「利き酒用の容器」として正式に採用されたのは、第一回の全国新酒鑑評会(明治44年)と
非常に歴史が古い。 
 因みに「蛇の目猪口」には、一般と本利きの二種類有り、次の違いがあるようです。

   猪口種類   青色の蛇の目印の凹凸 蛇の目柄の濃さ     飲み口の厚さ
   一般     凹凸なし       薄く輪郭が不鮮明    厚い
   本利き    凹凸有り       濃く輪郭が鮮明     薄い

「蛇の目猪口」のあれこれ(左)一般利き猪口(中)本利き猪口(右)蛇の目徳利
(2)裁縫お得意の「お母さん」の「蛇の目」とは
  「針仕事にはミシン」そして「お嫁道具にはミシン」の時代がありました。そのミシンとは
 「蛇の目ミシン」がありました。
  蛇の目ミシン工業の前身は1921年(大正10年)創業の「パインミシン裁縫機械製作所」で
 1949年社名を「蛇の目ミシン株式会社」に変更して、90年の歴史がある世界最大の
 ミシンメーカーであり、社名の「蛇の目」は自社で販売していたミシンの糸巻き形式が蛇の目式と
 呼ばれていたことからで、「糸巻き」の見た目が「蛇の目」紋に似ていたからとのこと。
  (ミシンの通称カマ部と呼ばれる部分におさめられたボビンの形が、「蛇の目」に似た
   丸い形状だったことから、ボビンの形が「蛇の目」に見える新しいミシンは「蛇の目式」と
   呼ばれた。)
  東京都内に本社を置く東証一部上場企業で、事業内容はミシン、24時間風呂、航空宇宙関連工業など。
  資本金114億円 売上高308億円 従業員は、約700名
  商品の家庭用ミシンはセシオ11000は、定価45万円で、世界一高価なミシンとなっている。

「蛇の目ミシン」のあれこれ
(左)1948年(昭和23年)2万3千円
(中)1979年(昭和54年)約19万円
(右)2001年(平成13年)約36万円
(3)雨の日の「坊や」の「蛇の目」とは
   雨の日に「蛇の目傘」をさしたお母さんが(学校へ)迎えに来てくれた子どものうれしさを
  歌った「あめふり」という小学唱歌がありました。この歌は、大正14年、作詞:北原白秋 
  作曲:中山晋平によって出来た歌で、歌の中に「蛇の目傘」が二度も出てきます。

  あめあめ ふれふれ かあさんが [じゃのめ]で おむかえ うれしいな 
  ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン
  かけましょ かばんを かあさんの あとから ゆこゆこ かねがなる
  ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン
  あらあら あのこは ずぶぬれだ やなぎの ねかたで ないている
  ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン
  かあさん ぼくのを かしましょか きみきみ このかさ さしたまえ
  ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン
  ぼくなら いいんだ かあさんの おおきな [じゃのめ]に はいってく
  ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン

  「あめふり」1925年(大正14年)雑誌「コドモノクニ」に掲載された。
   白秋は、詩・童謡・短歌・民謡など広い分野で多くの傑作を残し、
   歌曲では「ゆりかごのうた」、「この道」、「ちゃっきり節」、「ペチカ」などある。
   中山晋平は、野口雨情とのコンビで多くの童謡を発表しているが、
   「シャボン玉」、「証城寺の狸囃子」、「こがね虫」、「背くらべ」、「兎のダンス」など知られる。

  「蛇の目」は、蛇の目からきた意匠で二重丸の中が塗りつぶされた紋様。(参考2)参照方。
  「蛇の目傘」は、開くと傘の石突を中心に蛇の目紋様が施された「からかさ」の事。

