第005話「須く仏道修行すべし」 (徒然草:第49段より) |
!!!!! 箴言の箇条書き !!!!! *仏道修行は老年になってからと思っていると後悔する。 *余命幾ばくもない大病にかかって初めて信心の薄かったことを 必ず悔やむことになる。 *世事を急いで、仏道に勤める事を怠ることこそ、悔悟のもと。 *「人はただ、無常の身に迫りぬる事を心にひしとかけて、 つかのまもわするまじきなり。」 !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! |
************* 平成の閑談 ************** ただでさえ他民族と比較して宗教心が乏しいとされる日本人が、さらに一段と時代の流れと共に 宗教環境から遠のきつつある平成現代にあって、本段の兼好先輩の箴言が現代日本人にいかほど 実感を持って納得していただけるでしょうか。甚だ疑問の多いところです。 とはいいながら、兼好先輩の箴言は、「ごもっとも」と納得できることであるだけに、そのように実行に 移す気になれない瀕死の状態でないどころか、「世界一長寿国の現状」が悔やまれるのです。 「精進の心が生まれる隙間もないほど元気なことはいいではないか」とついつい油断してしまいがちです。 どうすれば目覚めるのでしょうか。なりふり構わず、がむしゃらに修業せよと、いうことなのでしょう。 「彼岸とお盆だけ、仏教徒」という日本人が如何に多いことか。 それにくらべて、キリスト教徒は、毎日曜日に宗教心を取り戻している人が多いようですし、イスラム教徒に 至っては毎日神様に向かって敬虔なお祈りをしているようです。 日本人はわざわざ「教会」に行かなくとも、またわざわざ「膝まついてお祈り」しなくとも、いつでもどこでも 日本人の心の内には、また身の周りには「八百万の神」が居られ、守っていて下さると「思っている」のです。 したがっていつでも「仏の御許」に行く準備が出来ていると「思っている」のです。 意識して「心にひしとかけ」ていないだけです、と開き直ってみました。 以上は、「無常の身に迫り来ることを心にひしとかけ」ていない平成現代人の言い訳でした。 |
************* 世事雑感 *************** 現代人が如何なるきっかけで宗教心に目覚めるかという事例を周囲に求めますと、兼好先達が 大凡800年前明言した通り、「大病に陥った時」であるようです。時代が変わっても人々の行動や 気持ちの持ち方は代わらないことが分かります。 この「大病」とは、身体的大病と精神的大病とを意味します。残念ながら、これらの「大病」に 陥ったとき、走り込む先は、新興宗教やまやかしの一見宗教らしき所や行いです。何時の時代でも 反社会的な宗教団体的集団が問題を起こして、世間の噂になったり、新聞種になっています。 子どもの頃から確たる仏道修行をしておれば、そのような迷いはないのでしょうが、残念なことに 「大病に陥って」生まれて初めて宗教心に目覚めたわけですから、おろおろするのもやむなしです。 では、病院に宗教的な環境はあるかといいますと、全くないと言っても良いでしょう。医学や医術は、 仏教を初めとする宗教とは極力無縁を装っています。大病院に仏さんが祀ってあるところを見たことは ありません。そんな場所があれば、即「縁起が悪い」と誰が言い出すに決まっています。それほどに 現代の仏道は「葬式仏教」「弔い宗教」に印象が偏ってしまっています。兼好先達が云うところの 「仏道」は、決して「葬式の準備をせよ」という事を言っているのではないのです。 本来の仏道修行は、年齢や場所を問わぬ行為であるはずです。したがって、各家庭は当然、 教育現場で、社会各所の職場で、そのような「修行」の場があっても良いはずです。ところが、平成 現在の憲法では、「信教の自由」という法律の許に「教育世界」や「一般社会」に特定の宗教と 関連づけできず、特定できないのです。 病院で「身体的大病」は、治癒できたとしても、「精神的大病」は、治せないし直らない環境になって いるとしか思えません。こうなりますといずれの人も、その人生を「悔やんで終わりを迎え」ざるを得なく なりましょう。 |
*************** 参考メモ欄 **************** 人生の一段落を迎えてからの「西国三十三札所巡り」の旅に出ること。 平成の時代を迎えて、一段と高齢化社会が進行しました。加えて一般社会で活動した人々が現役を 引退して、さて何をするか、迷うところです。かなりの人が生活環境を変えるために、また、人生に対する 考え方を見直すために、さらには殊勝にも「仏道精進の道を歩むきっかけにする」為に、観音様の御慈悲を 求めての西国三十三札所巡りに出発したり、あるいは弘法大師の徳を求めて「四国八十八札所巡り」に 旅立つようになりました。 自ら宗教心を見つめ直すか、掘り起こしたい気持ちが元になっているのでしょうか。この種の情報が、 コンピューターコミュニケーション時代に相応しく多くの人々の情報発信がこの種の体験となっています。 旅行社まで賛同して「四国八十八ヶ所巡礼の旅」へのご案内 「西国三十三札所巡り」へのご案内 などとお手伝いをして下さるそうです。「心にひしとこころがけ」ていなくとも、大丈夫なようです。 |