平成社会の探索


ー第73回知恵の会資料ー平成19年11月4日ー

<「知恵の会」への「知恵袋」>


(その19)課題「正月・餅」
ー「菅原道真の餅」ー
(詳細版)

目       次
(その一):「餅」のあれこれー大宰府・梅が枝餅ー
(その二):保存食としての「餅」ー「道明寺糒」についてー
(その三):「餅」に関する参考メモ

<(その一)「餅」のあれこれー大宰府・梅が枝餅ー>

「餅」と言えば「お正月」。いくら西欧文化が混在してきた平成の日本社会でも、さすがに
「お正月」だけは「お餅」が幅を利かせるようです。「餅」から日本人社会を観察すると、

 (1)年中行事と「餅」の関係(参考メモ・その一参照方)、
 (2)人の一生に於ける通過儀礼と「餅」の関係(参考メモ・その二参照方)
 (3)全国各地に残る「名物餅」「銘菓としての餅」

などに思い及ぶところです。以下に各項目の関連事項を拾います。

(1)年中行事の中の「餅」
   お正月の「鏡餅」に始まり、師走の「餅つき」まで、時節に応じてあれこれ「餅」との
  関係はいろいろです。
(その1)お正月の餅  
  「鏡餅」鏡の形をしていることによる名称。床の間に飾られるのは室町期以降。武家では
      具足の前に据えるので「具足餅」ともいう。飾りは12月28日、鏡開きは、
      1月11日とされる。
  「歯固め餅」新年の長寿祈願の行事(源氏物語・23帖「初音」)
(その2)ひな祭りの餅
   母子草を搗いた「草餅」・ひな祭りの菱餅
(その3)端午の節句の餅
   真菰(まこも)や茅(ちがや)で巻いた粽(ちまき)
(その4)亥の日の餅
  「子の日祭」(11月の甲子・きのえね・の日)(お飾りの一例・・・参考メモその1)   
(その5)稲作儀礼での餅


(2)人の通過儀礼に於ける「餅」

(その1)婚礼祝い事の餅
  「愛敬餅」(三日夜餅、三日の餅、三夜の餅)結婚後三日目の結婚披露の夜の帳中の新郎新婦に
        進める祝の餅で、四種の餅を作る。
(その2)誕生祝の餅 
  「腹餅」「はらわた餅」お産に備え産婦に食べさせて身につける餅
  「五十日(いか)の餅」(いかの餅、松の餅)貴族の子供の誕生五十日祝儀式の餅
  「百日(ももか)の餅」(百の餅)生まれて百日の祝い餅
  「一升餅」子供の満一歳の誕生日に風呂敷に包み、子供の背中に背負わせてハイハイさせ、
        子供の成長と幸福を祈願するもの。
  「戴き餅」子供の生誕から五歳頃まで年頭に子供の幸福を願い前途を祝う餅で、子供の頭の上に
       餅を戴いて三度触れさせる儀式。

(その3)葬式の餅

(3)「名物餅」のかずかず(参考メモ・その三参照方)
(その1)ー大宰府・梅が枝餅ー
   福岡県太宰府市で販売されている餅菓子の一種で、ほのかな梅の風味が特徴。
   (商品イメージを添付資料1に示します。)
   菅原道真が大宰府へ権帥として左遷された時、安楽寺門前で老婆が餅を売っていた。
   その老婆が元気を出して欲しいと道真に餅を供し、その餅が道真の好物になる。
   後に道真の死後、老婆が餅に梅の枝を添えて墓前に供えたのが始まりとされる。

  (参考)梅が枝餅の由来(インターネット追加情報)
      無実の罪で大宰府に左遷された道真は、ある時、刺客に襲われて近くの麹屋に
      逃げ込みましたが、罪を言い渡されてやってきたものをかくまえば自分にも
      咎が及ぶかもしれないというのに、その家のおばあさんは道真をもろ臼の中に隠し、
      その上に洗ったばかりの腰巻きをかぶせて刺客の目をごまかしたのです。
      道真の命の恩人ともいえるこのおばあさんは、その後もこっそり配所の館にいき、
      不自由な暮らしをする道真のお世話をしたといいます。その時、麹の飯を
      松の葉(梅の枝)に添えて差し入れたものが、今に伝わる梅ヶ枝餅とされます。
      後におばあさんは、もろ尼御前(浄妙尼・じょうみょうに)とよばれ、
      人々に敬われました。道真の配所の館跡といわれる榎社の背後には、もろ尼御前を
      祀る社があります。道真は死後"天神様"としてまつられるようになった後も、
      秋の神幸式の折には命の恩人である浄妙尼の祠をお参りに訪れます。