「蛇の目傘」のあれこれ

<(参考1)蛇の付く用語集>

(1)蛇足(だそく)(じゃは呉音とのこと)
      中国の故事に基づく用語。出典『戦国策』斉上。
      ある村祭で、貰った酒の分け前にありつくために、絵が得意のある男が
      「蛇を一番早く描き上げた者が飲むことにしよう」と画策し、初めから自分が
      全部せしめる魂胆であった。男は器用にさらさらと描き終え、余裕があると足まで
      付け足してしまう。その間に別の男が描き終え、そして賞品の酒を飲み干してしまった。
      絵の得意な男は文句を言うが、酒を取った男は「お前の描いたへびは足があるから蛇ではない」と
      絵描きの男を落胆させてしまう。
      このことから「蛇足」とは、わざわざ余計なことまでしてしまう例えとなり、
      また、物事が巧くいっている時、調子に乗ってどんどん手を出すべきではないという教訓ともなる。
(2)蛇口(じゃぐち)
      水道水ほかの液体を運ぶ管の出口部分、とその器具。液体取入れ開閉、流量調整の栓(バルブ)が
      ついている。水は水栓、カラン(オランダ語の鶴)ともいう。古くからのねじ回し式ほか、レバー式、さらには、
      最近では、自動作動式も公衆の場で見かけるようになった。
(3)蛇腹(じゃばら)
      紙、布、プラスチック、金属などの膜ないしは板状の部材で作られる、山折りと谷折りの
      繰り返し構造部材で、英語のベローズとなる。文様が蛇の腹部に似ていることから蛇腹と呼ばれ、
      フレキシブル 、 フレキあるいは、楽器からアコーディオン構造とも呼ばれている。
(4)蛇頭(じゃとう)
      中国福建省を拠点とする密入国斡旋ブローカー犯罪組織。Snakehead(スネークヘッド)と呼ばれる。
      1980年代初頭中国人密入国に関与。現在アメリカやヨーロッパにも密入国のネットワークを構築。
      グループでの役割が分担され、各担当は面識のない者同士がブローカーから請け負っているとのこと。
(5)蛇皮ー三線(さんしん)の胴体
      従来の三線はインドニシキヘビの蛇皮が使用されていたが、ワシントン条約による規制によって、
      現在では養殖されているビルマニシキヘビやアミメニシキヘビの皮が使用されるようになったとのこと。
      「本張り」蛇皮一枚張りは、その張り具合や部位、湿度の変化によって伸縮するため割けてしまう
      恐れがあるため、沖縄県とは大きく環境が異なる県外では管理が難しく、蛇皮模様のプリント布地を
      張る「人工張り」もよく見られる。人工皮は環境の変化に強い反面、高く鋭い音になりやすく
      好みによる。奄美群島では沖縄県と比べて薄い皮を強く張った三線を好んで用いられるという。


<(参考2)「蛇の目傘」と図柄「蛇の目」いろいろ>

1。美濃本蛇の目傘

 和傘製造会社のホームページ(日本装飾造花株式会社・岐阜市)によりますと、
   岐阜市に過去には600軒の和傘製造業者があり、最盛期には年間 1,400万本(全国一)を生産していた。
   現在も6軒の和傘製造業者が健在で年間4万本(全国一)を生産しているが、従業者の老齢化が進み
   後継者問題をかかえているとのこと。在庫のない場合は納入に3ヶ月要することあり。
   日本装飾造花株式会社の前身は和傘製造卸業者で、樺太、千島、台湾まで販路を広げ、
   「旧・日刊和傘新聞」を発行していた。 
 当地がどうして和傘の生産の一大拠点になったかということは、江戸時代の加納藩のお家の事情にあり、
   加納藩(現在の岐阜市南部)と「からかさ」の小史 として次のような解説有り。
   加納城は徳川家康が対豊臣の彦根城に次ぐ重要拠点として長女亀姫の夫君奥平公を配し、
   稲葉山城(現在の金華山城・元の信長居城)を廃城して造りました。
   当初は10万石でしたが名古屋城が築かれて拠点の意味が薄れ江戸末期にはわずか3万2千石になりました。
   しかしながら過去の格式を保つ為藩の財政は窮状を極めました。
   そこで最後の藩主永井氏が藩財政の建て直しのために「からかさ」の生産を奨励したのが始まりです。
   武士には屋敷外から目立たない骨削りや「ろくろ」(ジョイント部分)を作らせ、町人には「紙貼り」や
   「油引き」を勧めるなど15工程ほどの分業を確立しました。その分業のお陰で各分野に職人技が磨かれて、
   加納の傘を精度の高いものにしていきました。
 
 因みに唐傘の語源について
   平安時代の傘は今のように折りたたみが出来ないものでした。その後、(細さを保って携帯に便利な)
   現在の折りたたみ可能傘が出来た時、人々は驚嘆して「カラクリ傘」と呼び外国にも輸出されました。
   「カラクリ傘」が短縮されて「からかさ」となったのが本当のようです。

2.図柄「蛇の目」
 「蛇の目」は唐傘だけでなく、いろいろの面で活用されてきたようです。婦人の「蛇の目名古屋帯」があり
  家紋には各種の「蛇の目」を基本要素にした図柄があります。
  最近の活用例としては、稲田のすずめおどしに、かかしに代わって、蛇の目図柄を描き込んだ風船かかしが
  有るようです。

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平成22年11月11日 *** 編集責任・奈華仁志 ***

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