平成社会の探索

<「知恵の会」への「知恵袋」>

ー第96回知恵の会資料ー平成22年10月3日ー


(その41)課題「こう(香)」 ー貫之の梅の香と四季の香りー
 目     次 
まえがき
(その1)貫之の「むかしの香」(その2)四季折々の芳香樹木
(参考1)万葉集、古今集、貫之集での「香」歌 (参考2)香りと共にー思い出の人々
(参考3)歌人の詠む四季の香り(参考4)「源氏香図」

<(まえがき)課題「香」の探索>

 日本における芸道のひとつに「香道」なるものがある。その昔、インド・オリエント・中国などの
影響を受けて、「アジアの香り」を輸入し、「日本の香り」をはぐくんできた。仏教の伝来と共に、
お香も伝わり、仏教の儀式の中に取り入れられてきた。
 中世の文学、特に「源氏物語」文学において、「香」の世界はいろいろに展開されているが、一例
第32巻・梅枝では、蛍の宮を判者として「薫き物競べ」が行われている。
 花道や茶道などと比べ、香道は古典文学の教養を元にした「競技的要素」が強い、とされる。
 室町時代には連歌が流行したことにより、「組香」が創出されている。これは和歌・物語・漢詩・
故事来歴などから材を取って数種類の香を組み合わせ、香の違いを嗅ぎ分ける(「聞き分ける」という)
もので、代表的な「源氏香」は五種類の香を組み合わせたもの。源氏物語の各巻の名をつけた香の
組み合わせを示す「源氏香之図」(52通り)(添付図参照)がよく用いられる。
 さて、その「源氏物語」の作者が「藤原香子」(角田説)であったとの推論は、いかにも「源氏香」の
世界に相応しいものといえよう。
 現代社会での生活環境に於ける男性の「香の世界」は、せいぜい仏事の「線香」止まりかもしれません。
一方、女性の化粧の世界は、益々その広さと深さを極めているのでしょうか。
(「香」川京子さん、あるいは「香」山美子さんにでもお問い合わせしたいところ。)
 以下では、「香道」の基礎知識としては必須の「古今和歌集」における「香」の世界を「聞き」、
その関係事項を「嗅ぎ出し」てみたい。

<(その1)貫之の「むかしの香」>

(1)紀貫之の歌
 百人一首第35番歌に取られた紀貫之の歌は、
 「ひとはいさ こころも知らず ふるさとは 花ぞむかしの 香ににほひける」 
   (あなたは、さあ、お心のほどはわかりません。しかし、昔なじみのこの里では、
    梅の花だけが、もとのままの香りで、美しく咲き匂っていることですよ。)
  (出典:古今和歌集 巻一・春歌上・42番 紀貫之)(貫之集 第九ー814番)

 百人一首と同じような詠みが貫之集(913首)の中にも見受けられます。したがって貫之は
「梅の花」や「古里の花」を詠むことは、相当あったものと考えられます。

 「ふる郷をけふきてみればあだなれど花の色のみむかしなりける」(貫之集・第三ー222番)
 「あだなれど桜のみこそふる郷の昔ながらのものにはありけれ」(貫之集・第四ー435番)
 「みしごとくあらずもあるかな古郷は花の色のみぞあれずはありける」(貫之集・第四ー436番)

 これらの歌の詞書きははいずれも<ふる郷の花を見る>となっていて、百人一首歌と「異曲同音」と
見るべきでしょう。因みに、初句に「ひとはいさ」を用いて、なおかつ百人一首歌の答えの歌を
貫之集に載せています。
 「ひとはいさ 我はむかしの忘れねば ものへとききて 哀れとぞ思ふ」(貫之集・第七ー757番)
 因みに、百人一首の歌の返しは
 「花だにも同じ心に咲くものをうゑたる人のこころしらなん」(貫之集・巻九ー815番)

