平成社会の探索


ー第66回知恵の会資料ー平成18年11月19日ー

「知恵の会」への「知恵袋」


(その10)「歌枕・衣手の里」

<衣手の歌>

 百人一首の中で「手」に関わる歌は、「衣手」(第1番、第15番)、「手向山」(第24番)、
「綱手」(第93番)の四首です。(一口メモ・その1参照方)
 枕詞としては、次のように色々に使い分けられています。

(1)「常陸」にかかる、    袖を水に「ひたす」の「ひた」と同音を含むため。
(2)「別る」「別く」にかかる、衣のたもとを分かつから。
(3)「返る」「帰る」にかかる、衣の袖がひるがえることから。
(4)「田上山」にかかる、   衣の「手(た)」と同音のため。
(5)「真若の浦」「名木の川」にかかる、(関係不詳)。 

 ところで、「さすがは京の都で」、「衣手」の町名を有する場所が松尾大社対岸の桂川左岸に
あります。その地区は嵐山の山麓へ流れ下ってきた桂川がうねりながら淀川三川合流地点の山崎へ
南流していき、大きく真東に曲がりきった左岸の角地にあります。
 現在「衣手神社」を中心にして、東衣手町、西衣手町、南衣手町、北衣手町の四町が名前を伝承
しており、昔の村名である「郡」町は衣手四町の西側に存在します。

(左)桂川沿い松尾大社周辺地図(右)衣手町周辺地図
 
 現在の衣手四町一体が、嘗て歌枕として「衣手の杜」と詠まれたところと想定されているのですが、
この地区以外に、桂川右岸の松尾大社付近も考えられるようです。(一口メモ・その1参照方)

 何故この桂川の流域が「衣手」と呼ばれたのでしょうか。現在の町名は「衣手社」があったから
ではないかと思われますが、もともとの地名が「衣手」で、その地区に祀られた産土神だから
「衣手社」といったのか、いずれにしても当地と「衣手」の関係が知りたいところです。
 
 まずは、「衣手社」の由来に言及してみますと、次のようになっています。

 社格   松尾大社境外末社 
 鎮座場所 京都市右京区西京極東衣手町
 祭神   本社:玉依姫命(たまよりひめのみこと)・羽山戸神(はやまとのかみ)
      末社:野宮社(天照大御神)
 再建時期 本殿:延宝七年(1679)、拝殿:嘉永五年(1852)
 合祀経緯 古来、郡村の産土神として玉依姫命を奉斎する三宮神社に、明治八年(1875)
      本社松尾大社の境内末社である衣手社(羽山戸神)を合祀して衣手社神輿の御旅所と
      なし、明治十一年(1878)衣手神社と改称した。
      松尾祭(後述)の際、衣手社神輿の御旅所となる。

 (注1)「羽山戸神」は農業はじめ諸産業の守護神とされる。
 (注2) 松尾大社の関係神社
      摂社:月読神社(西京区松室山添町)、摂社:櫟谷・宗像神社(西京区嵐山中尾下町)
      西七条御旅所(下京区西七条南中野町)、末社:松尾総神社(下京区朱雀裏畑町)
      末社:三宮神社(右京区西京極北裏町)、末社:衣手神社(右京区西京極東衣手町)

(左)衣手社参道と鳥居(右)鳥居左脇の「歌枕・衣手森」記念碑

(左)衣手社本社と左脇末社(右)本社右脇の末社
 したがって、本社松尾大社境内に鎮座ましました「羽山戸神」を祀る「衣手社」が如何なる時期に
如何なる事情で祭祀され始めたのか、を知る必要があります。衣手地区四町の名前の出所は、松尾大社
に関係していることが解ります。

