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平成社会の探索



つれづれ閑談 ー平成の徒然草ー
(定年)は(諦年)なり
(諦念)人生への<箴言>を<進言> 


第001話「老年の雑事」
(徒然草:第151段より)
!!!!!!!!!  箴言の箇条書き  !!!!!!!!!
1.50歳になるまでに「物にならなかった芸事」には、執心しないこと。
2.精を出して習うほどに人生の時間は残されていないことを知れ。
3.老人は老人らしく。壮年の一般人に混じって事を行うのは、「最低に愚かな人」に見え、 「疎ましく、みっともない。」
4.老人は「全ての仕事を辞め、暇のある暮らしこそ、見た目に安らかで、願わしい。」
5.ある事に好奇心が湧いても、「大体の様子がわかり」「ひととおり疑問点が解決した」時点で 打ち切り、深追いしないこと。
6.ぎらぎらした好奇心は、老人に相応しくない事を知れ。
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
***************  平成の閑談  ****************
 平成17年8月10日、アメリカの宇宙船「ディスカバリー号」で、約一週間の宇宙遊泳後、 地球に帰還した宇宙飛行士野口聡一さんは、丁度年齢40歳でした。平成の時代では、40歳という 年齢は、人生壮年の真っ盛りであるわけですが、古来40年は、孔子の言う「而立の年30」から 10年経つ「不惑」の歳とされ、平安期の日本人は盛んに「四十賀」すなわち、現在で言う 「還暦祝」をやって、人生の区切りを付けていました。
人にとって40歳から50歳までが、最高に人生を味わうべき期間であるようです。この間に 己がこの世でやりたいことをやっておかないといけない、ということを言っているようです。
ところで、兼好さんは「老人は老人らしく」の命題の下、その通り生き抜けられたのでしょうか。
そうです、彼は世間から距離を置いて、世間を冷静に見つめ、当世の人に、また、後世の末裔に 「民族の遺言」たる「徒然草」の世界を展開して見せたのです。
兼好さんは、結局孔子言うところの「知命」(天命を知る)の歳と心得よ、ということでしょうか。 筆者自身、すでに孔子の「耳順」(60歳)を通過しても、未だに「何か、やりたらん、やり残した ようだ、あの事に未練がある」などと、「好奇心がぎらぎら」と未だに賑々しさを失っていません。 そのうち、兼好さんの言うところをいやと言うほど知ることになるのでしょうが。
***************  世事雑感   *****************
 孔子や吉田兼好によって示された人生の「メインステージ」たる40歳から50歳の時代を 眺めますと、平成の現在では、この年代は大変辛い辛抱の期間に変貌しつつあります。
 一方、60歳以上の年代は、かえってぴんぴんしております。平均寿命が嘗ての「人生僅か50年」 の時期から、「60,70は洟垂れ小僧」と言われるまでになり、80〜90歳代になって初めて、 嘗ての50〜60歳の「老齢化現象」の年代様相となってきました。明らかに昔より10〜20年は、 高齢化した見方をしたほうがいいのでしょう。
「四十賀」とは「六十の還暦」と考えても好いでしょう。さすれば、兼好さんのいう「五十までの 世間手習い事」とは、70までに手にした好き事や趣味の類とみなすことになります。
ここでいう「老齢化現象」とは、物忘れがひどい、思いこみが甚だしい、イメージ情報は残っているが 文字情報が消えかけている、など、手、足、腰の機能劣化に加えて、頭脳的機能劣化の現象が出始める 時期をさしています。

現役生活を引退したり、させられた人々の集まる「同好会」なるものに参加しますと、「老齢化現象」たる 次の行動が目立っている事が分かります。
(その1)(1)好奇心が未だ旺盛、特に女性群は活動的。男性群は半分は「おやすみ」になって夢うつつ。
(その2)年齢に関して、(2)相手との年齢の上下を無性に気にする。(3)年齢が上と解ると、年齢を自慢する、 (もはや、自慢する物は年齢しかないから)(4)年齢がしたとなると、極力年齢の話しは避ける。 (自慢の種が減るから)。
(その3)これまでの経験世界に関して、(5)見聞知識をひけらかしたくなる。すこしでも相手が知らない となると、とことん自慢する。(相手に聴く気があるなしに関係なく、延々と話し続ける)

こういった「公害のばらまき」に注意しなければなりませんね。といいながら、このメモ書き自身が すでに「老齢化現象」の最たる物かもしれません。

***************  参考メモ欄  ****************
吉田兼好(1274頃〜1287頃)の人物概要
卜部姓、吉田神社神職の子。後宇多上皇(御在位1274〜1287)北面の武士。上皇薨去後、 出家して、兼好を名乗る。諸国遍歴後、双ヶ岡に閑居。(関連ホームページ参照)。
二条派の歌人として、和歌四天王と称される。有職故実に通暁。「徒然草」は枕草子、方丈記とともに 古典随筆の代表作品。
(金田一春彦ほか「新世紀ビジュアル大辞典」学習研究社より)

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平成17年8月15日   *** 編集責任・奈華仁志 ***


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