 さらには「梅の花」を「菊の花」「桜の花」に置き換えて、貫之は次のようにも詠んでいます。
 「うつろへどかはらざりけり菊花おなじ昔の色やさくらん」(貫之集・第四ー532番)
  ーあるじ失せたる家に桜の花を見て
 「色も香も昔の濃さににほへども植ゑけんひとのかげぞ恋しき」(貫之集・第七ー770番)

 因みに梅花の宴をなめながらの詠みには、次のように詠み交わされています。
 ー梅花のもとに男女むれゐつつ酒のみなどして、花ををりてうちなる人のやれる
 「まれにきてをればやあかぬ梅花常にみるひといかがとぞ思ふ」(貫之集・第四ー520番)
 ー返し
 「宿近く植ゑたる梅の花なれど香にわがあける春のなきかな」(貫之集・第四ー521番)

 なお、貫之集で、上述以外の梅の花や香りに関係した貫之の詠みは、後述の(参考1)に列挙します。

(2)紀友則の歌
 同じ「梅の香り」に関連して、思い出す人々への詠みに、貫之の従兄弟の紀友則に次のような
歌が記されています。二人の共通する感慨は「花は昔も今も同じであるのに、年とともに変わって
いくのは人の容貌であり心持ちである。」ということでしょう。
  ー桜の花のもとにて、年の老いぬることを歎きてよめるー
 「色も香もおなじ昔に咲くめれど年ふる人ぞあらたまりける」
  (出典:古今和歌集 巻一・春歌上・57番 紀友則)

 興味深いことに、藤原定家が紀友則と紀貫之の従兄弟同士の百人一首に選定した歌は、対照的な
「桜の花」(友則)と「梅の花」(貫之)となっていることでしょう。なお、百人一首での樹木の
歌は、桜6首、もみぢ6首、松3首、その他は梅、菊、竹、真木、楢、等ですが、「香り」の樹木は
梅ぐらいでしょう。

 因みに、同じ「故郷の花」でも古今和歌集には、次のような詠みもあります。
 「ふりはへていざ古里の花見むと来しをにほひぞうつろひにける」読人しらず
   (古今和歌集 巻十・物名・441番歌 読人しらず)

(3)古今和歌集の中の歌
 古今和歌集中において紀貫之が「香り」を詠んだ歌は、7首ほどかぎ出す事が出来ます。
 「香り」の対象は、梅、菊および藤袴などで、その中でも「梅の花」を詠んだ歌は5首にもなり、
さらには、「梅の香」を「昔の香り」と詠み込んでいる歌としては、第35番・百人一首歌に
対応することにもなる第851番歌でしょう。

  巻一・春上・ 39「梅の花にほふ春べはくらぶ山 闇に越ゆれどしるくぞありける」
         46「梅が香を袖にうつしてとどめてば 春はすぐともかたみならまし」
  巻四・秋上・240「やどりせし人の形見か藤袴 わすられがたき香ににほひつつ」
  巻五・秋下・276「秋の菊にほふかぎりはかざしてむ 花よりさきと知らぬわが身を」
  巻六・冬 ・336「梅の香のふりをける雪にまがひせば 誰かことごと分きて折らまし」
  巻十六・哀傷・851「色も香も昔の濃さににほへども 植えけむ人のかげぞこひしき」
   この歌の詞書きは ー主身まかりにける人の家の梅の花を見てよめる

 古今集時代の歌人にとって、香りの世界は人生のいろいろの出来事を脳裏に刻み込む下地に
なっていたのでしょう。貫之の従兄弟・紀友則も前述の歌(古今集・春上・57番歌)に加えて、
「香りの歌」は4首を古今和歌集に残しています。彼の歌に於ける「香り」の対象は、やはり
梅が2首で、あとは桜と876番歌に詠まれた「昔の人の香」です。
  巻一・春上・ 13「花の香を風のたよりにたぐへてぞ 鶯さそふしるべにはやる」
         38「君ならで誰にか見せむ梅の花 色をも香をも知る人ぞ知る」
  巻十七・雑上・876「蝉の羽の夜の衣は薄けれど 移り香こくもにほひぬるかな」
   この歌の詞書きは ー方違へに人の家にまかれりける時に、主の衣をきせたりけるを、
              あしたに返すとてよみけるー