<松尾大社とその祭>

 松尾大社の由来は、同社のホームページに依りますと、
 「当社は京都最古の神社で、太古この地方一帯に住んでいた住民が、松尾山の神霊を祀って、
  生活守護神としたのが起源で、五世紀の頃、朝鮮から渡来した秦氏がこの地に移住し、
  山城・丹波の両国を開拓し河川を治めて農林産業を興しました。同時に松尾の神を氏族の
  総氏神と仰ぎ、文武天皇の大宝元年(701年)には、山麓の現在地に社殿が創建。
  従って平安時代当社に対する皇室のご崇敬はきわめて厚く行幸数十度に及び、正一位の
  神階を受けられ名神大社二十二社に列せられて賀茂両社と並んで皇城鎮護の社とされました。」
  ・・・・・
  明治4年、全国神社中第四位の序列をもって官幣大社に列せられ、・・・
  京都洛西の総氏神として、京都市西京・右京区のほぼ全域、下京・南・北区の一部、
  約十万戸の氏子の崇敬を集める。
  古来、開拓、治水、土木、建築、商業、文化、寿命、交通、安産の守護神として仰がれ、
  特に醸造の祖神として格別な尊敬を受けております。」  

 次に建造物については、 
 「本殿は大宝元年、秦忌寸都理(はたのいみきとり)が勅命を奉じて創建以来、皇室や幕府の
  手で改築され、現在のものは室町初期の応永四年(1397年)の建造にかかり、天文11年
  (1542年)大修理を施したものです。建坪35坪余、桁行三間・梁間四間の特殊な両流造りで
  松尾造りと称せられています。」
 「境内末社は本殿南側境内に、衣手社、一挙社、金刀比羅社、祖霊社の四社、神饌所裏の
  御手洗川岸に、四大神社、三宮社、滝御前社の三社があります。」

(左)松尾大社境内鳥瞰図(左)と略図(右)(松尾神社資料より)

(左)松尾大社の「二の鳥居」から楼門を望む(右)左から「拝殿」「釣殿」「本殿」を望む

(左)南末社の衣手社を北側本殿回廊脇より(右)南末社南側より衣手社を望む
  末社衣手社に関係した松尾大社のお祭は「松尾祭」です。
 松尾大社のお祭り「松尾祭(神輿渡御祭)」は、神幸祭(おいで)と還幸祭(おかえり)のことで
神幸祭は、4月21日以降初めての日曜日の御出祭で、7つの御輿が本殿の分霊をうけて拝殿を   
3回まわった後、桂川を渡り、市中を練り歩き、それぞれの御旅所(衣手社、西七条御旅所、三之宮社)
に至るものです。
 還幸祭は、それから21日目の日曜日に、御出祭と同じく7つの御輿が市中、松尾橋を経て戻って
くるものです。 
 境内末社衣手社神輿も、他の神輿や唐櫃の船渡御と同じように松尾大社から、桂川を渡り、御旅所
である衣手社を往復するものです。船渡御の様子を添付しておきます。           

(参考)松尾大社の年間行事
  *御田祭(7月第三日曜日に三人の植女(子供)が昔ながらの格好で供二人を従え本殿に列し、
       神職から苗を受け取って従えた一人の肩の上ら苗をまく。昔はこの苗を競って取り
       田の虫よけにしたとのこと)
  *八朔祭(豊作を祈る祭り。境内の土俵で神事相撲が行われる)
  *上卯祭(11月上卯日 酒造りの祭り)(祈りの祭り)
  *中酉祭(4月中酉日 酒造りの祭り)(感謝の祭り) 
       (上卯祭、中酉祭には全国より醸造業者、卸小売りとお酒の関係者が多数集まる。) 

<衣手社>

 衣手社が松尾大社境内に祀られたあるいは勧請された経緯を当たる必要があります。 
  松尾大社関係史料(注)によりますと、衣手社の祭神「羽山戸神」の系列は、次のようになっています。
  (注)松尾大社史料集編修委員会「松尾大社史料集・文書篇三」昭和53年7月30日刊行

 *山城国葛野郡松尾社並末社系図 (系図は、添付資料参照方)
  
  祖・いざなぎ尊ー素盞鳴尊ー大年神ー大国魂神ー大山咋神(正一位・松尾大明神是也)
    いざなみ尊              ー羽山戸神(坐衣手森。謂之衣手神。)

