平成社会の探索



つれづれ閑談 ー平成の徒然草ー
<定年>は<諦年>なり
<諦念>人生への<箴言>を<進言> 


第006話「死は背後より」
(徒然草:第155段より)
ーーーーーーーー 箴言の箇条書き ーーーーーーーー
(1)万物の四相(生住異滅)の転変ははげしい川の流れの如し。
(2)人事の有為転変(生老病死)は、はげしい川の流れ以上である。
(3)死は前より来たらず、かねて後ろに迫れり。
(4)「人皆死あることを知りて、待つこと、しかも急ならざるに、覚えずして来る。」
**********  平成の閑談  *********

 兼好法師より130年前の大先輩「方丈記」筆者鴨長明先師の言を借りて、当該箴言を
換言すればかの有名な冒頭の一節になりましょう。
 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは且つ消え
  且つ結びて、久しく留まりたるためしなし。」
 「知らず、生まれ死ぬる人、何方より来たりて、何方へか去る。・・・無常を争ふさま、いはば
  朝顔の露に異ならず。」

 年が明けると共に、兼好法師の箴言をひしひしと感じるところです。はや旧年になる
平成18年秋、筆者の周辺に於ける万物四相変転は、正しく「はげしい川の流れ」以上の体験でした。
 年末も近い10月終り、80歳前の親族の突然に死に直面し、正しく「死は前より来たらず
かねて後ろより迫れり」の体験でした。身近にこういう体験を重ねると、兼好法師のいう事が
実感を伴って意識されます。

 同じ頃、更に身近な兄弟の仮死事態を事後知り、もうここまで死の影が感じられますと、
「死は(前より来たらず、かねて)後ろより迫れり」の状態を通り越して、「死は目の前に
達しており、すでに背中に手をかけている」と言った方が良いようです。
 考えてみれば「死の切迫状態」は何もほどほどの高齢になったから感じる或いは感じなければ
ならない問題ではなく、すでに生まれたときから「死と背中合わせ」と思うべきであったのかも
しれません。しかし青少年の時代に「死を感じよ」と言われてもそんな感覚は持てそうに
ありません。若いときは「死を感じる」より「希望を抱く」ことのほうが年齢的に相応しく、
大切に思います。

 ところで兼好法師ご自身如何であったのでしょうか。ご本人も若いときは、「徒然草」のような
随想の執筆は思いもしなかったことでしょう。人生のいろいろな場面でいろいろな体験を通じて
得た事実が積み重なって、「徒然草の世界」の展開となったはずです。

*************  世事雑感  *************
 如何なる時に死を感じるのか?
 古今和歌集歌人達の数々の哀傷歌を見れば、何時の世も代わらない「人の死」に対する
感情を抱いていたことがわかります。

 まずは、身近な人の死に直面したとき。
 (その1)紀友則は同時代人で歌人仲間の「藤原敏行朝臣の身まかりにけるときに、」
     「寝ても見ゆ寝でも見えけり大方はうつせみの世ぞ夢にはありける」(巻16−833番)
 (その2)紀貫之がその「紀友則が身まかりにけるときよめる」
     「明日知らぬわが身と思へど暮れぬ間の今日は人こそ悲しかりけれ」(巻16−838番)

 つぎに自分が病の床に就いたとき。
 (その1)百人一首第23番歌人大江千里が「病にわづらひ侍りける秋、
心地の頼もしげなくおぼえければ」
     「もみぢ葉を風に任せてみるよりもはかなきものは命なりけり」(巻16−859番)
 (その2)かの華やかな人生を送った在原業平でさえ「病して弱くなりにけるときによめる」
     「つひにゆく道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを」(巻16−861番)

 さらに新古今和歌集の中の慈円大僧正の言葉を借りれば、一般に人々の「死に対する
認識」は、次の通りです。
 (その3)「皆人の知りがほにして知らぬかな必ず死ぬるならひありとは」(巻8ー832番)

 さて、死を予感した後、どうすればいいのか?兼好法師は最低限の義務履行事項を
次のように挙げています。
 「真俗につけて、必ず果たし遂げんと思はん事は、機嫌をいふべからず。とかくのもよひもなく、
あしをふみとどむまじきなり。」
 (出世間であれ俗世間であれ、必ず成し遂げようと思うことは、時機を問題にしてはならない。
  あれこれと準備などせず、足を踏み留めたりしてはならない。)

 因みに兼好法師の大先達鴨長明は、次のように「方丈記」を結んでいます。
「そもそも一期の月影傾きて、余算の山の端に近し。たちまちに三途の闇に向かはんとす。
  何の業をかかこたんとする。仏の教えたまふおもむきは、事に触れて、執心なかれとなり。」
 「かたはらに舌根をやとひて、不請の阿弥陀仏、両三遍申して、やみぬ。」

************  参考メモ欄  ************
ーーーーーーーーーーーーーーー   辞世のいろいろ   ーーーーーーーーーーーーーーー

 この世に別れを告げていく人が発する感情の吐露は、「辞世」の歌や句となって残されて
いますが、残せるだけの教養と心のゆとりのあることは不幸中の幸と言えます。

 臨刑和歌としては、古来有名な歌が多くあり、万葉集では、有間皇子(巻2−141,142番)、
大津皇子(巻3−416番)であり、近世では、浅野長矩、吉田松陰などということになりましょう。
同じ近世でも、病死した歴史的人物の辞世の歌をみますと、
 (その1)出世物語の代表人物であるかの太閤秀吉は、死の二週間前に取り巻き連の家康、
利家、輝元、景勝、秀家、に気がかりな秀頼を頼みつつ、詠んだもの。
      「露とをち露と消えにしわが身かな浪速のことは夢のまた夢」
 (その2)かの松尾芭蕉は太閤秀吉と同じ浪速で没し辞世句はやはり夢の中を彷徨って
います。
      「旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる」
 (その3)明治も近くなりますと、からっとした武士の詠み様では高杉晋作の辞世句です。
      「おもしろき事もなき世をおもしろく」
 (その4)同じ武人でも、さらにあっさりしているのは、15世紀の太田道灌です。
      「かかる時さこそ命の惜しからめかねてなき身と思ひしらずば」

 そこで、「辞世歌の予行演習」結果は次の通りです。
「ありてなく うきてはきゆる うたかたの ゆめまぼろしの うきみなりけり」


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平成19年1月8日   *** 編集責任・奈華仁志 ***


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