 現代人でも同じような事が言えそうに思います。 (参考2)香りと共にー思い出の人々  


<(その2)四季折々の芳香樹木>

 和歌の世界に於ける「香」の代表例は、貫之の「むかしの香り」に詠まれたように断然「梅花」による
「梅香」ということになり、まえがきに言及しました「お香」の世界をかぎつけることになります。

 お香の歴史をたどりますと、「各種の香料を練り合わせ調合してつくる薫き物の工法を鑑真和上が日本に
伝え、中国からたくさんの仏典や香薬を持ち込みました。」(株式会社ナツメ社「お香を楽しむ」1998年)
 薫き物には春夏秋冬を思い起こさせる様な匂いを表現したつぎの「六種(むくさ)の薫き物」が
沈香(じんこう)、丁字香、甲香、?香(かっこう)、白檀香、甘松香、麝香などを練り合わせて、
作り出されました。
  梅花(ばいか):春のほんのりした梅の花の香り
  荷葉(かよう):夏に高く薫る蓮の花の香り
  侍従(じじゅう):秋風の控えめで渋めの香り
  黒方(くろぼう):冬の氷が張る頃の引き締まった空気の清い香り
  落葉(らくよう):秋の落ち葉が醸し出す香り
  菊花(きっか):菊の花の醸し出す香り
 10〜12世紀の平安王朝最盛期に、これらの香りの材を元にした「薫き物合わせ」は、後世の「香道」の
元となっているのです。

 勅撰和歌集や歳時記にしたがって季節毎の香り高い樹木を挙げますと、「春は梅」となり、「夏は橘」
「秋は菊」「冬は柚」となりましょうか。
 香りの高さだけから挙げるとするならば秋は菊よりも「木犀」であり、冬は柚よりも「水仙」が特徴と
なりましょう。これらの著名な場所を言及しておきます。(香りまでは、添付できませんが)。

(その1)「木犀」の天然記念物ー三嶋大社(静岡県三島市大宮町)の金木犀 
  昭和9年5月1日、文部省告示第181号、文部大臣指定「国の天然記念物」。
    昭和41年12月12日、静岡県の木選定委員会 「モクセイ」 県の木の選定。

  学名は薄黄木犀(うすきもくせい)。薄い黄色の花をつけ、甘い芳香が特徴。
  樹齢1200年を越えると推定される巨木で、現在最も古く、かつ最も大きなモクセイとされる。
   円形に広がり、地面に届くほど垂れている枝先がこの木の生きた歳月の長さを物語る。  
   樹高 10メートル以上 目通り周囲 約4メートル 枝條 約250平方メートル 
  開花時期 9月上旬〜中旬、黄金色の花を全枝につけ、再び9月下旬〜10月上旬満開になる。
   [平成21年度の開花]1回目の満開 9月7日〜9日。2回目の満開9月18日〜20日にかけて。
  薄黄色で可憐な花は甘い芳香を発し、神社付近から遠方まで、時には2里(約8キロ)先まで届くという。

三嶋大社の金木犀
  
(その2)「水仙」の群生地ー南あわじ市灘黒岩水仙峡
  約180年前、付近の漁民が海岸に漂着した球根を山に植えたのがだんだん繁殖したという。
  現在、淡路島の南部に位置する諭鶴羽山(608m)南麓急斜面に約7ヘクタールに500万本の
  野生の水仙が咲く群生地になっている。
  花は一重先の野生日本水仙が中心で、八重咲きの花も混じっている。
  開花時期は12月下旬から2月下旬まで。