 系図の羽山戸神への下注として、さらに次のように解説が添えられています。 
  「或今案、昔日白羽神種麻。従是俗呼衣服 曰白羽。此神羽山戸、後人誤衣手云。」

松尾社並末社系図
 関係する参考資料(平凡社「日本歴史地理大系」)には、次のような参考事項も言及されて
おりましたので、引用いたします。
 「衣手の森」は、歌枕として、江戸時代の各種資料(『扶桑京華志』『京羽二重』『雍州府志』
『名所都鳥』など)にも挙げられているとのこと。ただし、その森は、現在の桂川左岸の
衣手四町の付近ではなく、松尾大社の南の森を「衣手の森」と呼んだらしいこと。また、河原に
あった森は、洪水で流されたとの話もあるそうです。
 現在の衣手社は上述のように二社あり、一社は松尾神社の摂社、もう一社は境外の西京極
東衣手町の一社となります。
 歌枕としては、『能因歌枕』『和歌初学抄』『和歌色葉』『八雲御抄』などに言及されていて、
歌の例としては、『続拾遺集』の次のものが挙げられています。
 「秋ごとに誰か染むらむ主しらぬからくれないの衣手の社」  右京大輔顕輔
 「山姫の恋のなみだや染めつらむくれない深き衣手の社」  後徳大寺左大臣 
 そのほかには、次のような歌も詠まれています。
 「見渡せばけふの白露のうはぞめに色づきにけり衣手の森」  後鳥羽院集
 「ほととぎす声あらはるる衣手の森の雫を涙にやかる」 藤原定家(拾遺愚草)

 以上の衣手社の由来史料より、確たる「衣手」なる命名の背景が的確に説明できませんが、
憶測するところ、松尾大社は「古来、文化の守護神」であったわけですから、着物の産業分野に
関わる松尾大社崇拝者が仕事の繁栄を祈願して祭祀したのかも知れません。

<一口メモ集>
*******「手・て」の「使い勝手」いろいろ*********


<一口メモ・その1 百人一首歌中の「手の歌」>


(1)百人一首歌の中の「手」の詠歌4首について、
   「秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ」(第1番・天智天皇)
   「君がため春の野に出でて若菜摘むわが衣手に雪は降りつつ」(第15番・光孝天皇)
   「このたびは幣もとりあへず手向け山もみぢの錦神のまにまに」(第24番・菅家)
   「世の中は常にもがもな渚漕ぐあまの小舟の綱手かなしも」(第93番・鎌倉右大臣)

(2)歌枕「衣手」の和歌群
   「能因歌枕」では、山城国、三河国を挙げており、「八雲御抄」では、山城国としています。
   右京区内旧郡村内(現右京区西京極東衣手町)の三宮神社は松尾大社の境外摂社の一社で
   衣手社とも呼ばれ、玉依姫、羽山戸神を祀り、古来歌枕衣手森を当地周辺とするもの。
   「山城名勝志」では、松尾の南の森、あるいは、松尾前の河原としており、
   「山州名跡志」では、「衣手杜」は旧地本殿東南三町許離れたところを指しています。

   「ころもてのもり」なる歌枕は、万葉集には言及されず、勅撰集21集中に七集に10首
   歌われています。さらにその内の3首は藤原為氏(定家の孫)が詠んでいます。嵯峨野に
   近い森であるので、何かと詠みたくなったのでしょうか。

   「をりはへてねに鳴きくらす蝉のはの夕日もうすきころもてのもり」(続拾遺集・210)
   「しぐれてもおるてふ秋のからにしきたちかさねたる衣手の杜」(玉葉集・788)
   「すずしさはたちよるからにしられけり秋風近き衣手の森」(続千載集・328)

   その他「ころもてのさと」「ころもてのせき」とも詠まれている歌が数首あります。

(3)周防内侍の「松尾大社」
   「周防内侍集」には96首の歌が集められていますが、その集において彼女の歌枕は17個所
   ほどあり、神社に関しては、何と平安京を代表するように、松尾社、稲荷社、賀茂社を詠んで
   いるのです。第37番歌が松尾社の「まつを」を詠み込んでいます。
   「なべてにはかけてもいはじ君がためちよまつのをのあふひぐさをば」

<一口メモ・その2 「衣手」類語集>


 「衣手」は「衣の手」になるわけで「袖」ということになります。広くは、「きもの」自身をも
意味する用語になっています。「手」の語を用いて、同じ様な「ものの名」(物品名)あるいは
それらの部分」(部品名)を示す語句には、次のような語彙があることが解ります。
  (以下は「日本語逆引き辞典」(北原保雄編修・大修館書店・2002年6月)の項目を
   分類したもの)

