平成社会の探索


ー第72回知恵の会資料ー平成19年9月16日ー

<「知恵の会」への「知恵袋」>


(その17)課題「柿と栗」
ー「萬葉の栗・羽栗吉麻呂」ー

<万葉集の柿と栗>

 「柿と栗」という課題を万葉集の世界で探索するとき、直ちに「柿本人麻呂」は、浮かび出て
きますが、「栗」の名前に関係する人物を引き出すのは苦労が要ります。そこに出てくるのが
今回採りあげる「羽栗吉麻呂」なる人物です。二人の万葉歌人を比較しますと、その情報量に
正に雲泥の差があります。
(引用資料:中西進編・講談社文庫「万葉集事典」(講談社)1995年4月28日)
歌人名柿本人麻呂羽栗吉麻呂
人物略歴柿本姓:敏達天皇御世、家門に柿樹があった。
氏祖:孝昭天皇皇子 天押帯日子命、天武・和銅年間(681〜708)の柿本臣猿(佐留)の関係があるか。
官歴:持統・文武朝に仕えた宮廷歌人的性格が強い。皇子文学圏の文人歌人の一人であったらしい。瀬戸内、近江、石見、筑紫などの地方に於ける歌も多く、下級官人として地方へ下向したと推測される。
和銅三年の平城遷都以前に没か。石見国で死んだ折、「死時」記述より六位以下の官人であった模様。
天平八年(736)遣新羅使人。
子息の翔(かける)あるいは翼(つばさ)とも。
万葉歌万葉歌作品年次:持統・文武年間(689〜700)の日並皇子・高市皇子・明日香皇女の殯宮挽歌。持統女帝の紀伊・吉野行幸ほかの行幸礼歌を詠む。
万葉集入集歌数88首(長歌19首、短歌69首)
万葉集中には「柿本朝臣人麻呂之歌集」あり。歌数369首(長歌2首、短歌332首、旋頭歌35首)
巻15−3640の一首のみ。
 
 万葉集に「羽栗」なる名前で唯一首だけ残されている3640番和歌

  美夜故邊尓 由可牟船毛我 可里許母能 美太礼(弓に一)於毛布 許登都(旦と寸)夜良牟
  みやこへに ゆかむふねもがかりこもの みだれ  て  おもふ ことつ  げ  やらむ
  右一首羽栗

の周辺に「羽栗某」なる人物を浮かび上がらせることが出来るのです。
 次頁に引用する<万葉コスモポリタン・羽栗父子>なる万葉集情報を参照願います。
 因みに引用したホームページの出所は、「私の万葉集玉手箱」で、
その管理人・申酉人辛(しんゆうじんしん)(中西久幸のもじり体人名)氏は万葉歌人として
ペンネームは「栗木幸麻呂」を名乗っています。この名前の由来は、萬葉の大歌人である
<柿本人麻呂>にあやかった命名であることは容易に想像の及ぶところです。

<萬葉コスモポリタン・羽栗父子>

 日本が太平洋戦争に敗れて、新憲法を制定して、民族の再出発の目標を
 「国際社会において名誉ある一員」
でありたいと思ってから、すでに半世紀以上大凡60年が経過しました。果たして、
「日本民族の希求する崇高な地位」は得られているのでしょうか。
 国際人としての日本人を見直す機会は、この60年で、いろいろな事態と環境の中で、
問い続けられています。それは、歴史の流れの中に見られます。
 (1)昭和26年(1951)サンフランシスコ講和会議
 (2)昭和29年(1954)防衛庁・自衛隊発足
 (2)昭和31年(1956)国際連合加盟による国際社会への復帰
 (3)昭和39年(1961)国際通貨基金第八条移行国・経済協力開発機構加盟
               第16回東京オリンピック開催
 (4)昭和46年(1971)変動為替相場制移行・10国蔵相会議・多国間通貨調整
 (5)昭和53年(1978)新東京国際空港開港
 (7)平成 3年(1991)湾岸戦争勃発。ペルシャ湾機雷除去の為、海上自衛隊掃海艇派遣。
 (7)平成 4年(1992)国連平和維持活動(PKO)協力法施行
               カンボジア平和維持活動に自衛隊派遣。
(10)平成15年(2003)イラク戦争勃発。イラク戦争復興特別措置法に基づき、
               後方支援部隊として自衛隊派遣。
 
 国民の税金で集めた国家基金を、国際連合の平和維持活動関係に年々大金を献金し、
今やアメリカに継いで第二の資金援助大国になりながら、国際連合で常任理事国にも認めて
もらえず、その存在感は今一つ冴えません。軍隊編成による物理的な人員集団支援も
展開していながら、世界からそんなにありがたがられている様子は見えません。
 「名誉ある国際社会の一員」であることを標榜していながら、その目的達成度は、
50点も取れていないのではないでしょうか。

 このように昭和・平成の時代の人々は国際社会に貢献したいと思い「国際人」を意識して
います。さて、今を去る1200年前の万葉集の時代に、そういう「国際人」の有り様を自ら
体現した「日本人」がいたのです。それが「羽栗吉麻呂」ではないでしょうか。
 唐土に戦乱が起こらなければ、日本に政変が起きなければ、日本と中国の関係、さらには、
国際人としての日本民族の展開は、如何様になったことでしょう。
 歴史に「もしも」はありえないだけに、惜しいことです。


ホームページ管理人申酉人辛
(万葉歌人名:栗木幸麻呂)


平成19年8月15日   *** 編集責任・奈華仁志 ***

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