淡路島・南あわじ市灘黒岩水仙峡

<(参考1)万葉集、古今和歌集、貫之集での「香」の歌>

(1)万葉集関係
 万葉集で「香」を詠みこんだ歌は、三首あり。
 「高松のこの峰も狭に笠立てて満ち盛りたる秋の香の良さ」(巻十ー2233)作者未詳
 「橘の匂へる香かもほととぎす鳴く夜の雨にうつろひぬらむ」(巻十七ー3916)大伴家持
 「梅の花香をかぐはしみ遠けれど心もしのに君をしそ思ふ」(巻二十ー4500)市原王

(2)古今和歌集の「香」の歌
 古今和歌集では、「香り」の歌は30首近くあり、時鳥(29首)同様、当時の歌人の関心事で
あったようです。「香り」の対象は圧倒的に梅が多く、29首中18首(6割)になります。
 前述の貫之(7首)や友則(4首)の歌以外に、次のような歌が残されています。

(梅)「春立てど花もにほはぬ山里は物うかる音に鶯ぞ鳴く」      在原棟梁 巻一・春上・15
(梅)「折りつれば袖こそにほへ梅の花ありとやここに鶯の鳴く」    読人しらず 巻一・春上・32
 (梅)「色よりも香こそあはれとおもほゆれ誰が袖ふれし屋戸の梅ぞも」 読人しらず 巻一・春上・33
(梅)「屋戸近く梅の花うゑじあぢきなく待つ人の香にあやまたれけり」 読人しらず 巻一・春上・35
 (梅)「よそにのみあはれとぞみし梅の花あかぬ色香は折りてなりけり」 素性法師 巻一・春上・37
(梅)「月夜にはそれとも見えず梅の花香を尋ねてぞしるべかりける」  躬恆 巻一・春上・40
(梅)「春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やはかくるる」   読人しらず 巻一・春上・41
(梅)「散るとみてあるべきものを梅の花うたてににほひの袖にとまれる」素性法師 巻一・春上・47
(梅)「散りぬとも香をだに残せ梅の花恋しき時の思ひ出にせむ」    読人しらず 巻一・春上・48

(桜)「花の色は霞にこめて見せずとも香をだにぬすめ春の山風」    良岑宗貞 巻二・春下・91
 (桜)「霞立つ春の山辺は遠けれど吹き来る風は花の香ぞする」     在原元方 巻二・春下・103
(山吹)「春雨ににほへる色もあかなくに香さへなつかし山吹の花」   読人しらず 巻二・春下・122

(橘)「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」       読人しらず 巻三・夏・139

(女郎花)「女郎花吹きすぎてくる秋風は目にはみえねど香こそしるけれ」躬恆 巻四・秋上・234
(藤袴)「何人か来てぬぎかけし藤袴来る秋毎に野辺をにほはす」    藤原敏行 巻四・秋上・239
(藤袴)「主しらぬ香こそにほへれ秋の野に誰がぬぎかけし藤袴ぞも」  素性法師 巻四・秋上・241

 (梅)「花の色は雪にまじりて見えずとも香をだににほへ人のしるべく」 小野篁 巻六・冬・335

(梅)「あな憂目に常なるべくも見えぬ哉こひしかるべき香はにほひつつ」読人しらず 巻十・物名・426
(紫苑)「ふりはへていざ古里の花見むとこしをにほひぞうつろひにける」読人しらず 巻十・物名・441
(軒忍)「山たかみ常に嵐のふく里はにほひぞあへず花ぞちりける」   紀利貞 巻十・物名・446


