第007話「所願妄想」 (徒然草:第241段より) |
ーーーーーーーー 箴言の箇条書き ーーーーーーーー (1)常住平生時、「道」(仏道修行)の念なく、死に直面し年月の懈怠を悔ゆるなり。 (2)暇ありて道に向はんとせば、所願尽くべからず。 (3)所願は全て妄想なり。所願は一事もなすべからず。 (4)万事を放下して「道」に向ふべし。 |
ーーーーーーーーーー 平成の閑談 ーーーーーーーーーー 箴言に言う「病を受けて死門に臨む時、所願一事も成ぜず、言ふ甲斐なくて、年月の懈怠を 「死門に臨む時」に到らなくとも、「常住平生時」より、すこしでも異なった事態に陥ったとき、 ところが人間というのは「怠惰」なもので、「常住平生」にあって、常に「異常事態」を考えよ、 ではどうすればそれに対処できるのか、箴言に言う「万事を放下して道に向ふべし」。 箴言から大凡700年。未だに箴言の名答を実行できず終いの人々の何と多い事よ! |
ーーーーーーーーーー 世事雑感 ーーーーーーーーーー 箴言に言う「所願」とは、何ぞ! 兼好法師が生存した弘安年間(1270年代)から観応年間(1350年代)ころの すなわち平成の人々が寺社参りしたとき、神仏にお願いすることは、「商売繁盛」「家内安全」 箴言では、「全て所願皆妄想なり」と断言されていますが、そこまで開き直れるものでも では、箴言の言い方を変えてみます。「さはりなく、所作なくして、心身永くしづか」で「人の一生を |
ーーーーーーーーーー 参考メモ ーーーーーーーーーー 日常生活に於いて「宗教心を繋ぐ」あるいは「宗教心を持ち続ける」ことで思い出されるのは、 残念ながら日本では、一週間に一遍どころか、一年に数度の機会しか、「道」を忘れないという 親兄弟親族の命日を忘れず、法事に励む人は一帯全体の何割の人でしょうか。 わざわざ定期的に宗教活動を強いることなく宗教心を持ち続けることができればそれに越したことは |