   小豆餡を薄い生地でくるんだ餅を鉄板で焼き、軽く焼き目をつけたもの。
   中には中心部で餡がのぞいて見える程生地が薄いものもある。
   西鉄太宰府線・太宰府駅から太宰府天満宮門前茶店や販売店などで販売される(1個105円程度)
   県内で行われる縁日や観光名所の出店販売される。本家は現在のところ不明。
   (参考)類似品としての「松が枝餅」
   福岡県内著名神社筥崎宮・宮地嶽神社・宗像大社などの門前で売られている。
   「3年B組金八先生」では、武田鉄矢の金八先生が福岡に帰省した際、生徒への土産としている。
(その2)ー伊勢内宮前・赤福餅ー
   江戸時代頃より人々の往来が盛んになるとともに、全国各地にお国自慢の「名物餅」が
  出回り始めたようです。中でも、お伊勢さん参りで賑わいを見せる伊勢国には、現在でも
  「名物餅」が多く残っているところで、現在の自治体別に列挙しますと、桑名市、四日市市、
  津市、伊勢市などです。
   取り分け「赤福餅」は商品表示偽造で「うそふく餅」「真っ赤な嘘餅」になってしまい、
  1707年(宝永4年)伊勢神宮内宮(皇大神宮)前に創業して以来の「赤心(まごころ)
  慶福」に由来する名物餅「赤福」も「腹黒招禍」となってしまいました。
  (時節柄、期限切れになるおそれのある赤福情報は差し控えます。!?)
   なお、類似品としては、「御福餅」(伊勢市二見町)、「伊賀福」(名阪国道・
  伊賀ドライブイン)、「名福餅」(名神高速多賀サービスエリア)、「栗福餅」(岐阜市)
  「伊予福」(愛媛県新居浜市)などあり。

(その3)ー道明寺桜餅ー
 「長命寺桜餅」(主に関西での呼び方)と「道明寺桜餅」(主に関東での呼び方)
  *桜餅(さくらもち)は桜の葉を用いた和菓子の一つ。
   桜色に色づけされた生地で小豆餡を包み、塩漬けした桜の葉で包んだ餅菓子。
   葉で包むことでその芳香を生地に移して桜の風味を楽しむ。
  *関東・関西それぞれに由来する2種類に大別される。
    ●関東風桜餅:1717年(享保2年)、江戸幕府八代将軍徳川吉宗が隅田川に桜を
           植えたところ、向島長命寺の門番、山本新六がその葉を使った餅を
           作リ、売ったものが最初とされる。 
           小麦粉あるいは白玉粉の生地を焼いた皮で餡をクレープ状に巻いたもの。 
    ●関西風桜餅:道明寺餅を椿の葉で挟んだ「椿餅」が原型とされている。 
           糯米を蒸かして干し、粗めに挽いた粒状の道明寺粉を用いた皮に、
           饅頭のように餡を包んだもの。 
  *作り方において、食紅を用い、餅の生地を桜の色に似せて染める点と桜の葉で包む点は
   両者に共通する。名古屋近辺では、関西風「桜餅」は一般に流通しているが、関東風
   「桜餅」はほとんど流通せず、長命寺餅という呼称も関西(近畿)ほど知られていない。
  *関東では濾し餡が多く、関西では粒餡が多かったが、最近では関西でも濾し餡が増える
   傾向にある。
  *道明寺粉は比較的高価なため、小麦粉で作った関東風よりも関西風のほうが高価。


<(その二)保存食としての「餅」ー「道明寺糒」についてー>

 前述のように「餅」がいろいろな場面に於いて、お供え物としての役目が非常に重要である
一方で、「食物」の一種という観点からみますと、「主食としての餅」は、昔から「保存食」と
しての重要な特性も兼ね備えているのです。(注1・「伊勢物語」の「かれいひ」)
  「かき餅」「あられ」は干し餅で、「おかき」「へぎ餅」「片餅」「おへぎ」「こうろ餅」など
と言われ、発祥地は奈良県北部とされているようです。寒冷地では「凍り餅」「寒餅」となります。
 ここでは、「道明寺桜餅」に関連して「道明寺糒」を保存食の一種として引用しました。尼寺の
道明寺(参考メモー5参照方)で作られてきた餅米を蒸して干した飯(乾飯)で、菅原道真を祀る
天満宮に供えた饌飯を下げて乾燥させ蓄えたものです。
(注1)「伊勢物語」における保存食としての「かれいひ」
   「伊勢物語」第九段の著名な和歌の記述の所に「餅」の一種として「かれいひ」が
    言及されている。
    「からごろも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ」
     とよめりければ、みな人、かれいひのうへになみだおとして、ほとびにけり。