(3)貫之集での「香」関係の歌
(梅)「山風に香を尋ねてや梅の花にほへるほどに家ゐそめけん」(第一ー31番)
(梅)「かぞふればおぼつかなきを我が宿の梅こそ春のかずはしるらめ」(第一ー56番)
 (藤)「人もなき宿ににほへる藤の花風にのみこそみだるべらなれ」(第一ー71番)
(山吹)「流れゆくかはづなくなり足曳きの山ふきの花にほふべらなり(第一ー77番)
(梅)「梅の香のかぎりなければをる人の手にも袖にもしみにけるかな(第二ー206番)
(梅)「白雪に降り隠されて梅花人しれずこそにほふべらなれ」(第三ー266番)
(梅)「ひととせにふたたびにほふ梅の花春の心にあかぬなるべし」(第三ー267番)
(梅)「久しくもにほはんとてや梅花春をかねても咲初めにけん」(第三ー268番)
(女郎花)「女郎花にほひを袖にうつしてばあやなく我を人やとがめん」(第三ー289番)
 (梅)「紅に色をばかへて梅花香ぞことごとににほはざりける」(第四ー374番)
 (菊)「咲き残る菊には水もながれねど秋ふかくこそにほふべらなれ」(第四ー418番)
(梅)「梅の花にほひにほひて散るときは隠すに似たるゆきぞふりける」(第四ー472番)
(梅)「同じ色に散りまがふとも梅花かをふりかくす雪なかりけり」(第四ー502番)
(梅)「梅花にほひのちかくみえつるは春の隣のちかきなりけり」(第九ー869番)


<(参考2)香り(匂い)と共にー思い出の人々>

(1)<梅香と大阪枚岡梅林の写生会>
    紀貫之は「梅花とその香り」に、生涯を通じて、長谷寺近くの親しくしていた女姓を思い出していた
   ことでしょう。
    さて、筆者は同じ「梅花とその香り」に、思い出すことは、何か。それは、今から半世紀以上前の、
   ある小学生の写生会の思い出が蘇ります。疎開先から大阪に引っ越してきて転校した学校の初めての
   行事で、大阪枚岡梅林の写生会に参加しました。「田舎者の言葉」を「都会の同級生」に笑われながら、
   惨めな思いで参加した写生会。生まれて初めて、「梅の木」をまじまじと眺め、かつ半日かけて、
   その香りを嗅ぎつつ、写生作業に熱中しました。「梅の花の香りはこんなものだったのか」と初めて
   実感した次第。未だに、梅の香りと共に思い出すのは、枚岡梅林の写生会のことです。
   (注)枚岡梅林:    
     生駒山系の枚岡山・額田山の2つの尾根の山麓に広がり、中央部を豊浦渓谷が横切っている。
     面積は約43.4ヘクタール。1938年開設。1958年に金剛生駒国定公園が指定された際、枚岡公園の
     全地域も金剛生駒国定公園に指定された。枚岡山展望台・額田山展望台の2つの展望台や
     ハイキングコースなどが整備されている。生駒山へ登山する際の登山ルートのひとつともなっている。
     梅や桜・紅葉の名所としても有名。枚岡公園の梅林は「大阪みどりの百選」に指定されている。

(2)木犀への歌人の嗅覚ー「木犀の香り」上田三四二(1923年生まれ・歌人・評論家・小説家)
  「・・・どの花も時節をたがえず咲くのは、当たり前の事として慣れてしまっているものの、
   考えてみると不思議というほかはない。桜、れんぎょう、金雀枝と数えていけば切りはないが、
   秋になって木犀ほど木という木に花の一斉に咲くのも少ないのではないだろうか。
   ・・・春の沈丁花、秋の木犀、この二つは季節の香りの双璧だが、沈丁花が甘く、木犀が爽やかなのも、
   春、秋の香りにふさわしく、春の宵にきく沈丁花の香りの悩ましさに競べて、木犀の秋の香りの
   爽やかさは、これはやはり朝のものであろう。・・・」
    < ここに過ぎて いくたびの秋 木犀の 香のこもる空気の 層を過(よぎ)りつ >
      (出典:「日本の名随筆 48 香」作品社(1986年10月))