(1)衣手・綱手に類すると思われる品物の名称
   帆手、叉手(小網)、玉叉手、人形手(唐子人形の更紗)など、
   継ぎ手・接ぎ手(各種の複合語あり、自在継ぎ手、流体継ぎ手、管継ぎ手、フランジ継ぎ手など)
   籠手・小手(各種の複合語あり、筒籠手、射籠手、指貫籠手、鎖籠手、弓籠手、篠籠手など)
   桟手(算盤桟手)、箕の手、十手、孫の手、湯手(洗い粉、へちま)、把手、取っ手など
   枚手(八枚手など)、四手(垂れ、玉串)押し手(手印)など
   土手、井手、縄手(畷)、蕨手など
   亀の手(節足動物)、火の手、魔の手、早手(疾風)など
(2)音楽に関係する「**手」の類(主として雅楽の用語)
   合いの手、間の手、相の手、散手(サンズ・雅楽の一種)、敷き手(雅楽の一種)、
   覆手(琵琶の部品)、燕手(歌舞伎の鬘の一種)など
(3)樹木に関係する「**手」の類
   赤四手、猫四手、紙八手、八手(八手網)、八手(稲を干す木)、つま手(そま人の材木)
(4)金銭に関係した「**手」の類
   切手(小切手、旅行小切手、保証小切手、当座小切手、船切手、米切手、通り切手など)
   元手、酒手(酒代金)、野手(雑税・野手米)、安手(安い品物)など
   沢手(輸送中海水・雨水に貨物が濡れて損をすること)など
(5)略語としての「**手」の類
   約手、割り手、貿手、あるいは、軍手など 
(6)陶磁器の品物名としての「**手」の類
   春慶手、三島手、暦手(朝鮮瀬戸物)、蛍手、白手、金華山手、御本手、金襴手、
   呉須手、鶉手、錦手、きんま手(漆器)など


<一口メモ・その3 「**手」職名集>


 百人一首では、「衣手」「綱手」と詠み込まれていました。いずれも物の名前としての「*手」と
いう接尾語でした。
 「*手」「**手」のような語彙には、仕事の名、あるいは、職業名を示すものが多くあります。

 「歌手、水手、射手、漕ぎ手、警手、砲手、舞手(舞の手)、着手、技手、騎手、馬手、助手、
  副手、書き手、碁手、弾き手、掃き手、交換手、楽手、旗手、喇叭手、運転手、踊りて、駅手、
  火手、工手、捕り手、舵手、鼓手、転轍手、書手、吊り手(釣り手)、織り手、折り手、
  最手(ほて)、占手(最手脇、今の関脇)」

  因みに「手」(しゅ、て)から、「し」音に関係する「じ」「しゃ」「しゅ」「しょ」の音の
語彙にも、上述の「役職名」「職業名」を意味するものが多いようです。
 「衛士」とは、辞書(広辞苑)によりますと、「律令制で諸国の軍団から毎年交替して上洛し、
衛門府・衛士府に属し、宮城諸門・八省院・大極殿などを守った兵士」、あるいは伊勢神宮司庁・
熱田神宮に置かれ、警衛取り締まりなどに従った職員をも意味するそうです。宮司職といいますと、
大中臣能宣は、天禄四年(九七三年)から伊勢神宮の祭主になり、二十年間もその任に就いて
いましたから、百人一首に選ばれた彼の歌も、まんざら関係ないことはないというところです。
 衛士(ゑじ)の職名なら、宮司(ぐうじ)も職名です。百人一首で、官職名が詠まれている歌は、
七八番歌の関守ぐらいです。職名には「し」の字のつくものが多いようです。

  し:史(大史・小史)、子(黒子)、氏(杜氏)、士(衛士・弁士)、仕(給仕)、
    司(宮司)、使(大使)、師(教師)、視(警視)、侍(さむらい)
  じ:事(判事)
 しょ:書(秘書)
 しゅ:主(祭主)、手(助手)、守(看守)、取(頭取)、首(元首)
 しゃ:者(医者)