(1)道明寺糒の歴史
 菅原道真公の叔母覚寿尼がこの寺に住んでいて、公が大宰府に左遷された後、毎日九州に向かって
お供えされたご飯のお下がりを分かち与えられ、これをいただいたものは病気がなおると評判になり
希望者が多くなるに連れ、予め乾燥貯蔵するようになったもの。
 「ほしい」は純粋の餅米を二日間水につけ、後蒸し上げて、屋内で十日ほど十日ほど乾燥させ、
後二十日ほど天日で干してから石臼に掛けて仕上げる。
 江戸時代は禁裏、将軍家に献納した後、諸侯の求めにおうじてすこしづつ分かっていたが、明治以後は
一般民間にも販売するようになったもの。

(2)道明寺糒の使用
 寒中に仕上げるので、幾年経っても変質せず、変色もなく、昔は軍糧にし、行軍や山登りには欠かせない
携行食であった。
  桜餅に使われるもち米は、正確には「道明寺または道明寺粉」といい、もち米を一度蒸して
乾燥させたものを粗く砕いたものです。
 道明寺は、戦国時代から武士の携帯食としての糒を作ることで有名だそうで、寺の名をとり、糒の
ことを道明寺と呼ぶようになったようです。
 江戸時代には仙台藩の仙台糒と共に名産となっています。
 道明寺粉は、お湯や水に浸せばすぐに食べられるので、昔は備蓄用の食糧として重宝されましたが、
現在はお菓子の材料としての使われるのがほとんどのようです。
 道明寺といえば桜餅を指すことが多いのですが、桜餅以外にも道明寺粉は使われるので「道明寺の桜餅」と呼ばれるのが一般的のようです。

<(その三)「餅」に関する参考メモ>

<参考メモー1>
(その1)「子の日祭」のお飾り
     ねずみと関係深い大黒様を祀り、銭函(商売繁盛)、二股大根(子孫繁栄)、
     灯心(お金が貯まる願い)、それに鏡餅二重ねとねずみ一匹が乗っかる。

(朝日新聞記事(2007年11月10日付)「「有職コジツケ師の都会の歳時記<11月>」
(その2)年中行事と「餅」(赤福の例)
        月別に各種の餅を販売捌きしている三重県伊勢市・赤福の商品例
    一日(朔日)「朔日餅」 2月「立春大吉餅」 3月「よもぎ餅」
    4月「櫻餅」      5月「柏餅」    6月「麦手餅」 
                8月「八朔栗餅」  9月「萩の餅」
   10月「栗餅」     11月「ゑびす餅」 12月「雪餅」

(その3)商売用「鏡餅」((株)越後製菓の情報)
    弊社で製造販売されている鏡餅の大きさについて
  (1)一般的な鏡餅
    *最大の寸法の物は丸餅個包装入の商品(容器の中に丸餅を54個入れたものです。)
         円の大きさ(28cm)x厚さ(30cm)x重さ(2kg)
    *最小の寸法の物は充填タイプ(容器の中にお餅を直接詰め込んだ商品です。)
         円の大きさ(5cm)x厚さ(5cm)x重さ(88g)
    (2)特殊な鏡餅
        *形状がいびつな物:たとえば、菱形、三角形、四角形、など
      形の変わった鏡餅は製造したことはありませんが、関西の一部には三段重ねの鏡餅があります。
        *色が特殊なもの:赤色、ほかの着色をする物など
      北陸地方には紅白の鏡餅を出荷しています。10年前までは、お餅を赤く染めて生産して
      いましたが、近年プラスチックの赤いキャップを従来の鏡餅にかぶせて生産、販売しています。
 