(3)日本画家の水仙へのまなざしー「水仙」堀文子(1918年生まれ・日本画家)
  「・・・水仙の花の白は、ほのかに黄緑を帯びていて冬の花でありながら冷たくはない。花の中心に
   ある黄色い盃がこの小さな花に潔い気品を与えている。薄絹のような苞(ほう)を被ってふっくらと
   顔を出す、あの蕾の愛らしいこと。やがて花の柄がなよなよと伸びて、花が咲くときはうつむき
   かげんになる。そして葉が見事である。緑青の打ち紐を束ねたようなその葉は、二、三回身をよじり
   ながら天に向かって伸び、葉先はとがらず、小指の先のように丸くなっているのが何ともいえず
   品がよい。雪の中に凛々しく咲く水仙の葉が剣のように鋭く尖らず、しとやかな姿であるように
   仕組んだ細やかな自然の心つかいは驚くほかない。」
      (出典:大岡信監修「花の名随筆 2 二月の花」作品社(1999年1月))


<(参考3)歌人の詠む四季の香り>

 グループ活動で和歌活動を行っている歌人の詠む「四季の香り」は、どのようになるのでしょうか。
 ここにその一例を引用してみましょう。歌人「彩志野磨人」氏が詠う「四季折々の歌」とはーーー
季節季節への思いの一言「香り」の歌
「生涯青春」を標榜する私には、
短歌作りは時空を自由に往来できる
タイムマシンのようなものだ。
自由奔放に青春時代や現在を行き来し、
其の世界に身を置く楽しさを味わっている。
桜は綺麗だが賑やかすぎる。
思い出は楽しいものが少ない。
霧雨に
濡るる蝋梅
見あぐれば
香る雫の
我が面に降る
広島を訪ねて原爆ドームを
描いたことがある。現在のように
強固な補強や錆止めはなく、レンガは
今にも落ちそうで夕陽に照らされて
燃えるように赤かった。
絵画展で賞を貰ったが、描いている間
地底から湧き出るような響きを聴く気がした。
松の根と
土の湿った
香を嗅げば
たちまち想う
防空壕の日々
秋は歌題となる事象が豊富で、
人の気持ちも繊細になり、創作意欲も
高まるだろうが、私はこの時期、
体調も精神もメランコリー状態が
生じて活動的でない。
下手なセロを弾いているが、一向に上手くならず、
アンサンブルの前など夜更けまで
虫の音に混じって練習することがある。
花たちの
みな咲き終えし
我が園は
光も失せて
重き雨降る
寒さは苦手だが、スキーだけは
毎年欠かさず行く。若者に混じってシーズン中
四、五回は信州などに出かける。
スキーもさることながら雪山では
感動的な景色に出会う楽しみがある。
天候は変わりやすく、視界ゼロになる
霧に囲まれることもしばしばだ。
来シーズンも来ることができるだろうか?
毎年一期一会の景色である。
君が煮た
渋川煮の栗
うわー大きい!
イガの痛さを思う
 うまいね
      (出典:新日本歌人とみが丘歌会「合同歌集 うたの坂」第一集 (2010年1月1日))

<(参考4・源氏香図)>

「源氏香」は香道で用いられる多くの組香の中でも
最も有名なものであり、源氏五十四帖に対応させられる
「源氏香図」は、五本の線から成るデザインで、
様々な所で活用されている。
「源氏香図」は52通りあるが、これは源氏五十四帖の
初めの「桐壺」と最後の「夢の浮橋」を除いた52帖に
対応している。
「源氏香図」を確認できるのは、室町時代末期からで
江戸時代初期になって源氏香は一般にも広まり初め
その「源氏香図」が文様のひとつとして生活に浸透していく。
そのデザインの卓抜さから「源氏香図」は香道具や
源氏物語に関係するものから種々の工芸品のすかし、
茶道具の絵付け・蒔絵、建築の意匠(壁、欄間)
能衣装、着物の柄、刺繍、和菓子、などにも使用されている。
(出典:「香りと遊ぶーくらしに生かす和の香り」
淡交ムックゆうシリーズ
((株)淡交社(1998年12月8日))

ホームページ管理人申酉人辛

平成22年9月1日 *** 編集責任・奈華仁志 ***

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