第015話「浮き世の全て雪の如し」 (徒然草:第166段より) |
ーーーーーーーー 箴言の箇条書き ーーーーーーーー 「人間の営み」は「春の日に雪仏を作り」「金銀・珠玉」を「飾り」「堂を建てん」と するに似たり。 「人の命」がまだあると思っていても、雪仏が下から溶けていくように空しくなっていくなか、 勤め励んで期待する「人間の営み」の誠に多いことであるよ。 |
************* 平成の閑談 ************ 「春の日」の「雪仏」は、春日の熱で頭上から溶けていくのではなく、地面の足元から 揺らいでいくという例えは、実感を持って崩れゆく現実世界という実体を表わしていて、 どきっとする表現になっています。 穏やかに見える「春の日」という外界環境も実は、人間世界の現世における実体の存在を 消し去る潜在力を持っているという例えでもありましょう。 「人間の営み」は、全て「崩れゆく実体」であるとしますと、「崩れない実体」は有り得る のでしょうか。「金銀・珠玉」「堂」などでない実体とは? それは形に表せない人間の考え、思考の世界の「実体」ではないでしょうか。「思考の世界」 すなわち「物事の考えの世界」で、それを拡大解釈しますと、文学の世界であり、さらには いろいろな芸術(美術・絵画・音楽など)の世界、などではないでしょうか。 その意味では、兼好さんは、「徒然草」という形の「崩れない実体」を自らその例題として示し、 後世に残したと言えそうです。 |
************ 世事雑感 ************* 人間は生まれたときから、「全て実体は崩れ去った」と感じる時、すなわちこの世に別れを 告げるときまで、せっせと「金銀・珠玉を飾れる堂」という「実体と思われるもの」の構築に 汗を流しているということになります。 「あの世に持って行ける」「人間の営み」はなくとも、後世に残す「置きみやげ」は ありえます。 例えば、聖徳太子は、既に1400年ほど前の歴史上の人物ですが、文物に書き残された 現世での事績から「日本文化の始まり」を構築した重要な「崩れない実体」の存在となって います。 聖徳太子は日本民族の恩人的存在となっていますが、一方では、「天下の大盗賊・石川五右衛門」と いったような「崩れない実体」もあるのです。 人はその一生に於いて如何なる「崩れない実体」を残すために「人間の営み」をしている のでしょうか。僅かにこの世での与えられた「制限時間」はせいぜいたったの50年前後です。 むしろなまじっかな「崩れない実体」を構築することにあくせくするより、 「よのなかをなににたとへむ あさびらきこぎゆくふねのあとのしらなみ」 の方があっさりしているかもしれませんね。 |
************ 参考メモ欄 *************兼好法師は「徒然草」という「人生への<箴言>」の中で、「雪仏」を例証として引き出して います。つまり現代でいうところの「雪だるま」のことでしょうか。鎌倉時代では、それを 「雪仏」といったのでしょうか。 |