平成社会の探索



つれづれ閑談 ー平成の徒然草ー
<定年>は<諦年>なり
<諦念>人生への<箴言>を<進言> 


第008話「色即是空」
ー久米仙人と女性宇宙飛行士ー
(徒然草:第8段より)
ーーーーーーー 箴言の箇条書き ーーーーーー
(1)視覚的および嗅覚的色欲は、世人を心惑せる最たる感情である。
(2)「えならぬ匂ひ」も「かりのもの」なり。
(3)久米の仙人さえ、女の白き脛(はぎ)をみて「通」(神通力)を失う。
ーーーーーーーーーーーーー  平成の閑談  ーーーーーーーーーーーーー

 般若心経にいう「色即是空」は、当該課題「色欲」の「色」とは違って、次元が高く、哲学的に 広く且つ深い意義を有する概念ですが、ここでは、課題として「色欲」の意味合いで引用しました。 従って「色欲はすなわち空しい」と言わざるを得ないという意味合いです。さらに久米仙人は 「空」から落ちてしまったので、その「空」とも掛けて「色即是空」としました。

兼好法師と雖も、俗世間に顔を出していた若い時分には「色欲」の何たるかを十分体験し、 嫌と云うほど辛くまた惨めな目にあったことを念頭に置いての記述なのでしょう。
かれの書き方もこの段章では、大変「なまなましいもの」になっています。

「誠に手足・はだへなどのきよらに、肥えあぶらづきたらんは、外の色ならねば、さもあらんかし。」

「さもあらんかし」とは、すなわち、兼好法師も久米仙人の気持ちはいやというほどよく分かる、 という書きぶりです。「肥えあぶらつきたる」などの描写は「何ともぎらぎらして賑々しい用語」で あることでしょうか。経験あるものでないと書き出せない一行とも言えましょう。

そして兼好法師の歎声は「人の心はおろかなるものかな」となります。この嘆きを漢字の四字熟語に しますと、「色即是空」となるのです。(般若心経のお釈迦さんからはお叱りを受けそうですが。) 

ーーーーーーーーーーーーー  世事雑感  ーーーーーーーーーーーーー

「色欲」に関わる人間社会の男女間世事は掃いて捨てるほど有り、またいつになっても無く ならない困ったことです。 兼好法師はそれを見抜いていましたから、人間社会が続く限り 「色欲」に絡まるトラブルは無くならないであろうと、嘆きともまた諦めともつかない忠告を 認めて残したのでした。

最近の新聞種で「色欲」に関わるスキャンダルを「久米仙人」と同じく「空飛ぶ人間」の 世界で拾ってみますと、時代に相応しく「宇宙飛行士」の一身上のお話と言うことになります。

平成19年2月7日〜8日の全国紙から当該記事の見出しを拾い出して並べてみますと、 事件の大凡がわかります。

”宇宙的醜聞”全米で大関心ー「恋敵」襲撃・女性飛行士を訴追ーNASA資格停止処分にー
「女性宇宙飛行士ー地上で痴情対決ーかつらで変装・おむつ着用1450km走破・薬品を噴霧ー
女性宇宙飛行士第一級殺人未遂罪で追求へ「NASAの星”墜落”」ー全米に広がる衝撃ー
女性宇宙飛行士恋敵襲撃ーNASA管理体制見直しもー
恋のロケット暴走ー宇宙飛行士恋敵追い1500キロースプレー噴射、逮捕
落ちた宇宙飛行士全米に衝撃ー恋敵殺人未遂事件ー揺れるNASA
恋の”夢中遊泳”失敗ーシャトル女性飛行士・43歳3児の母ですー「敵」襲撃
オムツし車爆走1500キロー誘拐未遂容疑逮捕
宇宙飛行士の心理検査見直しへー殺人未遂事件でNASAが方針 


(左)毎日新聞記事より(2007年2月7日付け)(右)産経新聞記事より(2月8日付け)