<参考メモー2>時代別の餅あれこれ
(その1)鎌倉時代の武家の餅「矢口の餅」(矢祭の餅)狩り場での初獲物で、山神に供える儀式餅。
(その2)「福引き餅」福の餅を二人が引っ張り合う。
(その3)「床の間の鏡餅」正月の雑煮の風習が始まるとともに「菱餅」が歯固めの餅となっていった。
(その4)餅が大衆化し日常食の餅菓子となっていった江戸時代、多種の餅が誕生。          
     一例「本朝食鑑」(1697刊行)言及の20余種の餅
      赤餅、乾餅(かきもち)、寒餅、鏡餅、具足餅、粟餅、黍(きび)餅、大麦餅、小麦餅、
      玉蜀黍餅、胡麻餅、艾餅、葛餅、蕨餅、牛蒡餅、茄子餅、栗粉餅、柿搗き餅、橡の実餅、
      樫の実餅、油揚げ餅、牡丹餅など
     江戸後期には「名物餅」各種:柏餅・桜餅・大福餅・安倍川餅・羽二重餅の誕生。




<参考メモー3>全国の名物餅あれこれ
インターネット情報(「日本全国の銘菓」「日本の銘菓総覧」「郷土の銘菓」など)より

(1)各地の銘菓としての名物餅名一覧
   北海道:孝行餅  宮城:ずんだ餅、雪華餅  山形:くじら餅   福島:花餅、
   新潟:えだまめ餅 東京:長命寺桜餅((2)参照)、こごめ大福  埼玉:四里餅、
   宇都宮:宮の餅  神奈川:きび餅  山梨:信玄餅   愛知:五平餅、きよめ餅
      愛知:こげめ餅、きよめ餅、ささ餅  岐阜:あとひき餅、栗粉餅、 静岡:安倍川餅
   福井:羽二重餅  石川:あんず餅、 滋賀:うばが餅、近江ひら餅、よもぎ餅
   京都:道明寺桜餅((2)参照)、あぶり餅、あわ餅、長五郎餅、祇園稚児餅、
      利休餅、豆餅、屯所餅     奈良:御城之口餅      大阪:けし餅
   堺:くるみ餅、けし餅  兵庫:乙女餅、島根:柚餅子  柳井:三角餅
   大洲:月窓餅 高松:源平餅  徳島:(滝の)焼き餅  長崎:かんころ餅、柱餅
   宮崎:つきいれ餅 大宰府:梅が枝餅 鹿児島:両棒餅、高麗餅 
   なお、三重県内(桑名市、四日市市、津市、伊勢市)の名物餅は次の通り。   
  (桑名市)安永餅:安永屋(やすながや)が1634年(寛永十一年)創業。
           「ともち」「牛の舌もち」とも称された。
  (四日市)なが餅、笹井餅
  (津市)いちご大福・とらや本家
  (伊勢市)赤福餅、あんころ餅、太閤出世餅、二軒茶屋餅、へんば餅 など

(2)和菓子としての各種の餅(中山圭子「和菓子ものがたり」(新人物往来社)1993)
   *「花びら餅」宮中、神社、公家での正月行事の菱はなびら
    (丸い白餅の上に、紅の菱餅を載せ、白味噌と甘煮の牛蒡を置き、半円状に折たたんだもの)
   *「母多餅」(一名萩の花)
   *「椿餅」(源氏物語第34帖「若菜上」)「戴餅」(紫式部日記、栄華物語)
   *「鹿子餅」「鯨餅」「亥の子餅」「高麗餅(朝鮮餅)」 
   *珍名菓子餅「野郎餅」「南蛮餅」「雪餅」「朝日餅」「時雨餅」「竜田餅」「茶巾餅」
   *江戸人気菓子餅「幾世餅」(元禄期両国小松屋販売)「鹿子餅」(役者嵐音八売り出し)
           「栗餅」(京都北野天満宮前栗餅屋販売)
   *人名餅「定家餅」「宗及餅」「珠光餅」「景勝餅」

(3)餅の名称あれこれ(渡邊忠世・深沢小百合「ものと人間の文化史89ー「もち(餅・糯)」1998)
   「鏡餅」「年祝餅」「福取り餅」「雑煮餅」「ためし餅」「歯固め餅」  
   「初婚餅」「孫祝餅」「四九の餅」
   「おかの餅」「凍り餅」
   「鍬の餅」「鉈の餅」「鉤の餅」「箕取り餅」「秋休み餅」
   「薬師餅」「太子餅」
   「笹巻き餅」「みやげ餅」「干し餅」「しとぎ餅」
   「たったら餅」「なべすり餅」
   「大豆餅」「小豆餅」「胡麻狛餅」「煎じ餅」「油餅」「浮餾餅」「呉床(あぐら)餅」