 律令制下の官職としては、「衛士」の他「大史・小史」「大判事・中判事」「大志・小志」、
さらにいろいろな博士(文章、明経、音、書算、天文、暦)あるいは「陰陽師」などです。

<一口メモ・その4 「**手」あれこれ>


 「**手」の熟語の意味を次のように内容を分類して、用語を集めてみました。
  (以下は「日本語逆引き辞典」(北原保雄編修・大修館書店・2002年6月)の項目を
   分類したもの)

(1)人の動作の立場を示す語句
  相手、対手、防ぎ手、語り手、言い手、聞き手、聴き手、使い手、遣り手、扱い手、買い手
  売り手、貰い手、借り手、貸し手、なり手、追っ手、誘い手、担い手、構え手、討ち手、
  助手(すけて)、乗り手、読み手、受け手、引き受け手、引き手、引き取り手、組み手、
  好敵手、敵手、替え手、作り手、送り手、など。
  野球用語集(名手、一・二・三塁手、遊撃手、内外野手、投手(各種複合語あり)、
        選手(各種複合語有り)捕手、中堅手など)
(2)手の状態を示す語句
  空手(そらで)、虚手、開手(ひらて・八開手など)(かしわで)、大手(おおで)、
  拍手、握手、挙手、逆手、順手、後ろ手、引き手、差し手、短手・忍び手(音無の拍手)、
  片籠手、揉み手、交手、拱手、濡れ手、見えざる手、無手、抜き手(片抜き手・諸抜き手など)、
  木綿四手、和手、柔手、捲り手、懐手、柏手、赤手、素手、平手、空手、徒手、遊手、
  袖手、毒手、ちゃく手(親指と中指を拡げること)など。
(3)手順を示す語句
  王手(両王手)、碁手、指し手、差し手、持ち手、千日手、引く手、先手、後手、初手、
  打つ手、勝負手、中手、打ち手、着手、入手、落手、百手、梳き手、一番手、本手、
  無き手、新手、応手、その手、彼の手、この手、極め手、決まり手、攻め手、留め手、
  詰め手、寄せ手、鬼手、禁じ手、封じ手、悪手(悪筆)、葦手(ざれ書き)、水手(筆法)、
  妙手、奇手(仏心奇手など)など
  かるた用語集(押さえ手、突き手、覆い手、囲い手、撥ね手、払い手など)
  相撲用語集(四十八手、張り手、など)
  三味線の用語(破手、葉手、端手、など)
(4)人の役目の分類語句
  若手、来手、働き手、話し手、読み手、稼ぎ手、人手、古手、男手、女手、作手、後仕手、
  前仕手、為手、貸し手、好手、妙手、飲み手、呑み手、惜しみ手、見手、遊び手、救いの手、
  取手(技の巧い人)、切れ手(きれる人)、凶手、兇手、熟手、老手、など。
(5)人の動作の状態の形容語句
  派手、勝手(各種の合成語あり)、得手、不得手、堅手、番手、厚手、薄手、厚手、深手、
  重手、痛手、傷手、槍手、など。
(6)人の動作の状態を示す語句
  上手(聞き上手など、多くの合成語あり)、下手(話し下手、空下手など、多くの合成語あり)
  遣り手、叉手(拱手)、最手、秀手(すぐれた技)など。
(7)位置や方向を示す語句
  上手(かみて)、下手(しもて)、長手(長い道)、蜘蛛手(各種の合成語あり)、熊手、
  四手、大手、搦め手、四方手、船手(航路)、山手、海手、川手、行く手、浜手、浦手、渡手、
  馬手(めて・右手)、弓手(ゆんで・ひだりて)、引き手、押し手、裏手、横手、鉤手、
  隈手、矩(かね)の手(直角)、など。
(8)身体の部分としての語句
  両手、片手、御手、明き手、空き手、利き手、両の手、双手、諸手、真手(両手)、脇手、
  奥手、義手、千手、玉手、腋手、触手、足手、繊手(かぼそいて)、小手(肘と手首の間)
  高手(肘から肩まで)、脂手、亀手(ひびきれて)、隻手(諸手、双手)など。

締めくくりは「なぞなぞ」です。?????? 四本で示す五本のものは ???????


平成18年11月1日   *** 編集責任・奈華仁志 ***


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