「色欲」で空から落ちるのは、久米仙人だけでいいのに、よりにもよって「女性の空飛ぶ仙人」が 「男」に血迷って、監獄に落ちてしまいました。

その昔、日本で時速200kmで走る新幹線をタクシーで追いかけた、それに乗り遅れた新幹線 運転手がいましたが、彼女もその「あきれたもの」の部類に入るのでしょうか。彼女の異常な行動は、 なんとも特殊な宇宙飛行士らしからぬ、普通の女性には出来ない事々です。

米国では時々、あっと驚くようなことが起こるようです。逆に言いますと、「アメリカでは なんでもあり」ということでしょうか。最近では、2001年・平成13年の「同時テロ事件による 高層ビルへのジェット機の激突」であり、1963年・昭和38年「ダラスでのケネディ大統領暗殺」も 初めてのテレビ衛星中継で、日本中をあっと言わせました。

40歳台で三児の母といえば、女性の人生の中でも、最も輝いているべき時期であるはずです。 母として、また妻として、さらには、選ばれに選ばれた宇宙飛行士という職業女性として、 自国民からだけでなく、全世界の女性から羨望と尊敬の目で見られる、現代社会で最高の女性と いうべきでしょう。

それが何とも一般世間のどこにでもある新聞の三面記事以下の低俗な世界へ 迷い込んだのでしょうか。宇宙飛行士としての厳しい訓練がかえって彼女の人間としての良識を ねじ曲げてしまったのでしょうか。ばからしいスキャンダルである一方で、何とも惜しい一女性を 米国民は失ったものです。

ーーーーーーーーーーーーー  参考メモ   ーーーーーーーーーーーーー

*************(第一話)***************

兼好法師が引用した久米仙人とは、「今昔物語」(巻第十一本朝付仙法 第二十四 久米仙人始めて久米寺を造る語)に登場する大和国吉野郡竜門寺の伝説的人物です。

むかし吉野の竜門寺にこもって神通飛行術のため、竜門岳に登って山中を駆け巡り、 滝に打たれる厳しい修行をしていた二人の青年(「アツミ」と「クメ」)がおりました。 「アツミ」は先に飛行術を修得して仙人となり雲にのぼり、「クメ」も更に修行に励み、 やっとの事で空を飛べるようになりました。

吉野川を越える時、川のほとりで若い娘が裾を捲り上げて、白い「すね」をあらわに 出して洗濯をしているのを見て、「クメ」は色欲がムラムラと起こり、そのとたん長い間の修行した 神通力は消えて、女の前に落ちてしまいました。「クメ」はもとの人間となりその娘を妻として 夫婦仲良く暮らしたとのこと。

*************(第二話)***************

その後、大和国高市郡内での都造営に係わり、「クメ」も夫役に呼び出された折、人夫達は クメを「仙人、仙人」と呼ばわり、「色欲さえ起こさなかったら、こんな辛い仕事をさせられなくて よかったのに」と話されていたために、是を聴いた役人はからかって「この木材を仙術で山から ここへ飛ばしてもらえればいいのだがなあ」といいました。

クメは七日七夜、断食をして礼拝恭敬したところ、ついに8日目の朝、にわかに暗雲垂れ込め 暗夜のごとくなり、雷が鳴り雨が激しく降って辺りが一時、見えなくなりましたが、やがて 空は晴れ渡り、そのときたくさんの木材が南の山から飛んできて都を造ろうとしている場所に 積み重ねるという神通飛行術を「クメ」は呼び戻し、披露します。

これを知った天皇は恩賞として免田三十町を「クメ」に与え、「クメ」は喜んでこの田をもらい、 「此の田を以て、其の郡に一つの伽藍を建てたり。久米寺と云ふ、是也。(後世から見れば、 古代寺院が神仙術を行う山岳修行者によって建立されていったという話になるのでしょう。)

*************(第三話)****************

その後、高野の弘法大師がこの寺に丈六の薬師三尊鋳銅仏像を安置され、さらに当寺で 大日経を見つけられ、「即座に成仏すべき教えである。」と、真言を習得に渡唐されたのです。 (空海の渡唐への修行の経緯と絡ませている点が説教的語りになっていますね。)