<参考メモー4>「伊勢物語」における「かれいひ(乾飯)」の解釈
 「ほしいい・乾飯」とは(平凡社「世界大百科事典26」(1988年)の解説)
  *干した飯の意。ほしい、かれいい、かれい、餉、糒と書く。
   米を蒸して乾燥した物。湯水に浸し、あるいはそのまま食する。
   貯蔵性が高く簡単に食べられ、旅行用あるいは軍事用の携行食として重視された。
   
(1)角川文庫466・中河與一訳註「伊勢物語」
   乾飯の意。但しここでは普通の飯の破子(わりご)に入れたもの。といふのは奈良朝の
   初め頃から旅行者は必ず、銭をもって飯を買ふやうにして、重荷の労と不便を免れるやう
   朝廷から奨励せられたからである。
(2)講談社文庫180・森野宗明校注「伊勢物語」
   乾飯(ほしいい)。旅行などの際の携帯用の乾燥させた飯。ここは単に携行食料をさした
   のだともいう。
(3)小学館「日本古典文学全集8」・福井貞助校注訳「伊勢物語」
   かれいい・・・「乾飯」
(4)岩波書店「新日本古典文学大系17」・堀内秀晃・秋山虔校注訳「伊勢物語」
   乾飯・・・「かれいひ」



<参考メモー5>道明寺関係事項
(1)「蓮土山道明寺」大阪府藤井寺市内にある古義真言宗御室派尼寺(小学館「日本国語大辞典」より)
  *菅原氏族の祖土師氏の氏寺で、土師連八島が聖徳太子の河州尼寺建立願に応じて東西320m、
   南北640m域の自宅を土師寺とし、五重塔、金堂など七堂伽藍を建立した。
   土師氏の後裔菅原道真公は大宰府に下向されるとき、叔母の覚寿尼を訪れ、和歌一首を残した
   とされています。
    「啼けばこそ別れもうけれ鶏の音の鳴からむ里の暁もかな」
   境内に天満宮を祀り、天慶四年(941)道明寺に改称した。本尊は国宝十一面観音立像。
   戦国時代、兵乱に焼失し、織田信長、豊臣秀吉、徳川代々将軍からの庇護で復興が進められ、
   明治五年神仏分離令により堂宇を天満宮より移設し、大正八年の本堂落成を経て多宝塔の
   建立とともに現在に至っている。創建千三百年尼寺として法灯を護持してきたもの。

   「道明寺祭」は、例祭で3月25日(昔は2月25日、26日、28日)本尊前で大般若経を
   転読し、尼僧の作った乾飯を売る習わしになっている。
  (注)謡曲(脇能物、観世・金剛・喜多)、浄瑠璃「菅原伝授手習鑑」に扱われている。
  *「道明寺糒」を「道明寺」と略称される。
   道明寺粉を材料にして作った和菓子、道明寺団子、道明寺桜餅、道明寺つばき餅などあり。
   嫁入りの時、持参して、近所の子供たちに分け与える餅米で作った着色したあられも「道明寺」と
   言われる。
  *江戸時代には「道明寺糒」「仙台糒」が良質の品物として重宝された。
   「道明寺」とは糒の義になる。
  *現在、もち米を原料とする糒を挽き割ったものを「道明寺袋」で包装された
   「道明寺種」あるいは「道明寺粉」といい、
   「つばき餅」「桜餅」その他、和菓子の材料となる。また料理では、白身の上に、
   載せて蒸す「道明寺蒸し」あるいは、これを衣にしてあげる「道明寺揚げ」がある。
  *「道明寺水」は、「道明寺乾飯を冷たい水に浸した食物で、「道明寺砂糖水」は乾飯に
   砂糖水を加えたもの。

(左)道明寺境内の上空写真(右)「道明寺糒」商品
<参考メモー6>「もちづくし」:変わった餅あれこれ
(1)焼くことができなく、また食べられない「焼き餅」
(2)痛いばかりの「尻餅」(ただし、埼玉県には、四里餅(しりもち)あり。)   
(3)採る道具扱いの餅「鳥もち」

<参考メモー7>餅の博物館
    *「餅の舘」秋田県仙北郡仙北町
    *「餅の博物館」
    *「餅の里」「もち文化の里」:一関市花泉町


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(万葉歌人名:栗木幸麻呂)


平成19年11月25日   *** 編集責任・奈華仁志 ***

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