************* 現在の久米寺と「久米仙人祭り」****************

奈良県橿原市久米にある古義真言宗の寺院で、橿原神宮の近く(近鉄・橿原神宮前駅から 徒歩5分)になります。

「扶桑略記」によりますと、延喜元年(901)吉野竜門寺久米仙が久米寺を造り、丈六 金銅薬師像、日光月光菩薩像を安置したという。17世紀京都仁和寺から移築された多宝塔があり、 国の重要文化財になっている。なお、聖徳太子弟来目皇子創立説は、鎌倉時代からとのこと。

現在、久米寺の「久米仙人まつり」では、10月中旬約一週間ほどの祭り期間中の一日、 「久米仙人踊り」が催され、大体70〜80人の踊り手が櫓のぐるりを踊りめぐるもので、 洗濯女を見て落ちたという話を取り入れた踊りとなっています。、すなわち仙人の衣装を つけた人が、70〜80 人の中を練り歩き、杖でちょっとふくらはぎの腰巻きをめくられ、 逃げまどうという形の踊りとのこと。なお、祭り期間中は、縁結び、中風よけ、下(しも)の 病気よけ祈祷が受けられとのこと。


OK画伯のギャラリー




兼好法師の「色即是空」(補足)
ーOK画伯よりの付言ー

 兼好法師の「色即是空」論につき、OK画伯より、次のご連絡を頂戴しました。

 第238段には、「兼好法師の自慢事七話」あり。
 
 1.花見歩きの途中で見た騎手の話(落馬するであろうという法師の予言が的中した) 
 2.論語の「紫の朱を奪うことを悪む」の出典を記憶していた(論語・陽貨)
   昔の人の例:藤原定家が後鳥羽院への御進講(一首中の袖と袂を含む歌の引用)
         九條相国伊道公の款状(官位褒賞請願申請書)
 3.釣鐘の銘文原稿の間違いを指摘したこと
 4.比叡山常行堂内に掛かる扁額が藤原行成裏書きと言い当てたこと
 5.那蘭陀寺の道眼上人説法で「八災」を説明した事
 6.賢助僧正を加持香水儀式場で探し出したこと
 7.「二月十五日、・・・千本の寺に詣でて、・・・
    優なる女の、姿匂ひ人よりことなるが、わけ入りて膝に居かかれば、匂ひなども
    移るばかりなれば、便あしと思ひて、すりのきたるに、なほ居よりて、おなじ様なれば
    立ちぬ。
    この事、後に聞き侍りしは、かの聴聞の夜、・・・さぶらふ女房をつくり立てて出だし
    給ひて、・・・はかり給ひけるとぞ。」
   (その場に同席した知り合いの人が身近の女房をつかって、兼好法師に色仕掛けの戯れを
    して様子を見たが、法師はその手に乗らなかったという自慢)

 「いわれなき女性の近づきは、何かおかしいと疑え」と言う兼好法師の箴言のひとつでしょうか。
 この法師の自慢事は、「久米仙人」の話同様に「色事には自分はしっかりしていて、そう
うかうかと人の手には乗りませんよ」と言いたいのでしょうか。
 しかし、この自慢話も裏を返せば、普段から兼好法師の周りの知人連は、「色事には堅物だ」と
彼を見なしていた証拠です。

 因みに冗談をしかけた女房から兼好法師は
 「無下に色なき人におはしけりと、見落とし奉ること・・・」であり、
 「情けなしと恨み奉る人」であると、嫌みを言われています。
 それでも兼好法師は、当該出来事を「自慢話のひとつ」に加えているのです。

平成19年2月15日(追記) *** 編集責任・奈華仁志 ***


ご感想は、E-mail先まで、お寄せ下さい。
なばなひとし迷想録目次ページ に戻る。 磯城島綜芸堂目次ページ に戻る。